退魔腕 ~Demon hand~

087 退魔腕 ~プロローグ~


   プロローグ


 暗い下水道の中をヨシカゲはライトを持って先行している。後からはリサが静かについてきている。


 腑卵町の地下には迷路のような下水道が広がっているというのは有名な話で、年に何度か子供たちが忍び込んで行方位不明になるのだが、今回二人がこの場所に入ってきたのは子供を探すためだなんてチンケは話しではない。


「嫌な臭いですね」


 リサが呟いた。


 ヨシカゲはその言葉に肯定も否定もしない。変わりに、


「静かにしろ」


 と、リサに注意する。


 そもそもリサがついてきた事がヨシカゲには驚きだった。いつも自前のゴスロリドレスを大切にしていて、それに似たメイド服も大のお気に入りなのだ。ヨシカゲがちょっと触るだけで怒りだすことすらあるくらいなのに、こんな汚らしい下水道に潜ってくるとは。


「敵はどこにいるんでしょうか」


「それが分からんからこうして探しているんだ」


 ここには瘴気のようなものが蔓延している。そのせいでイースターエッグの気配がまったく感じられない。厳密にはどこもかしこもその気配だらけで違いが分からないのだ。


 だからこうして足を使っての捜索作業になっている。


 今回のターゲットはアフリカの呪術師フンババ。依頼主はいつも通り町長から。なんでも、数日前からこの下水道で何かをしているらしい。


 ヨシカゲへの依頼はフンババが地下で何をしているかの確認。そしてもし腑卵町に仇なすことをやっていた場合はそれを排除することだ。


 この町は基本的には住人の自主性を尊重する。だからそのフンババという呪術師が、たとえば下水道に勝手に家を建てていて生活を初めていたとしてもヨシカゲは何もしない。


 だが問題は、そこで何か良からぬことを企んでいた場合だ。


 これはもう斬る。問答無用だ。


「ご主人様、何か来ますが……」


 気付いたか? とヨシカゲはリサを見つめる。


 リサはそれ以上なにも言わず、ライトをオフにした。ヨシカゲもライトを切る。あたりを暗闇が支配した。そして静寂――。


 その静けさの中、カツン、カツンという音がかすかに聞こえてくる。


 距離はどれほどだろうか?


 ――カツン。


 ――カツン。


 ――カッ。


 どうやら立ち止まったようだ。


 ヨシカゲは刀を抜き、リサに下がっていろと手で示す。


 相手もこちらの事を気付いているのか?


 嫌な気配がした。こんな場所にこんな嫌な気配を漂わせて来るやつは絶対に敵だ。そう確信した。


 暗闇に目をならすように瞬きをする。準備完了。


 ヨシカゲは猫のように音を立てずに歩き、曲がり角が見えた、この先に敵がいる、先手必勝だ、一気に駆け出し角を曲がり敵に向かって刀を振り下ろす。


 だが――



 ガキッン!



 ヨシカゲの振り下ろした刀は相手の脳天を割れなかった。見事に防がれてしまう。


 ――しくじった?


 相手のそれは小太刀だろうか、かなり短い。


 咄嗟の判断でバックステップ、牽制のために横薙ぎに刀を振る。だがそこは相手も深入りをしてこない、刀をスレスレで躱し間合いの外まで下がる。


 敵は左手を上げたファイティングポーズをとる。しかし通常のものとは違い、右手はだらりと下がっている。そして上げられた左手には逆手に小太刀を握っていた。


 その小太刀が、暗闇の中で鈍く光った。


 その光り方をヨシカゲはよく知っていた。


「退魔刀……だと?」


 ヨシカゲの声を聞いて、敵が何かに気付いたようだ。


「あらんっ? もしかしてヨシカゲちゃん?」


 背中に悪寒が走った。


「たらっ!」


 相手を殺す気で刀を振る。


「ちょっと、ちょっと。私よ、わ・た・し!」


 しかし相手は難なくそれを躱す。


 ならばもう一度。しかし何度やっても無駄だった。ヨシカゲの刀は暗闇の中を空振る。


「もう、危ないじゃない」


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくの声。


 ぞっとするような甲高さ。いかにもな裏声だ。その声を聞いているだけで頭が痛くなる。


「ヨシカゲちゃん、久しぶりね!」


 その男――男だ――はヨシカゲに抱擁しようとしてくる。


 ヨシカゲは踵を返し走り出した。もう一度角を曲がりリサに「おい、逃げるぞ!」と言う。


「逃げる、ですか?」


 珍しいことを言う、とリサが首を傾げた。


「あいつは苦手なんだよ」


 これはヨシカゲの本音だった。


 感情なんてないヨシカゲであるが、この世に苦手な人間――あるいはバケモノ――が三人いる。


 一人はJFCの淡島ヒルダ。


 そしてもう一人は彼の師匠。


 そして最後の一人はこの不気味な男女、霊光れいこうビビだ。


 この三人はとにかく別格だ。ヨシカゲにとって町長の比じゃない、蛇蝎だかつのごとくという言葉はこの三人のためだけに用意されたものだと思っていたくらいだ。

「ちょっとヨシカゲちゃんったら。早いわよん」


「あら、ご主人様のお知り合いでしたか」


 リサがライトをつけた。リサの使っているライトは特殊なもので、半径10メートルはかなりまばゆく照らされるのだが、それ以上になると光りが届かないというものだ。いわゆる魔術道具のたぐいである。


 その光りに照らされたビビは長身をくねらせ、まるでスポッライトでも浴びたようにポーズをとってみせた。


「どうも、はじめまして。霊光ビビです」


「オカマのかたですか?」


 リサの歯に衣を着せない物言いに、ビビはノンノンと指を振った。


「オカマじゃなくてシスターボーイ。貴女はヨシカゲちゃんの……メイドさん? 可愛いお洋服ね」


「ご主人様、このかたは良い人ですね」


「そうかよ」


 リサの場合は服を褒めてくれる人は全員が良い人なのだ。


「それにしてもヨシカゲちゃん、こんな場所で何してるのよ?」


「それはこっちのセリフだ。ここは腑卵町だ、俺の町だぞ」


「あら、そうだったの。あいつを追ってたらこんな場所まで迷いこんでたのね。まるで私ったら、ふしぎの国のアリスだわ」


「ふざけるな。てめえ、俺の町に勝手に入ったな」


「後で挨拶に行くつもりだったのよ。それよりもあいつをさっさと処理しなくちゃ」


「あいつって誰ですか?」と、リサ。


「フンババっていう呪術師よ」


 嫌な予感が強くなった――。


「なぜ、お前が追っている?」


 ビビは今までずっと浮かべていた薄笑いを辞めた。


「あいつを止めなくちゃ、この世界が滅ぶからよ」


 その言葉は暗い地下道にこだまして、そして消えていくのだった……。


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