088 退魔腕1-1
1
思うに、その日は朝から不運続きだったのだ。
目覚まし時計が鳴らずに、早朝からリサの甘ったるい声で叩き起こされた。甘いものは好きだが、女の甘ったるい声というのは胃もたれしそうになるヨシカゲである。
居間に行き、リサが「今日の星座占い、牡牛座は12位ですよ」と、言わでもなことを言う。それに対して「そうか」と適当に答えた。
健全な食卓には朝からリサの手料理が。
ヨシカゲはテレビをつけるだけで見るでもなく朝食をとる。
もしこの光景を第三者が見れば、まるでマネキンがものを食べているのかとギョッとするだろう。
テレビでは地方のCMがやっている。なんでも腑卵町の美術館に古代のミイラが展示される予定だとか。
「ご主人様、こういうの興味あります?」
「あるように見えるか?」
「ぜんぜん」
食事中にかわされた会話はそれだけだった。リサはヨシカゲが食事を摂る間、なにもせず突っ立ていただけだった。
さて、食事の後は学校に行かなくてはならない。
3月も半ばを過ぎていたが、腑卵町はまだまだ寒い。
「学校までクルマで送ってくれ」
首をふられた。
「すいません、ご主人様。どうにもクルマの調子が悪くて」
別にヨシカゲに運動をさせるための嘘ではない。本当にロードスターの調子がよくないのだ。
「そうか」
しょうがないので歩くことになった。雪はもう無くなってので歩くことはたやすい。だが体力を温存するためにもクルマで登校したかったのだ。
夕方から地下の下水道に潜ることになっていた。
外に出ると、嫌な視線を感じた。
――誰かが俺のことを見ている。
誰だ、分からない。だが心当たりなんて五万とある。退魔師なんてことをしていれば感謝されることもあるし恨まれることもあるものだ。
しかしその視線は今すぐにヨシカゲをどうしようというものでもなかった。
だから彼はそのまま気にせずに歩いていく。
途中、コンビニによって甘い飴玉を三袋買った。それを舐めることはせず噛み砕きながら歩く。
視線は、なくなっていた。
なんだったのだろうか? 考えてみたが何も分からない。分からないことは考えないに限る。
「あ、麻倉くん。おはよう」
「うん……? 委員長か」
学校の近くでクラスメイトの女の子に声をかけられた。名前を思い出そうとしたが、無理だった。だから彼女のクラスでの役職としての「委員長」が思い出せたのは
「おはよう」
「うん」
「今日はクルマで来てないの?」
「まあな」
時々ヨシカゲは不思議になる。こんなにつまらない返答しかしない人間と話していて何が楽しいのだろうか? だけどヨシカゲと話している女の子は笑顔でいることが多い。それがどのような感情かヨシカゲは自分の感情をもとに理解することはできない。だが経験によって想定することはできた。
「あ、見てよ麻倉くん。桜の花がほころんでるわ」
「ふうん」
もうそんな季節なのだ。
来週からは春休み。桜も時期に咲く。
ヨシカゲは桜という花が嫌いだった。昔からそれを見ているとどこか自分の心がかき乱されるような気分になるのだ。どうしてだろうか、最近では見るたびに母親のことも思い出してしまう。だから見たくない、とできれば思っている。
それが恐怖という感情に近いことを、ヨシカゲはまだ知らない。
「そういえばね、麻倉くん。ちょっとだけ相談があるんだけど……」
「またペット探しか?」
昨年の夏頃に、委員長にそのようなことを頼まれたことがあった。
「ううん、違うの。お願いじゃなくて、その……ちょっと気をつけて欲しいっていうか」
「なにがだ?」
委員長は何かを言おうとして、しかしすぐにやめたようだった。
「立ち話もなんだから――」
そのまま歩いて学校へと到着した。
この時期、高校には2年と1年しかいない。3年生たちは卒業し終えたのだ。だからヨシカゲたちは実質的に最高学年だった。
「来年の1年生はどんな人が入ってくるかな」
「さあ」
「テニス部もたくさん人が増えれば良いなあ」
そういえばこの委員長はテニスをしていた。そんなこと興味もないのですっかり忘れていたが。
流れで委員長と二人教室まで行く。もう登校していたクラスメイトたちが一斉にこちらを見て、すぐに目をそらす。
いつもの通り、ヨシカゲはある種はれものとして扱われていた。
教室の窓際、一番うしろの席に座る。たいていは不登校なんかの特等席として扱われる場所だが、この教室ではヨシカゲの席だ。
「それでね、麻倉くん。ちょっと気をつけてほしいことがあるの」
「気をつける?」
委員長は席に座るヨシカゲに対して自分は立って話しかける。
「うん。そのね、私の幼馴染がいるんだけど」
「幼馴染がいるんだけど」
と、ヨシカゲはオウム返しに言う。たいして真面目に話を聞いていないときはこうする。
「その幼馴染がね、なんだかちょっと勘違いしちゃって。それで……ちょっと麻倉くんに怒ってるのよ」
「怒ってるねえ」
どうして俺が、とヨシカゲでなくても思うだろう。
いきなりクラスメイトの幼馴染が自分に対して敵愾心を抱いていると言われた。それはもう他人といっても差し支えのない関係性の相手だ。
「それで、そいつは怒って俺に闇討ちでも仕掛けてくるのか?」
「もちろんそんな事させないわ。私がちゃんと言って聞かせるから。でも、昔からすぐに暴走することのある人だから。もしかしたらと思って」
「そいつ、男か?」
話しぶりから察するに女の子というわけではなさそうだ。
「そうよ。あ、でもそういうのじゃないから!」
「そういうの?」って、なんだ?
「そういう関係じゃなくて、本当にただの幼馴染なの! ちっちゃい頃から家が近所でさ、よく遊んだりしてて。中学も一緒だったから今でもたまに顔をあわせるだけ。もう腐れ縁ってやつで、別に本当にこれっぽっちも私はなんとも思ってないの」
そんなに必死で否定されているのをみると、その男の方が可哀想になってくる。
しかしとにかく、委員長は自分と幼馴染の関係が深いものではないと強調したかったようだ。
「そうか」
と、ヨシカゲが言うとホッとしたように胸を撫で下ろした。
「暴走気味の人だから、麻倉くんに危害を加えるかもって」
まさか、とヨシカゲは思った。
――俺に危害を加えられるやつなんてイースターエッグだけだ。
あるいはその幼馴染が何かしらの能力を持っているかもしれないが。
「なあ、委員長ってこの町の人間じゃないよな?」
「ええ」どうしてそんな事を聞くの、と委員長は首を傾げながらも答えてくれる。「隣の隣の町よ。電車だと二駅ね」
つまり遠くはない。
そして腑卵町の出身ではない。
ということは、幼馴染もそうだろう。
これで相手が腑卵町の人間ならばヨシカゲはイースターエッグを疑ったが、よその人間ならばその可能性は格段に低くなる。
どう考えてもヨシカゲが心配するようなことではないのだ。
だからヨシカゲはその日の夕方まで、そんな話を忘れていた。
だが、この日のヨシカゲは不運だったのだ。
放課後、家に帰ろうと昇降口へ。靴箱から靴を取り出そうとするとハラリと一通の手紙が落ちた。すわ恋文か、と思うほどヨシカゲは剽軽な人間ではない。
見もせずに捨て去ろうと思ったが、もしかしたら町の人間からの依頼でも書かれているかもしれないと思い、一通り目を通した。
一通り、といっても短い手紙だ。
手紙にはえらく右上がりの汚い文字で、
『放課後腑卵第一公園にて待つ』
と、書かれていた。
もちろん無視するつもりだった。
だがヨシカゲの足は自然と腑卵第一公園へと向かっていた。それも内履きのままで。
「よく来たな、麻倉ヨシカゲ!」
腑卵第一公園でヨシカゲを待っていたのは、いかにも不良といったガラの悪そうな男だった。
ヨシカゲはため息をついて開口一番――
「とりあえず俺の靴を返せ」
と、言い放った。
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