106 退魔腕3-2


       2


 夜の県道をシルバーの日産・シーマが疾走している。


「なあなあ、マジで謝ってるじゃんかよ。ごめんって」


 運転席に座る男の名前は木戸タカヨシ。維新の英雄と同じ名前を冠しているこの男は、あまりにも残念な頭の中身をしている。こういうのを名前負けというのだろうか。


「――ふん」


 助手席に座る女の子は不機嫌そうに黙っている。何も言わない。


 ちょっと腹をたてた木戸はアクセルを強めに踏んだ。排気量は3.5リッター。その馬力はハイブリッド動力を足して370馬力を超える日産のフラグシップセダン、シーマ。ぐんぐんと勢いをつけて前へと進んでいく。


「ちょっと、早いって」


「こえーのか?」と、木戸は馬鹿そうな顔をさらに馬鹿そうに歪めて笑った。


 でもそのバカさ加減は愛嬌のあるものだった。こういうのも一種の人徳なのだろう、バカなどなが他人から嫌われることは少ない。


「ならちょっと緩めるよ」


 クルマは法定速度を10キロほど破るスピードになった。


「気をつけてよ、無免許なんでしょ」


「クルマなんてよぉ、誰でも運転できんだよ」


 木戸は嬉しそうに言う。


 実際は、このシーマがオートマだからこそ言える言葉なのだが。


 委員長はこの日、拉致同然の勢いで幼馴染である木戸のクルマに乗ることになった。


 木戸の実家はいわゆるところのヤクザであり、ここらへんの町ではちょっと名が知れている。そんな人間と幼馴染というだけで良くしてもらっている委員長は、幼い頃こそ何も思わなかったが、最近ではちょっと怖いと思っている。


 ――ヤクザって何するのか分からないし。というか何してるのか分からないし。


 でもお金は持っているのだろう。このクルマだって父親にポンと買い与えられたものだという。


 木戸いわく、もし事故っても親父がなんとでもしてくれる、との事だ。別にその言葉を信じているわけではないから、委員長は気をつけて欲しいと何度も木戸に言った。


 だが、それが分かっているのかどうなのか、クルマの速度はまた徐々に上がりはじめる。


 信号機はとうに点滅をしている時間だ。


 ――このままどこに連れて行かれるのかしら?


 ただのドライブだ、と木戸は言った。木戸のことだから乱暴なことをされるとは思えないが、それでもちょっとだけ不安だ。


「そういやあさ」と、木戸はどこか空とぼけた様子で口を開いた。


「なに?」


 心なしか委員長は助手席の左側に重心を寄せている。何かあったときにすぐに飛び出せるようにだ。


「おめえ、あの男とどうなったんだ? ほれ、麻倉だったか?」


 いかにもついで、という様子で聞いているが、見え見えだった。


 委員長だって地味ながらもこれで17年間も女子をやっているのだ。誰が誰を好きで、どういうふうに好意を持っているかなんて何となく分かる。


 だから、木戸が実は自分のことを好きだということも知っていた。


「別に、どうも。先週の木曜日から会ってないし」


「おめえよ、もしかしてこのまま新学期が始まるまで会わねえつもりか?」


「ダメかしら?」


「いけねえ、そりゃあいけねえよ。こういうのはできるだけ会うべきなんだって。おめえ連絡とかちゃんととってんのか?」


「だって仕方ないじゃない。ラインもやってないっていうし、メールも嫌いだって言うんだから。電話番号は一応知ってるけどさ……」


 まさか毎日電話をかけるわけにはいかない。


「そりゃあかなり偏屈なやつだな。ま、あいつらしいっちゃらしいか」


「なによ、知ったような口きいちゃって」


「バカ、知ってるに決まってんだろ。こっちは仮にも男だぜ。殴り合ったんだ、俺たちゃもうダチさ」


「なにそれ、ばっかみたい。不良漫画の読みすぎよ。麻倉くんはそんな事思ってないわよ」


「いや、思ってるね! 俺には分かる!」


 こういうところが、もしかしたら人に好かれる秘訣なのかもしれない。とにかく木戸は他人に対して悪感情を持っているように思えないのだ。なんならこの世界にいる人間が全員友達とでも思っているのかもしれない。


「おりゃああいつが気に入ったね。俺とあそこまでステゴロで殴り合ったんだ。いい勝負だったよな」


「負けたじゃない、キッくん」


「そうだったか? 引き分けぐらいだったと思ったけどな」


 やっぱりバカだ。


 木戸はちらちらと委員長を見ている。もしかしたら告白でもしようとしているのかもしれない。もしそうなったら……ちゃんと断れるだろうか。


「あのよぉ……」


「な、なによ」


 道の周りにモーテルが見えてきた。


 山に入ったのだ。ここを越えれば腑卵町だが、木戸にその意思があるのかは分からない。もしかしたらこのままモーテルの駐車場にクルマは吸い込まれていくかもしれない。


「それが、よ」


「あのね、先に言っておくけど私たちただの友達だから、幼馴染なだけだからね」


「分かってるよ、あんまり悲しいこと言うなよ」


 クルマはモーテルの群れを過ぎた。


 どうしてこういったいかがわしいホテルは群生するのだろうか、きっと土地代だとかなんとか理由があるのかもしれないが、乙女の委員長には分からない。


「でもよ、俺も悪い男じゃないと思うんだぜ」


 それは木戸のアピールなのだろう。


「いい男ってわけでもないでしょ」


 近所の工業高校で番長なんて時代遅れの称号を掲げているような男だ、悪いことなんて万引きカツアゲたくさんしてきているだろう。それを委員長の目に映るところでやらないだけだ。


「そりゃあ俺とおめえじゃ釣り合わねえよな……」


「そんなことないけど」


 ――私のバカバカ!


 こんな子犬のような目をされたら思わず慰めてしまうじゃないか。


 でもこれは違うから、恋愛とかじゃなくてペットとかに対する感情だから。そう自分を言い聞かせる。


 木戸は何か言おうとするためにやめるを繰り返す。


 クルマは腑卵町に入った。


 夜の腑卵町は昼間に増して静かに感じる。もしかしたらこの場所に生きている人間なんていないのかもしれないと思ってしまう。


 でも、ここは委員長の好きな人が住んでいる町なのだ。


 この町の中心に退魔師の屋敷があると、いつか学校で聞いたことがあった。


「ねえ、帰りましょうよ」


 夜の腑卵町には極力入らないというのは、ここらへんに住んでいる人間の常識だ。


「なんだよ、ユイ。びびったんか?」


「そういうんじゃないけど。でも何かあってからじゃあ遅いでしょ」


「なんかってなんだよ」


 木戸の声は少しだけ震えている。怖いのだろう、けれど委員長の手前、怯懦は見せられないと意地を張っているのだ。


「そりゃあ、色々不思議なことがあるでしょ。この町には――」


 その瞬間、委員長の耳元で声がした。


 ――「ああ、こりゃあ良い。ずいぶんと相性の良いお嬢さんだ」


 しわがれた老婆の声だ。声だけでそこまで分かってしまう。


 誰? と、委員長は心の中で思った。その瞬間には、その何者かが委員長の中に入り込んでいた。


 この場にいる人間は誰も委員長の中に入り込んだ霊体――魂のことを知らない。


 それは先日、ヨシカゲとビビが追っていたアフリカの呪術師フンババのものだった。


 ……そして、なにかの拍子に委員長の雰囲気が変わったのを木戸は見て取った。


 ――あれ、もしかしてユイのやつも乗り気か?


 その様子を何を勘違いしたのか、性交OKのサインだと思いこむ。やはりバカなのである、木戸タカヨシという男は。


「そこ……右に曲がって」


 委員長の声で、中に入り込んだフンババが言う。


「右折だな。りょーかい」


 木戸は頭の中でこのさきにあるラブホテルを思いうかべる。いかんせん地元ではないのでよく思い出せない。


「な、なあ。ユイ」


 良いのか? と聞こうとして、しかし委員長が答えないような予感がした。


 案の定、委員長は声をかけられても無言である。


 ――ま、女じゃあこういう事の前は恥ずかしいだろうな。


 なんて思いながら、木戸はご機嫌にアクセルを踏む。


「……もっと早くして」


 委員長――フンババが言う。


「お、こうか?」


 やっぱりノリノリだ。


「……もっと」


「おうよ!」


 もはや絶頂に達するように木戸はアクセルを強く踏み込む。


 その瞬間――


 委員長がクルマのハンドルをきった。


「あっ!」 


 叫んだときにはもう遅い。重たい車体は木戸のコントロールを外れてスピンしながら交差点に進入していく。


 まずいことにクルマの先にはトラックがいた。こんな時間に不運である。


「ユイっ!」


 叫んだことに意味はない。だが彼女を助けようと意思が動き、しかしシートベルトによって体が固定されてい時、咄嗟に出たのが委員長の名前だったというだけだ。


 クルマは猛スピードでトラックの側面に突っ込んでいく。


 木戸は衝撃でクルマから放り出される。


 そこら中に体を何度も打ち付けたが、自分でも状況は分からない。だが痛みの中でかろうじて自らの生存が理解できた。


「っててて……」


 昔から頑丈なだけが取り柄だった。組の若いもんには「坊っちゃんが俺らと同じだったらい~鉄砲玉になったんすけどね」とお墨付きをもらうくらいだ。


 しかしさすがにこれはマズい。


 なにせクルマから弾き飛ばされたのだ。


 だが自分の傷よりも幼馴染が心配だった。


 気合と根性と文字通りの馬鹿力で立ち上がり、あたりを見回す。


「ユイっ!」


 と、また叫ぶ。


 トラックとクルマが燃えている。あちらの運転手は大丈夫だろうか、運転席からは血のようなものが流れてきている。それを極力見ないようにする。男というのは血によっぽど慣れていないから、見れば力が抜けるのだ。


 だからそちらは考えないことにする。


 今はそれよりも委員長だった。


 自分の体が思うように動かないことにもどかしく思いながら木戸は委員長を探す。そしてすぐに見つけることができた。


 委員長は燃え盛るトラックの荷台に乗り込もうとしていたのだ。


「ユイ、なにやってんだおめえ!」


 慌てて駆け寄る。正気とは思えなかった。


 この燃え方だ、いつガソリンに引火して爆発するとも限らない。


「おい、ユイってば!」


 だが委員長は何も答えない。それどころかそのまま荷台に上がりこんでいく。


 いったいそこになにがあるのか、木戸も気になった。それで委員長の後ろから中を覗き込む。


 広いトラックの荷台だというのに乗っている荷物はたった一つだった。


 それは――棺だった。


「なんだこりゃあ……」


 委員長がその棺に触れようとした。だが、弾かれたように手を引っ込めた。


「っち。結界。イースターエッグだけを阻むか。今のわしにこれを突破する術は――」


 委員長の口から出てきた声が、彼女のものではないように思われた。


 まるで老婆のような声だ。


 ゾッとした。だが、委員長がこちらを見た瞬間、木戸は目を奪われた。


 異常な魅力がある。それは『魅了』の呪いだ。アフリカの原始的な呪術だったが木戸には効果抜群だ。


「これを運んで――」


 あきらかにおかしいと思いながらも木戸は頷いた。


 今すぐにでも病院に行かなければならない。それに警察に通報する必要もある。だというのに委員長の言葉に逆らえない。


 むしろ彼女の思うままにしてやりたいと思ってしまう。


 木戸は棺を抱える。


 軽い、まるで何も入っていないようだ。


「こっちよ」


 と、委員長が木戸をいざなる。木戸は言われるがままに棺を担いで委員長を追った。





 そこから二人は腑卵町の地下へと降りていく。


 ――なんだここは?


 まるで迷路のような下水道だった。その迷路を委員長が歩いていく。棺を持った木戸はついていくだけだ。会話もない。いや、もはや木戸には意識すらもない……。


 委員長はまったく迷いもせずに下水道の中心へと到達した。


 そこはヨシカゲたちも行った、あの水の張った場所である。まるで天を支えるような柱が無数に立っている。


 そして中央のさらにど真ん中には祭壇のように盛り上がった場所が。


「あそこに置きなさい」


 もはや命令のように委員長――いや、フンババが言う。


 木戸はそれに従った。


「あとは――生贄の血だけね」


 その言葉の意味を認識することは、もう木戸にはできない――。


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