090 退魔腕1-3


       3


 腑卵町は三方を山に囲まれた盆地にある町である。


 山の名前は御伽山おとぎやま里継山さとつぎやま狂骸山くるがいさん


 その中の一つ、里継山からは大きな川が伸びている。その川は一級河川であり、町を二分するように流れている。川の名前はなんのひねりも洒落もなくそのまま「腑卵川」だ。


 その腐乱川の河川敷に、ヨシカゲとリサはいた。


「ここから入るのですか?」


「そうだ」


 河川敷には丸い排水溝がある。そこから下水道に入っていくのだ。


「一応……地図はもらいましたが」


 リサは市長からもらった真新しい下水道の地図を広げる。


「そんなものなんの意味もないさ」


「え?」


「この町の下水道は迷路だ。一度入ればもう二度と出られないなんて言うやつもいるくらいだ」


「では私たちも入ってはいけないのでは?」


「たとえ話だ。だがな、この下水道が生きているというのは本当だ」


「――生きている?」


「そう、この下水道は生き物だ。中の迷路はたえず成長しているんだ。だから地図なんて作っても無駄さ。一度出て、次の日にまた入ってみろ。とても同じ場所とは思えないぞ」


「ではこの地図も――」


「まあ持っておけ。俺の見立てだが、中心に近ければ近いほど成長は早く、地上に近い場所ほどあまり変わらないんだ。だからここから入ってすぐの時は地図だって役に立つさ」


 そもそもお前は入ってくるのか、とヨシカゲは聞いた。


「はい、付いていきますよ」


「珍しいな」


「まあ、楽しそうなので」


 ヨシカゲの服装は制服のままだった。リサもいつものゴスロリチックなメイド服。しかしその足元はゴム長靴で、手には長い手袋――オペラ・グローブをつけている。


 二人はライトをつけると、身をかがめて排水口から下水道の中へと入っていく。


 雨の日ともなればここから水が大量に出てきて危ないのだが、ここ数日は晴れが続いていたのでその心配はない。例のごとく、腑卵町での晴れとは一般での曇りのことだ。


「けっこう臭いがきついんですね」


「やっぱり外で待っておくか? 今なら簡単に引き返せるぞ」


「……いえ、乗りかかった船です」


「入りかかった下水道」


 リサはあまり面白くない、というか意味も分からないその言葉を無視した。いちおうヨシカゲなりの冗談のつもりだったのだが。


 少し進めば下水道の中が広くなってきた。


 中央に下水が流れ、左右には川岸のようにコンクリート舗装された歩くためのスペースがある。水かさが増えればそこも水浸しになるのだろう、壁にはヨシカゲの肩ほどまでに水苔が生えている。


 何度か分かれ道もある。


「地図によれば、この先は細くなっているそうです」


「ふむ、とりあえずはその地図を信じてみるか」


 そのようにして、できるだけ下水道の奥を目指す。


 これは町長の見立てであるが、ターゲットのアフリカの呪術師フンババは下水道の最奥に陣取っているという。


 だが問題は、その最奥まで到達することが難しいという事だ。先程も言ったがこの下水道は刻一刻とその姿を変えている。そういう意味では何をもって最奥とするかも分からない。


 ヨシカゲの持つライトは市販のものであり、使用できる時間はたっぷり20時間以上もある。だがリサの持つ特殊なライトは5時間しか使えない。


 二つのライトにはそれぞれ良し悪しがある。


 ヨシカゲのものは使用時間が長く、電池を入れ替えればどれだけでも使い続けられる。そして遠くまで照らすことができる。しかしその変わりに敵からも光りを発見されやすい。


 リサのライトは特殊なので、半径10メートルを昼間のように照らすが、その先に一切光りが届かない。これならば敵に発見されにくく、また足元も安全になる。ついでに言うと古めかしいカンテラ型をしているのでリサも気に入る。良いことづく目に思えるが、いかんせん特別なものなので手に入れるのには一苦労する。


 また、この二つを併用するには理由がある。



 ――カチッ。カチッ。カチッ。


 ヨシカゲの持つライトが接触不良でもおこしたように点滅を始めた。


「くそ、調子が悪くなってきた。リサ、携帯の電波は来ているか?」


「いまグローブをつけていますので」


 つまりスマホの画面が触れない、と。


 しょうがないのでヨシカゲは自分のスマホを取り出す。案の定、電波は届いていない。いつもはアンテナのマークが書いてあるところに、圏外、という文字が表示されている。


「外との連絡は絶たれたか」


 異界化した空間では文明の利器が使えなくなることは多々ある。だからこれは予想通りだった。そのためにわざわざ特殊なライトまで持ってきたのだ。


「良かったですね、このライト。フランさんが調達してくれたんですよね」


「まったく、バチカンのやつらはこんな人工の太陽みたいなもん作って何するつもりなんだかな」


 二人の共通の知り合いである。


「そういえばフランさんが、地下にはお城があるって言ってましたが。本当ですか?」


「あるかもしれんな。しょうじき、俺もこの下水道の全容は把握していない。というか誰もしてないだろうな。俺の父親の話じゃあ徳川家康の財宝が隠してあるとか。まあ眉唾だな」


「財宝ですか、じゃあ見つけたら山分けですね」


「俺はいらない」


 二人はつまらない会話をしながら進んでいく。


 この時点で地図はまったく役に立たなくなっていた。


 しばらくして――


「ご主人様、何か来ますが」


 鬼が出るか蛇が出るか。


 リサを下がらせて、ヨシカゲは刀を抜いて駆け出す。先手必勝の構えだ。

しかしその刀は止められた。


 対峙したのは霊光ビビ。ヨシカゲと同じ退魔を生業とする男女だ。


「あらぁ、ヨシカゲちゃんじゃない!」


 甘い香水の匂いがした。


 その瞬間、ヨシカゲは今日という日が人生で最悪の不運な日であると思った。それくらい、このオカマは苦手だったのだ。


 だが一方のビビのほうはというと、再開を祝していまにでも抱き着いてきそうなくらいだ。勘弁して欲しい、オカマに抱きつかれるくらいならリサに抱きつかれる方がマシだ。ヨシカゲにだってそれくらいの常識はあった。


 逆に、ビビには常識など皆無だろうが。



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