089 退魔腕1-2
2
不運というならこれほど不運なこともそうはあるまい。
放課後になってさあ家に帰るとと下駄箱を開けてみれば靴がなくなっていた。変わりに手紙が入っており、近所の公園に呼び出された。行ってみると頭の悪そうな不良が準備万端と待ち構えていた。これで待っていたが女の子なら少しはマシだったかもしれない。
「こっちは忙しいんだ。この後も仕事がある。さっさと靴を返せ」
別に大切な靴だとか、どこかのブランド品だとかではない。適当にリサが買ってきたスニーカーだ。しかし自分の靴である。それをいきなり盗られれば取り返そうと思うのが普通だ。
「ほらよ」
男は靴を放り投げてくる。
ヨシカゲはそれを空中でキャッチして、学校の内履きと履き替えた。内履きはしょうがないので砂をはらってからカバンの中に入れた。
「というか、どうして靴を盗んでいったんだ」
ヨシカゲは気になっていたことを聞いた。
「だって、ああすれば呼び出しに応じるだろ?」
俺って頭いいー、とドヤ顔で不良は言う。
「たしかにな」
これでもうこの男に興味はない。
「俺の名前は木戸タカヨシ!」
「そうか、じゃあな」
ヨシカゲは要件を済ませたと帰りにかかった。
「ちょ、ちょっと待てよ! おい、麻倉ヨシカゲ!」
不良――木戸はヨシカゲに追いすがってきた。
「なんだよ」
「なんで帰ろうとしてんだよ!」
「言っただろ、この後も仕事があるんだ」
「あ、お前バイトしてんのか?」
木戸は腑卵町の人間ではないのだ。したがって退魔師の仕事のことも知らない。
この腑卵町の人間からすれば怪異に遭遇することは珍しいことではない。しかし外の人間に対してそれは巧妙に隠されている。それは住民の共通認識として隠しているということもあるが、もう一つ。町長の暗躍もある。
「バイトじゃない。仕事だ」
「そうか、なら早く終わらせるか!」
木戸はそういやいなや、威圧するようにメンチをきってきた。
先程までとは雰囲気が違うが――いかんせんヨシカゲからすれば怖くはない。
「おいおい、てめえぇ!」と、巻き舌気味に言ってくる。
「……」
ヨシカゲは無言だ。というか面倒なので無視している。言いたいなら言うだけ言わせておこうとそう思っているのだ。
「てめえ!」と、木戸はもう一度言ってくる。
これは返事をしなければダメなのか?
「なんだ」
「てめえ、俺の幼馴染に手ぇ出したらしいな!」
分からない。ヨシカゲの頭は疑問符でいっぱいだ。ここまで混乱することもそう珍しい。もしかしたらこの木戸という男は日本語を離していないのではないかと思ったくらいだ。
「なんの事だ?」
「湯川ユイだ! まさか忘れたとは言わさねえぞ!」
正直、忘れた。
湯川といえばたしか委員長の名前だったはずだ。聞いたときに――ああ、そうそう。そんな名前だった。と、思った。
ちなみに「ユイ」という方は初耳だ。どこかで聞いたかも知れないが、本当に記憶から抜けていた。つまりは初めて聞いた事と同義だ。
「俺が委員長に、なんだって?」
「だから、手ぇ出しただろう!」
手を出した。
その言葉の意味するところはおおよそ三つだ。
1 暴力を振るう。
2 新たに物事をはじめる。
3 女性に対してなにかしらのアプローチを送る。あるいはそれが成就して行為にいたる。
どう考えても木戸が言っているのは3番だろう。だがヨシカゲは本当に心当たりがないのだ。委員長に手をだしたと言われても、まったくこれっぽっちも覚えがない。
「それは事実無根だな」
だから、正直にそう答えた。
「なんだとっ! 嘘いってんじゃねえよ!」
ああ、これはダメなタイプだなとヨシカゲは察する。
こういうタイプの人間はとにかく自分の考えにバイアスをかけているから、他人の話というものを聞かない。自分だけが正しいと思っているのだ。
そんな人間との会話は時間の無駄である。
「じゃあもうそれで良いよ」
と、ヨシカゲは適当に言ってまた帰ろうとする。
「てめえ、待ちやがれ!」
木戸が後ろから殴りかかってきた。
だが、ヨシカゲはまるで背中に目でもついているかのようにそれを躱す。
「あっ?」
むしろ殴りかかった木戸の方が驚いて、そのままドテンと転けた。
「なにしてんだお前」
ヨシカゲは振り返りため息をつく。
「くそぉ!」
木戸は立ち上がり、臨戦態勢だ。
こうしてみればなかなかガタイは良い。横幅もあるし、構えもなかなか堂に入っている。なにか格闘技でもかじっているのだろう。
「てめえ、マジで殺す!」
「あいにくと死なないんだ」
木戸が掴みかかってくる。
いっそのこと、このまま殴られるか投げられるかして相手の溜飲を下げさせるのも一つかとヨシカゲは思った。
だが、木戸が今まさにヨシカゲの襟首をつかもうとしたその瞬間、
「こらあっ!」
という一喝が轟いた。
見ればいかにも委員長という顔をした湯川ユイがそこにいた。今どき流行らない三つ編みに瓶底のメガネ。胸は控えめだが、その分体型はスリムだ。
「ひいっ!」と、木戸は面白いくらいに驚いて跳ねる。
「キッくん! やっぱり麻倉くんを呼び出してた!」
一瞬だけ驚いた木戸はすぐに気を取り直したのか、「悪いかよ!」と、委員長に対して悪態をついた。
「だから、キッくんの勘違いだって言ってるでしょ! 私は麻倉くんには何もされてないわよ!」
「でもこの前、深刻そうに悩んでたじゃねえか! ため息も付いてさ!」
「だからってなんでこうなるのよ!」
「だ、だって……おめえがあんまりにも落ち込んでたから、こりゃあきっと付き合ってた男に浮気でもされたんだと思って――」
「つ、付き合ってないわよ! 私と麻倉くんはただの友達だって! そう何度も説明してたでしょ!」
「そりゃあおめえ、幼馴染の俺には言いづらいこともあるだろうから遠慮して」
「なんで私がキッくんに遠慮しなくちゃならないのよ、この馬鹿っ!」
ヨシカゲはまったくの蚊帳の外だった。
二人で仲良く喧嘩している。
はあ、とあくびをひとつ。さっさと帰ろう。
「じゃあ、後はご両人で」
そう言い残して三度帰ろうとする。
「あ、てめえ待ちやがれ!」
しかし、木戸に目ざとく止められた。
「なんだよ、もう良いだろ。お前の勘違いだって委員長もそう言ってるんだから」
「うるせえ、ここまでやって後に引けるか!」
木戸は懐からさっとナイフを抜いた。
「ちょ、ちょっとキッくんっ! バカ、やめなさいって!」
「うるせえ、女はすっこんでろ! おら、麻倉! 本物のナイフだぞ、怖ぇだろ! 今ならユイに謝れば許してやる!」
「何を謝れば良いのやら。でもまあ、とりあえずごめんな」
「誠意がこもってねえんだよ、せ~いが!」
委員長は困ったようにおろおろしているだけだ。
しょうがない、と俺は竹刀袋をかかげる。自衛のため、致し方なくだ。
「な、なんだよ。竹刀でも出すつもりかよ! よ、よく見ろよ! こっちは刃物だぞ! 当たれば痛いじゃすまねえんだぞ!」
「それが分かっていて抜いたんだろ?」
だから俺も抜くのだ。
竹刀袋から退魔刀を取り出し、抜刀。
鈍く光る刀はともすれば美しい芸術品のようだ。
しっかりと青眼に刀を構える。
「さあ、こいよ」
俺の動作に、木戸は目を丸くした。
「待て! 待て待て待て待てっ!」
「なんだ?」
そちらから抜いたのだろう。何を待てば良いのだろうかヨシカゲには分からない。
「なんでポン刀が出てくるんだよっ! ありえねえだろ!」
「この腑卵町じゃありえない事なんてざらに起こる」
「いや、だからって! 銃刀法とかどうなってんだ!」
「お互い様だ」
「あ、そっか。って、ちが~う! ダメだろ、それは! リーチの差がありすぎる!」
「だからどうした? 来ないならこっちから行くぞ。時間もおしてるんだ」
木戸は迷う素振りを見せると……
カラン。
ナイフを落とした。
「分かった、降参だ! くそ、殺したきゃ殺せ! だがユイは見逃してくれっ!」
なんだこいつは?
ヨシカゲはそう思いながら退魔刀をしまった。
「見逃すもなにもなあ……おい委員長。こいつ、ちょっと頭おかしいんじゃねえのか?」
「まあ、頭が弱いことは否定しませんけど……」
「はあ……俺は帰るぞ」
木戸はまだ何やらと叫んでいたが、もう構っていられない。
靴も戻ってきたし、帰るべきだ。
「じゃあ、また明日ね麻倉くん」
委員長がそう言うので適当に手を振る。なんだか疲れた気がしていた。
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