108 退魔腕3-4


 薄暗い空間だ。


 荘厳な雰囲気。


 静謐せいひつな空間。


 自分の息づかいが耳元で聞こえる。


 パシャ、っという軽い音がして振り向くと後ろにはビビがいた。


「ドンピシャね」


「ああ」


 リサの予想した通り、屋敷の真下が下水道の中心だった。


 足元には厚さ1センチ程度の水が張っており、周囲にはかなり太い柱が何本も建っている。天井はかなり高く、自分たちが降りてきた穴からはかすかな灯りも漏れていない。もう、どこから降りてきたのか分からない。


 ヂヂヂ、という鳴き声が聞こえた。


「お出迎えよ、ヨシカゲちゃん」


 ビビも小太刀を抜く。


「物の数でもないさ」


 ヨシカゲは刀を青眼に構える。


 柱の陰から待ってましたとばかりにラットマンどもが出てきた。


 完全に囲まれているのだが、二人の退魔師に焦りの表情はない。それどころか、


「どっちがたくさん斬ることができるか勝負よ」


「いいだろう」


 こうして護衛がいるということが当たりのサインだ。この場所にフンババもいる。


 数を競い合うようにラットマンをきっていくと、いつの間にか敵はいなくなっていた。あたりにはラットマンの骨が折り重なっている。


 ひどい悪臭に二人は顔をしかめている。


「きついな」


「さっさと終わらせましょう」


 だが、その時、ヨシカゲの背後からラットマンが襲いかかった。完全に虚をつかれた。ヨシカゲが振り返る――。 


 ――しかし、それよりも早くビビが小太刀を投擲した。


「ヂュー!」


 その小太刀はラットマンの眉間に突き刺さった。


 そのままビビはその長い足でラットマンを蹴り飛ばす。水をかき分けるように吹き飛ばされたラットマンは、そのまま肉体を消していき骨だけになった。


「まったくヨシカゲちゃんは後ろがお留守なのよ」


「すまん」


「いい、背中に目をつけるの。そうすれば良いだけよ」


 無茶言うな、とヨシカゲが言おうとしたがやめた。このイースターエッグがひしめく界隈ではそれくらいできて当然なのだ。むしろ気配を察知できなかったヨシカゲが悪い。


 これでラットマンは全滅しただろうか。


 今度は先程よりも気をつけて歩いていく。


 ふと見れば、足元の水に血が混じりだした。


 ラットマンのものではない。今ながれ出たばかりの鮮血だ。


 その血の方向に向かってヨシカゲたちは駆け出す。何かまずいことがすでに起こっている。


 祭壇があった。


 その上には見たこともない棺がある。そして、その棺の周りに二人の人間がいた。一人は体中から血を流して倒れている。もう、死んでいるのだろうか?


 そしてもうひとりは瀕死の人間に対して短刀を突き立てている。


 見れば棺が開いていた。流れ出た血は棺の中へと入っていき、それで溢れた分が水面にこぼれていたのだ。


「儀式の途中にお邪魔するわよん」


 ビビが声をかける。


 すると、短刀を持っていた人間がこちらを向いた。


 ヨシカゲはその顔に見覚えがあった。清楚な外見、野暮ったさと洒落の中間地点のような三つ編み。優しげな表情は身を隠し、偏屈な老婆のような表情で委員長、湯川ユイは笑っていた。


「きたかい、退魔師ども」


 その声はあきらかに委員長のものではない。


「フンババか」


 と、ヨシカゲは言った。


「ご明察。あたしはアフリカ一の呪術師エラー・フンババ。こうしてお目にかかるのは初めてだねえ。そして、最後さ」


「ああ、そうだな」


 ヨシカゲが刀を構える。


 そして、跳ぶように駆け出した。


 フンババは委員長の体で軽やかにヨシカゲの初段を避けると、手を鳴らす。そうしたらまたラットマンが土から生えてきたかのように現れた。


「ヨシカゲちゃん、ザコは私に任せなさい」


「ああ」


「あ、あとそのミイラはできれば斬っちゃダメよ! 高いんだから!」


 ビビのその言葉にフンババが激怒した。


「我らが『王』を愚弄するか! 下賤な性別のない者の分際で!」


「そういの、差別よ!」


 これにはビビも目を怒らせて返した。


 ビビが怒りを込めてラットマンを蹴散らしていく。


 ならば俺はフンババを、とヨシカゲは思う。だが、足元からううう、といううめき声がした。


 それは刺されている男から発せられた。


 まだ生きていたのか、と思うよりも先にもう死ぬな、という思いがした。その時ヨシカゲの心に去来したのは、悲しみというものに近い感情であった。


「あ、ああ……麻倉か」


 刺されていたのは木戸だった。


「喋るな、傷が開くぞ」


 ヨシカゲはしゃがみ込み、木戸の耳元で言った。そんなことはただの気休めだ。ここまで血を流せば普通の人間は死ぬ。それでも言ってしまった。


「ユイを……ユイを頼む。あいつ……おかしいんだ。助けてやってくれ」


「ああ、任せろ。だからもう喋るな。大丈夫だ、お前も大丈夫だ」


 だがもう木戸には何も聞こえていないようだった。


 目に光りがない。


 ここがどこかも分からないのかもしれない。それでも、ヨシカゲの手を最期の力を振り絞って握る。


「頼んだ……ぞ」


 木戸はそう言って、事切れた。


 もう一生動かない。死んでしまった。あとは我々の思い出の中に生きるのみ。死とはそういうものだ。


 ヨシカゲは優しく木戸のまぶたをとじてやる。


 そして、力強く立ち上がる。


「エラー・フンババ。お前を殺す」


 ヨシカゲは刀を構えた。


「ふん、やれるものなら――やってみな!」


 ヨシカゲの背後からラットマンが遅いかかる。だが、ヨシカゲは振り向きもせずにそれを躱すと、無造作に退魔刀で斬り捨てた。


 そのままフンババに向かって歩き出す。


 その表情に感情は一切ない。


 フンババが恐れをなして下がる。


 ラットマンをけしかけるが、それらは全て一太刀で塵芥とかす。ヨシカゲの歩みを止めることはできない。


「待て、待て! この体はどうなっても良いのか! お前はこの女をも殺すのか!」


 何を言っているのだ、とヨシカゲは不器用に笑った。


「死ぬのは、お前だけだ」


 退魔刀を横薙ぎに払う。


 委員長の体が崩れ落ちた。だが、その体に傷一つない。


 ヨシカゲが斬ったのは委員長の中にある異物としてのフンババだけだった。


 ラットマンは魔力の提供を失って崩れ落ちていく。


「やるわね、ヨシカゲちゃん。さすがの本家、退魔刀の使い方は抜群だわ」


「いうな、師匠に教えてもらっただけだ。教われば誰でもできる」


 ヨシカゲは忌々しそうに刀をしまった。


 倒れている委員長をビビが担ぐ。


 必然的にヨシカゲが棺を担ぐことになるのだが。


 棺に向かって歩いていく。その隣には木戸の死体もある。その死体に触れようとしたとき、地面が揺れだした。


 まるで地の底から何かが這い出してくるほどの大きな揺れだ。


「まさか――」


 この揺れを、ヨシカゲたちは知っていた。数年前にあった大規模災害、あの時に起こった地震がこれによく似たものだった。


 それが今、腑卵町で起きるというのか?


「ヨシカゲちゅん!」


 はっ、とヨシカゲは気がつく。


 これはただの地震ではない。


 何者かの目覚めに大地が呼応しているのだ。


 棺から血が吹き出した。


 まるで濁流のような血だ。あきらかに棺の質量よりも多い量の血だ。


「くっ――」


 ヨシカゲは下がる。あの棺からは、ヤバイ雰囲気がする。


 大地の揺れがおさまった。


 そして、血は重力にまかせて全て落ちた。


 のっそりと、何者かが棺から体を起こす。



「わたしの眠りを覚ましたのは誰だ」



 その言葉にヨシカゲたちは動けない。


 圧倒的な威圧感。まさにこれが『王』という存在、威厳や尊大さなんてものではない。人間のDNAの奥底に刻まれた服従心。古代の王は今ここに復活を果たした。


「ほう……神の卵たちが二人も。お前たち、何をしてる?」


 その言葉の意味が分からない。


 だが――


「『王』の御前であるぞ」


 古代の王の背後から、なにか鞭のようなものが飛んでくる。いや、あれは尻尾だ。この『王』には尻尾がある。その先には鋭利な刃物のような武器がついている。


 一瞬だった。


 反応する暇もなかった。


 二人はその尻尾によって地面に叩きつけられる。


「ふむ……弱い、な」


 古代の王はその体を震わせる。


 肉の削げ落ちたミイラであったはずだ。だが、震わせるたびにその体には毛が生えていく。やがて古代の王は人間というよりも長駆な猿人のような姿になった。


「さて、ここはどこかな? 答えろ、おまえたち」


 ヨシカゲは立ち上がろうとする。だが、また尻尾が飛んでくる。その尻尾を掴んだ瞬間、ヨシカゲの手はなますに切れた。


「ぐっ――」


 そしてまた、地面に叩きつけられる。


 血の混じった水を飲んでしまう。


「動くな、質問されたことにだけ答えろ。ここは、どこだ?」


「腑卵町、俺の……俺たちの町だ」


 その回答に、古代の王は大声を立てて笑った。


「おまえ達の町、だと? 人間ふぜいが、おまえ達の、町だと!」


 最初は笑っていたが、後半は怒りに声を震わせている。


「ふざけるな、この地上におまえ達が支配できる土地など一つもない!」


 尻尾がヨシカゲを突き刺すように飛んでくる。


 だが、ヨシカゲはタイミングを合わせてそれを退魔刀で斬った。


「なにっ?」


 古代の王は不思議そうにする。


「うるせえ、チンパンジーごときが。お前の時代は60000年も前に終わってんだよ、さっさと棺の中にもどれ」



「そうそう、その通りよん」

 ビビも立ち上がり、古代の王に対してウインクを一つ投げる。


「面白い……このわたしとやるつもりか? 身の程を知れ」


 王はその体を翻す。


「逃げるのか」と、ヨシカゲ。


「逃げる? まさか、わたしはいま武器を持たぬ。おまえ達との戦いは武器を手にしてからとしよう。……その刀とは万全で戦ってみたくなったのでな」


 王の体が闇に消えていった。


 それを確認して、ビビが大きく息を吐いた。


「死ぬかと思ったわ……」


「まったくだ」


「あれが世界を滅ぼすとまで言われた古代の王ね……たしかにあれだけの力があれば、世界の半分くらいは滅ぼせるかもね」


「底知れない力を感じた。あれはいったい何だ? 『王』とはいったい……」


「私にも詳しいことは分からないわ。でも一つ言えるのは、あいつは倒さなければいけないってことよ」


「そうだな。だが今は――」


 ヨシカゲは肩を骨折していた。最初に地面に叩きつけられた時にやられたのだ。


「一度体勢を立てなすべきだ」

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