076 悪魔3-2


        2


 妙な夢を見た気がしたが、目を覚ました瞬間にはもう内容を忘れてしまった。


 ――なんだかヨシカゲの事を夢に見た気がするんだけども。


 けれどそれも定かではない。


 ベッドから半身を上げる。素晴らしい目覚めだ。この町に来てから悪夢を見ない。良い事である。


 しかし先日東京に行った時はひどかった。久しぶりに悪夢を見たのだ。ヘルマントトスに責められる夢。きっと心の中に自分が卑怯な事をしているというわだかまりがあったのだろう。


 だけどそれも、この町では大丈夫だ。


 それよりも今はヨシカゲだ。


 なぜ夢にまで見たのだろうか。花園は自分がヨシカゲの事を気にしているという事がどうにも納得できなかった。たしかに先日ヘルマントトスに対して斬りかかって行った時は胸がキュンとしたような気がするが、それだってその時だけの事で――。


 けれどそれから、暇があればヨシカゲの事を考えるようになっていた。


 花園は今まで恋というものをしたことがない。だから自分の感情がどのようなものなのか、それが分かっていないのだ。


 ちなみに、花園の感情の中で不自然に開いていた恋の扉は、リサが消し去った。だが人間の治癒能力――それはいうなればケガをした時にある程度ならば放って置いても治るのと同じようなものだが――によって感情の扉が再構築された時それは閉じなかった。開いたまま再生したのだ。


 だがもしヘルマントトスの能力によってそれが開いていたのだといしたら、それは自然に閉まるはずだった。だがその扉は今も開いている。という事はやはり花園はヨシカゲの事が気になっているのだ。


「まったく何だって言うのよ。夢の中にまで現れてさ。迷惑なやつね」


 ヨシカゲの事を考えるだけで、胸がドキドキした。


 そういえば昨日は会ってない。高校が休みで、花園はずっと家に居たのだ。彼女に残された期限は10日ほどに迫っていた。


「まったくさ、こんな可愛い女の子が困ってるんだから。すぐに助けなさいよね」


 文句を言いながらシャワーを浴びる。


 出てから軽く化粧をして、髪を結ぶ。


 今日は日曜日だ。あいにくと部屋の窓から見える空模様は曇っている。けれど外に出て見ようと思っていた。月曜日からまた仕事で少しの間東京に行くのだ。その前にヨシカゲに一度会っておきたかった。


 けれどいいきなり家に行くのも「いかにも」という感じがして嫌だ。なので適当にショッピングでもして、さもついでのようにヨシカゲの住む屋敷に行こうと思っていた。


 どうせ日曜日でも家にいるんだろう、と花園は勝手に思っていた。その予想は正解だ。ヨシカゲは退魔師としての仕事がないかぎり、たいてい家にいる。


「あいつ、私がいきなり来たら驚くかしら? 喜ぶかしら?」


 そんな事ないと分かりつつも、少しだけ期待してしまう。


 花園からしてみればヨシカゲは生まれて始めて出会った、自分に反応しない人間だ。これまでちやほやされ続けてきた花園にとって、それだけでもうヨシカゲを特別視する理由になる。


 鼻歌交じりに化粧をする。


 良い日曜日だ。


 アイラインをひいた時、呼び鈴が鳴った。


「はいはい、誰かしら。新聞の勧誘だったら承知しないから」


 独り言を呟きながらドアの前まで行く。このマンションは前に住んでいた場所とは違い、モニターで来客を確認できるなんて便利な機能はない。なのでドアの覗き穴から誰が来たのか見る必要があるのだ。


 女子高生――それも超人気声優の一人暮らしとしてはいささか問題のあるマンションだ。


 当然、花園も警戒はしている。というか正直、扉の前にいるのが男であろうと女であろうと、見知らぬ人ならば居留守をつかうつもりだった。


 だがドアの向こうに居たのは花園もよく知っている人物だった。というか、まさかの人物でもあった。その分嬉しくもある。


 そこにいたのは麻倉ヨシカゲだった。


 ヨシカゲは無表情でもう一度チャイムを押す。居間の方からやけに甲高い音が聞こえる。


 ――私はここにいるのに、チャイムなんて押しちゃって。


 そんな無駄な行為をするヨシカゲが無性に可愛く見えた。


 もうちょっとじらそうか、それともすぐに出ようか。わくわくする気持ちを抑えて深呼吸する花園。よし、もう一回チャイムを押したら出てあげよう。


 そう思って覗き穴を凝視する。


 だがヨシカゲはあろう事か、そのまま帰ろうと踵を返してしまった。


 これに慌てない花園ではない。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 焦ってドアを開ける。化粧がだいたい終わっていて良かったわ、と心の中で思った。


 ヨシカゲは無表情でゆっくりと振り返る。


「よぉ」


「よぉ、じゃないわよ! なんで帰ろうとするのよ!」


「お前が出てこないからだ」


「出てこないってなによ」


「いや、そこにいるのに出てこないから、出る気がないのかと思ってな」


 花園の顔にさっと朱がさした。


 気づかれていたのだ。


「知ってたんなら声でもかけなさいよ! というかなんで分かったのよ」


「なんで? そんなの気配で分かるだろう」


「分かるわけ無いでしょ! 漫画に出てくる達人じゃあるまいし!」


「それで、なんで出なかったんだ?」


「別に、なんでも良いでしょ」


 本当の事など言えるわけがない。


 花園は直視しないように、ちらちらとヨシカゲを見る。本当に美しい男性だった。よく水も滴るいい男と言うが、確かにそのとおりだ。具体的にどう滴るかは内緒だが。


 今日のヨシカゲはエリのついた黒いシャツに白いサマーカーディガンを着ていた。時期外れだが、それくらいの方がこの男には似合った。下はタイトなジーンズで、その容姿の良さも相まってまるでモデルのようだ。けれど帯刀だけがやはり浮いている。


「で、なにしに来たの? きょ、今日は日曜日なのだけど。それとも私の事、休日も守ってくれるの?」


 声が上ずらぬよう、慎重に言う。


「知ってるさ。それともなにか? 学校に遅れないように朝から迎えに来たとでも思ったか。そういや昨晩見たアニメでそんなシーンがあったな」


「茶化さないでよ」


「連れていきたいところがある」


 唐突に言われた言葉に、花園は心を射抜かれた。


「え――それって。もしかしてデート?」


 ヨシカゲはそうだ、とも、違うとも言わない。ただ無表情で花園を見ている。


「ちょ、ちょっと待って! まだお化粧の途中だから。すぐに終わるから待ってて!」


「なんだ、だから出てくるのが遅かったのか。まさか迷ってたのか、出ようか出まいか、それが問題だ。まったく、リサと言い女というのはこれだから――」


 ヨシカゲが何かを言っているが花園には関係がない。とにかく早く化粧を終わらせなければヨシカゲがまたどこかへ行ってしまいそうで、それが怖かった。


 手早く化粧を済ませて見直しを二度する。


 可愛らしい服に着替えると外に出る。


「お待たせしました」と、どこか高慢に言って、花園はサングラスをかけた。


「待たせたという認識があるなら別に良い」


「それで、どこに行くの?」


「うん、まあすぐ近くだ」


 あたりを見る。あの無口メイドの姿はない。


 しかしまだ安心はできない。


「今日は、あのメイドさんは?」


「リサは屋敷で掃除をしている。なんだ、会いたいのか?」


「まさか」


 やった、これで二人っきりという事だ。


 じゃあ行くかとヨシカゲは前を歩いていく。エスコートもなしだ。けれどそれがヨシカゲらしい。


「ねえ、本当にどこに行くのよ? 教えてくれないと貴方、人さらいよ」


 マンションを出て、駅前の商店街へと。しかしそれは寂れている。花園は初日にそこにある呉服店で制服を受け取ったから、商店街の閑散ぶりは知っている。


 それでもこの腑卵町では唯一の商店街である。少し離れた場所にはスーパーもあるが、地元の人は未だにこの商店街で買い物をすることも多いのだろう。


 だがその寂れたシャッター商店街の一角に、洒落たカフェがあることを花園は知らなかった。


 へえ、こんなものもあるのね、と花園は思う。バルコニー付きの二階建て。外からでも分かる、綺麗に掃除された店内。道に面したオープンテラス。惜しむらくは外の景色があまり余録しないことだが、それでもこんな田舎町では上等のものだった。


「もしかしてここ?」


「あー? ああ、その店な。半年くらい前によそから来たやつが建てたんだ。まあまあ繁盛してるらしいな」


「へえ」


 確かに、まだ早い時間だが若い人の姿が何組かある。高校生だろうか、それとも大学生だろうか。


「でも、俺たちが行くのはここじゃない」


「えー、なんでよ。いきたいわ」


「なら後で一人で行け」


 花園は「つれないわね」と頬を膨らますが、ヨシカゲは何も言わない。


「カフェで茶なんぞ飲んでる場合なのか。ヘルマントトスはもう10日程で来るんだろ」


「確かにそうだけど……でも守ってくれるんでしょう?」


「もちろんだ。そして今日はそのために出てきた」


「へえ」


 洒落たカフェから少し行ったところに、その店はあった。


 比較的小さな店だ。店名は「ドラキュル・ナディア」とある。だがその文字は達筆な英語の筆記体で書かれており、ひと目では読むこともできない。


 店の入り口には華麗な煌めく装飾。いうなればお城のミニチュアのようなものだ。しかも店の周りには茨のようなものがつたっている。きちんと剪定しなければすぐに甲子園球場のようになりそうなものだが。


「眠れる森の美女の城、ってところね」


「言い得て妙だな」


 外から覗ける店内から見るに、どうやら服のセレクトショップのようだが、売られている服がまた凄い。いわゆるゴシック・アンド・ロリィタと呼ばれる服である。

華美なレースやフリルには生が。退廃的な雰囲気には死が。その相反するもの二つを取り込んだ、日本発祥のサブカルチャー。今でこそ下火になったものの、一時期オタク業界にもその波は来ていた。花園も何度かアニメでそういったキャラクターを演じたが、実物を見るとやっぱり違う。アニメでは表現できないほどの存在感、派手々々しさがそこにはある。


 こういった服装を好む女の子は、確かに一定数いる。声優業界でも私服がロリィタだと公言している者は、それを写真に収めてネットにアップしている。そうすれば童貞丸出しのファンどもはブヒブヒと喜ぶのだ。


「へえ、こんな店が。まさか服でも買ってくれるの」


 花園の好みではないが、もしかしたらヨシカゲはこういうのが好きなのかもしれない。そういえばメイドのリサもこういう服を着ていた。いかにもアニメチックなメイド服。

「なわけあるか」


「じゃあなんでこんな場所に?」


「ここに居るんだよ、対悪魔用のアドバイザーが」


「へえ」


 悪魔用というか、むしろ悪魔でもいそうな雰囲気の店である。


 ヨシカゲに続いて、花園は恐る恐る中に入る。


 そこには女の子が幼い頃に夢見た世界が広がっていた。

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