062 悪魔1-2
送迎に使われたのは、いつもの高級ミニバンではなく、城山のマイカーだった。
「なによ、こんなクルマ」と、思わず花園は文句を口にした。
「すいません、なにぶん他で出払ってまして」
「ふん、事務所も露骨よね。使いにくい私を島流しにしたつもりなんでしょ」
「そんな事ありませんってば。花園さんは押しも押されもせぬうちのエースですよ」
まあ、そうだろう。
人気、売上、演技力。何をとっても花園は事務所内、いな、声優業界一と言っても過言ではなかった。
今回の引っ越しだって東京からは離れるが、それでも新幹線を使えば一時間も掛からずにここまで来られる。殺人的なスケジュールは少しばかり過密さを薄めるが、むしろその方が花園のためになるだろうと事務所の社長も考えていた。
――花園くん、最近疲れてるみたいだから、空気の綺麗なところでのんびりするのも良いよ。
とは、社長の弁だ。
言われなくても分かっている、と花園は思った。
「じゃあ乗ってください」
城山が空色のコンパクトカーの扉を開ける。花園は家を出る時に持ち出したツバ広の帽子を目深に被った。
いい天気だった。新天地に行くにはふさわしい日だ。
「じゃあ出発です。うふふ、久しぶりのドライブです」
クルマはもたついて発進した。
「ちょっと、大丈夫なの?」
なんだか心配になって花園は聞いた。死ぬのは怖い。
「大丈夫ですよ、私に任せてください」
「気をつけてよね」
私も偉くなったものだ、と花園は自嘲気味に笑った。この頃、どんどん自分の性格が悪くなっている気がする。いや、もともとの地が出てきたというべきか。これでも売れていない頃は平身低頭で、みんなから愛される笑顔の絶えない新人声優だったのだ。
それが変わったのは、一年程前からだ。
花園はいきなり売れだした。いくつものオーディションを通過し、メイン、サブ問わず様々なアニメに出演した。最近では事務所や、制作会社の方からオファーが来ることもある程だ。望まれれば歌だった歌うし、ダンスも少しできた。彼女はとにかく色々な事に使われた。
業界では彼女を史上最速で頂点に登りつめた声優、と見る向きがある。
でもそれは、本当のところを言えば彼女の力ではなかった。
彼女が偉くなるに連れ、現場に入るための手段が電車からタクシーになり、今では送迎になった。彼女はドル箱声優として、事務所からまさに箱入り娘のように可愛がられたのだ。
しかしそれも、もうすぐ終わる。それを知っているのは花園だけだった。
目的の場所までは東京から高速をつかい三時間半。なかなかの長旅だった。途中で二度休憩を挟んだが、花園は乗り心地の悪いクルマに乗ったせいで、後半はずっと眠っていた。二度目の休憩のことは知らない。
目を覚ました時、クルマがインターから高速を降り、下道に入るところだった。
ここはどこだろう、と寝ぼけた頭で思った。そういえば私、悪夢を見なかったわ、とも。
「おはようございます」
と、城山が挨拶をした。
「おはよう、今日二度目ね」と、花園は答える。
ここはどこだろう、ともう一度思った。
あたりは木ばかりだった。山の中だろうか、クルマの右手には壁のような斜面、左手にはガードレールと断崖。私たちは堕ちているのだわと花園は思った。事実、クルマは急勾配を下っていた。何度か目のさめるようなヘアピンがある。
そして長いトンネル。また眠くなる。
「もうすぐですよ」と、城山の声。
何が? と花園は思う。
トンネルを抜けると突然町が目に飛び込んできた。
山間の町だ。しかしたくさんの人が住んでいるのだろう。ビルのようなものはほとんどないし、あったとしてもかなり小さい。不思議だった、先程まで見えなかったのに、トンネルを抜けたとたん、町がまるまる一つ創り出されたような気がした。
雨風にさらされ続け、ボロボロになった看板がたっている。
『腑卵町にようこそ』
と、そう書いてある。それを見て花園は覚醒した。
――そうだわ、私この町に引っ越してきたんだわ!
やがて、車道と並走して線路が現れた。そのまま線路を辿るように町へと降りていくクルマ。城山の運転するクルマ以外にクルマはない。前も、後続も、対向車もだ。
クルマは寂れた町の駅前へとついた。
「さあ、到着です」
ここが本当に駅と言えるのだろうか。花園は目を疑った。
そもそも駅舎が貧相だ。隣に駅ビルがない。もちろんキヨスクなんてものもない。そして極めつけは利用客の姿もない。ロータリーには暇そうなタクシーが一台。少し中が見えたが、運転手は下世話な週刊誌を読んでいた。
そして駅から続く大通りは商店街になっているようだったが、それも軒並みシャッターを下ろしている。花園はシャッター商店街なんてテレビでやっている夕方のニュースでしか見た事がなかった。
極めつけは天気だ。東京を出た時はあんなにも快晴だったというのにいつの間にかどんよりとした曇り空になっていた。こちらの気分まで下がってくる。
「えーっと、どこでしょうか」
城山の運転するコンパクトカーが徐行をしながら駅前をながす。どこも店は閉まっている。けれどなぜか小さな金物屋と、時計屋、そして呉服屋だけは開いていた。
「あ、ありましたよ!」
二人が探していたのは呉服屋だった。
クルマを店の前に駐車する。駐車場なんてものはないが、人通りもないので構わないだろう。
「さあ、花園さん。行きましょう」
「うっさいわねえ。言われなくても降りるわよ」
長いことクルマに乗っていたせいで体が固い。一つ伸びをすると城山が羨ましそうに花園の胸元を見つめていた。
「ほえー、本当に大きいですね」
「余計なお世話よ」
胸が大きいのは花園のコンプレックスだった。
世の中卑猥な男どもはこの胸を見て喜ぶ。が、花園からしたらそんな男どもの視線は煩わしい。もちろんこの胸が声優として自分の武器になっていることも知っている。けれど、自分が性を対象として見られるのは未だに慣れなかった。
呉服屋に入ると老婆が迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
しわくちゃの丸顔。笑うとさらにしわが増えて目すらも隠れる。
「あの、制服を取りに来たんですが」
と、城山がおずおずと言った。
「ええ、ええ。用意してありますよ。そちらのお嬢さんの?」
「はい、そうなんです」
「妹さん?」
冗談じゃない、と花園は老婆を睨んだ。こんな冴えない女と自分が姉妹だなんて。
「いえ、違いますって」
「そうなの? それにしても綺麗なお嬢さんねぇ」
老婆はニコニコと笑いながら言う。その言葉に嫌味は発見されない。花園はそれで気分を良くして――あら、いい人じゃない――単純なのだ。
「じゃあ丈を合わせましょうかね」
「お願いします」と、城山が頭を下げる。
この女は誰にでも頭が低いのだな、と花園は感じた。
真新しい箱の中からブレザーの制服が出てくる。前の高校ではセーラー服だったから、ブレザーの制服は新鮮だ。こちらの方が可愛い。高校の制服が素敵という事が、この町の唯一の長所に思えた。
「あら、足長いのねぇ。ちょっとスカート伸ばしておきましょうか?」
「どうも、結構です」
「そぉう? 最近の娘はそうよね」
着てみるとやっぱり可愛い制服だった。城山と老婆が口々に褒め称える。やはり悪い気はしない。
羨望、称賛、賛美。花園にとってはそれが餌であり、価値観であり、存在承認ですらあった。
その後、細かな修正をして呉服屋を出た。制服はもちろん脱がれ、取っ手のついたダンボールの箱に入れられた。
「ありがとぅ、ございますぅ」
老婆はわざわざ外まで見送りに来てくれた。これが田舎というものかと花園は思った。いや、もちろん東京にもこういった事をしてくれるお洒落なな店はあった。けれどそれはビジネスライクな関係であった。だがこれはどうだろう? まるで親戚の女の子を見送るような気安さである。
「この町はあんたみたいなお嬢さんなら気にいると思うよ」
老婆は最後、意味深にそう言った。
意味不明だった。
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