105 退魔腕3-1
1
客間のカーテンをビビがその長い手で開いた。
「今日も曇りねえ……ここ最近青空ってものを見てないわぁ」
「嫌ならこの町から出ていけよ」
と、ヨシカゲは無愛想に言った。
「嫌だなんて誰も言ってないわよん。ただ青空が恋しいだけ。ああ、私は薄幸のシスターボーイ! この身に降り注ぐ太陽の光りはなく、ただ日陰を歩むのみ!」
ビビは芝居がかった様子で言うと、ヨシカゲの隣に腰を下ろした。ソファは二人がけで、いつもはヨシカゲが真ん中を陣取るのだが、今日だけはビビも同席するということでヨシカゲは右によっていた。
「あらあら、ミルクなんて飲んじゃって。美味しい?」
「これはホワイトコーヒーだ」
「なあによ、それ。大人だったらブラックコーヒーよ」
ビビは優雅な動作でリサが淹れてくれたコーヒーを飲む。長い右手でカップを器用に持っている。その姿はかなり様になっていた。
「それにしても、遅いな」
ヨシカゲは今日、この場所で来客を待っていた。
「慌てなさんな。ゆっくり待ちましょうよ」
薄暗い部屋。ヨシカゲとビビだけがお互いコーヒーカップを持っている。来客に対して先に飲み物をいただくというのは当然失礼にあたるのだが、今日の相手は間違いなく招かざる客だ。これくらいの無作法、文句を言われる筋合いはないと思っていた。
「あんたな、俺がどうして早くしたいと思ってるのか分からないのか」
「他人の考えが言わなくても十全に伝わるってそれもう超能力よ」
「――あんたと一緒の部屋にいたくないからだ」
「あら、意識してるの? 照れるわぁ」
すぐにこれだ、とヨシカゲは頭を抱えた。
良いように言えばポジティブなのだろうが、ビビの場合はもうバケモノ級のメンタリティなのだ。
ヨシカゲは席を立った。
ビビといつまでも並んで座っているなんてゾッとしない。
窓の方に行き庭を眺める。3月もすでに最終週だ。庭の草も少し伸びてきた。春はまだ遠そうだが、冬は去りゆこうとしている。
「ねえ、ヨシカゲちゃん」
背後からビビが声をかけてきた。
よっぽど無視してやりたいが、「なんだ?」と答える。
「貴方、リサちゃんとはどんな関係なの?」
ヨシカゲは振り返る。
「主人とメイドだ」
「あのね、そういのじゃなくて……分かるでしょ? こんな広い屋敷に二人っきりで暮らしてるなんてはっきり言って異常よ」
「この町に正常な事なんてあるかよ」
「だとしても、よ。そもそもリサちゃんはどうしてこの屋敷に住んでるの?」
「あんた、その腕はどうした? 退魔刀はなぜ小太刀に打ち直してある? ――人間、誰にだって言いたくないことはあるだろう」
「……そうね」
この話しはもうやめよう、とヨシカゲは首を横に降った。
「リサのことは俺もよく知らない。それは本当だ、けれど知らなくても良いと思っているんだ」
「それにしたって知らなさすぎよ、貴方たちってお互いに」
「だとしても、悪いことだとは思っていない」
「いつか、必ず困ったことになるわ。老婆心から言っておくけれど、こういう関係はいびつよ。そのうちに破綻が訪れるわ。その前に精々腹を割って話し合うことね。ヨシカゲちゃんだってあんなに可愛らしい女の子に逃げられちゃあ、嫌でしょ?」
「可愛いというのは同意するが、嫌かどうかは分からないな」
ふっ、とビビが笑った。強がっちゃって、とでも言いたげだ。
「それにしても遅いわね、約束はたしか2時でしょう?」
壁にかかったアンティーク時計を見る。たしかに時刻は2時を5分ほど過ぎている。そもそもこういった約束事は少し早めに行くのが普通だと思っていたが、どうも相手がわにそのような常識はないらしい。
「たぶんそこらで職務質問でもしてるんだろ」
「なにそれ。もしかして冗談? つまんないわよ」
「オカマに言われたくねえ」
「そういうの、最近じゃあ差別なのよ。LGBTの人権を尊重してほしいわ」
ふん、とヨシカゲは鼻を鳴らす。
それにしても本当に遅い。
今から来る相手は警察官だ。なんでも今度この腑卵町に赴任されてきたそうで。
ヨシカゲとしては挨拶なんかに来なくてもけっこうなのだが、相手が町長にコンタクトをとってどうしても俺と会いたいと言ったらしい。
この前までは東京にいたらしいが、腑卵町まできた。左遷かとヨシカゲが聞くと、町長は憤慨したように栄転だ! と語気を荒らげた。
「警察でもオカマでも何でも良いが、時間くらいは守ってほしいぜ。それともこっちが暇だとでも思われているのか?」
「あらヨシカゲちゃん、忙しいの?」
「ああ、読みかけの本があるんだ」
「たまには外で体でも動かしなさいな」
「そういうあんたはここ最近ずっとこの屋敷にいて仕事もしてないじゃないか。そういうのなんて言うか知ってるか? 宿六って言うんだよ」
「それはヨシカゲちゃんも同じでしょ」
「俺は天下御免の学生様だからな。だから仕事をしなくても怒られない」
「お生憎様、女は女であるだかで仕事なのよ」
「オカマだろ、あんたは」
「オカマは愛されるのが仕事よん」
そんなアホな話をしていると、やっと客間の扉がノックされた。
「あら、やっとお出ましね」
ビビがコーヒーカップを机に置く。
「ふん、10分の遅刻か」
ヨシカゲもしょうがなくビビの隣に腰を下ろした。
「失礼します、お客様をお連れしました」
メイドであるリサがまず部屋に入ってくる。その後に、いかつい男が一人。グレーのスーツを着て、頭は角刈りが少し伸びただけという様子。獣のような目をした屈強な男だった。こうしてみればいかにも刑事然として見える。
「始めまして、才賀平八です」
刑事の男――才賀はそう言って名乗った。
「どうぞ、おかけに鳴ってお待ち下さい。お飲み物はコーヒーと紅茶がありますが、どうなさいますか?」
「あ、いえ。お構いなく」
キャー、とヨシカゲの隣でビビが小さな嬌声をあげた。「私の好みドンピシャ! 渋くて猛々しいオ・ト・コ!」なんだか不気味な事を言っている。
「遠慮なさらずに」
「ではアイスコーヒーをお願いします、砂糖もミルクもいりませんので」
「かしこまりました。おかけになってお待ちください」
リサが部屋を出ていく。
すると、才賀の目がいっそう厳しいものになった。
「貴女が……退魔師でしょうか」
そう言って、ビビを見つめる。
どちらが退魔師かかなり迷ったようだが、最終的に年長に見えるビビがそうだと当たりをつけたようだ。
「その質問の答えはYESでもあり、NOでもあるわ。お初にお目にかかります、私の名前は霊光ビビ。退魔師の家系の人間ではありますが、この業界では『退魔腕』として名乗っております。ちなみに独身、彼氏募集中です。公務員なんて素敵だと思ってるわよ」
早口でまくしたてるビビを、才賀は――これは危ない相手だな――と認識したのだろう。「そ、そうですか」とちょっと引き気味だ。
「『退魔師』は俺だ。麻倉ヨシカゲ、この町の卵割りだ」
「ほう、君がか。若いとは聞いていたが、ここまで若いとは」
「ちなみに私は27歳よん。独身彼氏ぼしゅう――」
「おい、あんたはちょっと黙ってろ」
ビビはしょうがないわね、と両手を上げた。
その二人の様子を才賀はじっと見つめている。まるで獲物を狙っているかのようだ。
「あらためて自己紹介を。自分は刑事部捜査零科。才賀平八です。この界隈では『鬼平』の二つ名で通っています」
「あら、『鬼平』って聞いたことあるわー」
「池波正太郎だろ」
「じゃなくて。かなりやり手の刑事だって風のうわさで聞いたわ。それがどうして腑卵町に?」
「もちろん治安維持のためです」
流し目ぎみに才賀はビビを見る。
こういう荒っぽい男がする流麗な動作というのは、かなり艶がある。
ビビは、
「キャンっ!」
と、自分の心臓を抑えてソファに背中を預ける。撃ち抜かれた、ということだろう。
「それで、その捜査零科の人間はどんな捜査をするんだ?」
通常、刑事部とは捜査一課から四課、そして鑑識課と機動捜査隊の系6つに分かれている。だがこの才賀は捜査零科と言ったのだ。
「貴方がた退魔師と同じですよ」と、才賀は自身に満ち溢れた重低音で言う。「この世の怪異、イースターエッグの討伐。それが我々捜査零科の仕事だ」
いかにも好戦的に才賀はヨシカゲを睨んだ。
ふふん、とヨシカゲは鼻をならしてその視線をいなす。
「それはご苦労な事だな」
「麻倉ヨシカゲくんと言ったね、退魔師」
どこか子供扱いした言い方である。
「そうだが、あんたの名前なんだったか?」
これは煽りでもなんでもなく本当にヨシカゲはすぐさま名前を忘れたのだ。しかし『鬼平』という二つ名だけは覚えている。
リサが部屋に戻ってきて、テーブルにコーヒーを乗せた。
「どうぞ」
ついでにビビのコーヒーを追加する。
ビビはコーヒーを飲みながら、舐めるように才賀を見ている。
だが、その才賀はヨシカゲを睨んでいる。
「自分は警察だ、町の平和というのは警察が守る」
「そうかい」
「いいか、もう一度言おう。刑事部捜査零科、平賀平八。通称『鬼平』だ。危険な仕事があればキミは手を出すな。それは警察の仕事だ」
ヨシカゲの目が珍しく活力を持った。
「そうか、だが俺には俺の仕事がある。退魔師の仕事は俺が決める、あんたに危険なことはするなとか、とやかく言われることじゃない」
「そうか」
才賀はアイスコーヒーを一息で飲み干した。
「邪魔したな」と、席を立つ。
「あ、お帰りはこちらです」
リサが慌てて案内しようとする。
遅れてきたくせに、屋敷にいた時間はかなり短時間だった。
重い足取りで才賀は客間を出ていく。
「……強いわね」
ビビが、ポツリと呟いた。
「ああ」
才賀平八、二つ名のがつくという事だけで分かる。だがあの出で立ち、立ち振舞、そして内面から漂ってくるイースターエッグとしての自信。かなりの実力者だ。
「私と同格――あるいは」
「言うなよ、あんたも強いさ」
「ふふん、ありがとうね。ヨシカゲちゃん」
一波乱くるな、とヨシカゲは思った。
外は雨が降り出す。このまま嵐になるような予感があった――。
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