075 悪魔3-1


        1


 小さい頃、アニメのキャラクターの真似をしてよく両親に褒めてもらった。


 似ているねえ。


 ミナは天才だねえ。


 将来は声優さんかな?


 仕事が忙しくて、たいして合うこともない両親だった。けれど、会うたびにそういうふうに褒めてもらっていつしか花園もその気になっていった。


 彼女には才能があった。夢のスタート地点に立つだけの才能が……。しかしその後は、実力だけではどうにもならない、運だけでもどうにもならない、容姿だけでもどうにもならない。三位一体、そして何よりも人気がなければ――人気がなければ人気になれない。そんな矛盾した業界である。


 だから彼女はスターと地点から進めなかった。その場所で足踏みして、そして悪魔との契約という禁忌に手を出した。


 しかしそれは命と引き換えの契約。その契約を結んで幸せになれるものなど――いはしない。





 花園は夢を見ていた。幼い頃の夢だった。


 まだ背丈の小さな花園は、両親の大きな背中に語りかけていた。


「ねえ、お父さん。お母さん」


 しかし両親は何も答えてくれない。


「無視しないでよ!」


 叫んでも無反応だ。


 やがて花園はべそをかき出した。けれど子供が泣いていても、両親は全く花園に無関心だ。


 夢というのは不思議なもので、実際にはそんな素振りをみせていなくても何となく感じてしまう――いうなれば夢の中の設定が存在する。両親はただそこに背中を向けて立っているだけなのだが、花園からすれば両親は仕事をしているという事になっていた。


 仕事にかまけて構ってくれない両親。その二人に花園は必死で自分の存在を主張する。


「ミナね、ミナね、声優さんになりたいの!」


 その言葉でやっと両親は振り返った。


「声優……?」


 父と母、どちらかは知らないがそう呟いた。もしかしたらどちらもが同時に口を開いたのかもしれない。


「うん!」


 反応してくれたのが嬉しくなって夢の中の花園は満面の笑みを浮かべた。


 だがその後の対応は芳しくなかった。


 父はため息を付き、母は嘲笑ように鼻を鳴らした。


「ミナ、いつまでそんな夢みたいなこと言っている」


「そうよ、ミナ。声優になんてなれるわけないじゃない」


「そろそろ現実を見なければダメだぞ」


 両親は口々に花園を批難する。そうされると、花園はまた泣きそうになった。いや、泣き出してしまった。


 花園が泣けば泣くほど両親の目は冷たく、そして面倒臭そうになる。


 子供の話など聞いていられないというのがありありと伝わってきた。


「――なれるもん」


 それでも花園は、自分の夢を捨てなかった。それが叶うものだと信じていた。



「なれませんよ」



 やがて、花園を糾弾する声は両親のものではなくなった。


 耳まで口が裂けている悪魔、ニヤニヤと笑いながら花園に「なれない」と断定する。


「貴女様は声優になどなれない、貴女様が望んだような、ね」


「なれるわ!」


「わたくしの力を使って? 貴女様の実力では絶対に無理ですよ」


 水掛け論である。だからこそ、花園は負けるわけにはいかなかった。


 しかしヘルマントトスの幻影は口汚く花園を罵る。「あばずれ」「ブス」「枕声優」そんな言葉のどこに根拠があるものか。しかしこれは夢である。不思議と花園も心当たりがあるように思えてしまう。


 何も言い返せなくなった。


 それでもヘルマントトスは口撃をやめない。それは本当に花園の心が創り出した幻影だろうか。否、ここに居るのは実際の悪魔である。


 花園が連日見てしまう悪夢。


 それは夢の中でヘルマントトスに責められるというものだった。


 解決策などない。ただ朝が来るのを待つだけ。


 それは深い闇の中に長いこと沈んでいるような絶望。


 だが、腑卵町ではその闇にも光明が差す。


 誰かが花園の手を引いた。


 ヘルマントトスが忌々しげな顔をして舌打ちをする。


「――ッチ。またですか」


「こっちだ」


 しわがれた老人の声だった。


「え?」


「早く、こっちへ」


 言われるままに手を引かれていく。闇の中から逃げていく。救われる。


 気がつけばそこは光に溢れる空間だった。こうなればもう悪夢ではない。


「大丈夫だったかい?」


「貴方は――?」


 老人は薄く笑った。


「言ってもどうせ忘れますから」


 バター色の目をした老人だった。柔和な口元には白い髭が生えている。格好は古めかしいダブルの白いスーツで、時代錯誤のパナマ帽を被っている。なんだか戦後の闇市で顔役をしてそうな不思議な貫禄がある。


 けれど、なによりも目をひくのはその腰に差された日本刀だ。花園はその帯刀を見て、どこかで見た気がしてならなかった。


 そして老人の雰囲気も、なんだか見知ったものであるように思える。


 誰かに似ているのだ。


「さあ、早く行きなさい。そこの扉を開ければ目が覚めるから」


 老人が指差す先にはピンク色をした扉があった。


「あの、せめてお名前を」


「やれやれ、困ったお嬢さんだ。どうせ夢から覚めれば忘れるというのに。それに名乗るのはこれで三度目なんだがね」


「そうなんですか……すみません。何度もお名前を聞いてしまって。ということは、私は何度も貴方に助けてもらっているんですか?」


「そうだね。お嬢さんは毎晩のように悪夢を見るようだから、私もやりがいがあるよ」


「それは、ありがとうございます」


「良いとも、それが私の仕事だからね。名前だったね、一応名乗っておこう。麻倉と申します。忘れてもらっても結構ですよ」


「麻倉さん――」


 やはりどこかで聞いた名前だ。


「ではお嬢さん、さようなら」


「あ、はい」


 花園は扉を開ける。そして彼女は夢から覚める。


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