063 悪魔1-3



 新居は前のマンションとは程遠い、古臭いただ上に高いだけのマンションだった。もしかしたら共同住宅といった方が正しいかもしれない。


 けれどこれでも、この町では一番の高級住宅なのだ。


「ああ、ここですね。目立ちますね」


 当然のごとく地下駐車場などない。土地はどれだけでもあるのだろう、平面の駐車場には安っぽいクルマが大量に停まっている。軽自動車など久しぶりに見た気がする。


「八階ですよ」


「知ってるわよ」


 いちいち言わないでよ、と花園はつかつかと歩きながらエントランスへ。もちろんオートロックなんていう都会的なものはない。エントランスに置かれた郵便受けなど南京錠で施錠されていた。なんだかマンションというよりも縦に長いだけのアパートのようだ。


 受付、兼、管理人室には影の薄そうな――ついでに髪も薄いおじさんが居た。ペコリと頭そ下げてエレベーターへ。古いエレベーターだが鏡がついていた。姿鏡で髪型と服装に乱れがないかチェックする。


 ふとエレベーターのボタンを見ると、その隣の見やすいところに張り紙があった。

 達筆な字が気になりなんと書かれているのだろうと見つめる。



――「階層表示のない場所で扉が開いてもエレベーターから出ないでください」



 なんの事だろうか、と花園は首を傾げた。城山も変な顔をしている。


 ポン、ポン、ポン、と扉の上にある階層表示が光っていき、やがて「8」の数字の場所で止まった。全ての階の表示は正常になされていたように思える。


 八階は他の階層とは違い、部屋の数が少なく、その分一つ一つの部屋が広くつくられていた。


 ――802、ここね。二人で部屋に入ると家具はちゃんと全て届いていた。配置も指定した通りだ。あとは荷造りされたダンボールを開くだけだが、面倒だ。


「ちょっと城山、あんたあそこのダンボール片付けてよ」


「え、私ですか? 私ダメですよ。このまま帰らなくちゃいけません。仕事があるんですから」


「東京までとんぼ返り? 大変ねえ、少し休んでいったらどう。お茶でも出すわよ」


「え、良いんですか? 珍しく優しいんですね」


「私はいつでも優しいのよ」


 と言いながら、はい、と花園は城山の手に小銭を乗せる。


 きょとん、とした顔をしている城山。


「買ってきなさい。下に自動販売機があったでしょ」


「そういう事ですか……」


「飲み物を買うのもマネージャーの仕事でしょ」


 分かりましたよ、としぶしぶ城山は部屋を出ていく。その背中に「ダッシュで行きなさい!ほら、頑張って!」と花園は激励する。


 慌てたように城山は走り出した。そしてエレベーターの前でうまく止まれずに転けた。


 花園は城山の慌てっぷりをひとしきり笑うと、彼女の姿が見えなくなった瞬間にため息をついた。こんな事をしても何も面白くない。他人に意地悪しても自分が嫌な気分になるだけだった。


 それにしても城山はもうすぐ帰ってしまうのか。ずっと居てくれるような気がしていたのだ。なんだかんだで花園は城山に甘えている。


 けれどこれからはもう違うのだ。この場所にはパパもママもいないし、花園をちやほやしてくれるマネージャーもいない。彼女は自分の問題を自分で解決しなければならない。


 そのために、彼女はここに来たのだ。


 城山が帰ってくると、新居の中で二人でコーヒーを飲んだ。


 そして城山は帰っていく、東京へと。


「気をつけてね」


 思わず花園はそう言った。


「え、あ、はい」


 意外そうな顔をして城山は出ていく。そんなに私が優しい言葉をかけると不思議なのかしらん、と花園は力なく笑った。


 さて、私も行かなければ。この町の中心へと。


 いざ思うと膝が震えだす。自分を鼓舞するように外へ出る。廊下から外を見れば城山の運転する空色のコンパクトカーが遠くの道に見えた。ばいばい、と絶対にあっちからは見えないが手を振る。


 もしかしたらもう、二度と会えないかもしれないのだ。


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