054 赤と黒4


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 喫茶『サライエボ』は腑卵町では知る人ぞ知る喫茶店だ。


 名物はランチタイム限定のハンバーグ定食と、スイーツタイム限定のパンケーキ。逆にコーヒーはインスタントなので避けるべし、というのが通の間では定説で、そのかわり紅茶はわりかし美味しい。


 夜になれば店はバーに早変わり。酒焼けしたハスキーボイスで店主ママが迎えてくれる。町人の憩いの場として重宝されている。


 リサ自身、何度もこの店に来たことがある。ヨシカゲが常連なのだ。


 そして、この店にはよく町長も訪れることを知っている。とくに金曜日のランチはかならずここにいる。


 思ったとおり、サライエボの前の空き地には町長のクラウン・アスリートが停まっていた。


「やっぱりここでしたね」


「あら、喫茶店ね」


「中に行きましょう」


 サライエボは二階建てになっており、二階が喫茶店で下は駐車場だ。そこにはクルマを三台停められるのだが、軽自動車用の大きさであまり広くない。だから大きなクルマで来た人は向かいの空き地にクルマを停める。どうやら向かいも駐車場らしいのだ。


 階段を登っていき、店の扉を開ける。


 カランコロン、と鈴の音がなる。


「いらっしゃいませ」


 店番をしていたのは可愛らしい女の子。まだ中学生の黒部フウカだ。ヨシカゲと知り合いで、必然的にリサとも知り合いとなる。


「ごきげんよう、フウカさん」


「あ、リサさん!」


 フウカは嬉しそうに微笑む。彼女はリサのことを姉のように慕っていた。それは別にリサが自らの能力でフウカの記憶をいじったからではない。リサがいじったのはただ一つ、自分がずっとヨシカゲの隣にいたということだけだ。だからフウカが現在リサを慕っているのは、二人の相性が良かっただけだ。


「ごめんなさい、今日は町長さんに用事があるだけなんです」


「そうなんですか? ヨシカゲさんは?」


「今日はいないんです。その変わり――」


 リサの後ろからヒルダが現れた。その瞬間――ガシャン! と、ガラスが割れる音がする。フウカが思わず持っていたティーカップを落としたのだ。


「あ! す、すいません。私ったら落としちゃった」


 やれやれ、とでも言うようにヒルダは首を振った。


「いいえ、こちらこそごめんなさいね。そう緊張しないでいいのよ」


「は、はい。あの、リサさん。そちらの方は?」


「淡島ヒルダさん。私、しばらくヒルダさんと一緒に仕事をするんです」


「仕事って退魔師のですか?」


「同じようなものです」


「それで町長さんのところに来たんですね」と、フウカは納得した。


 考えてみれば今はフウカも冬休みなのだろう。親に代わって店番をしているのだ。


 町長は一番奥のボックス席にいた。食べているのは親子丼だ。


「町長さん」


 リサが声をかけると町長は疲れた顔を上げた。


 だが声をかけて来たのがリサだと気付いたとき、無理をするように笑ってみせた。


「ああ、リサさん」


「お疲れですね」


「まあ、仕事が立て込んでましたね。それでどうしたんですか? デートのお誘いでしたら今すぐでも時間を開けますよ」


「いえ、違います」


 にべもなく断る。ほんの些細な可能性すら感じさせないように。


「ではどうしました?」


「この前の話です。月光姫――淡島ヒルダさんが来られました」


「今日からでしたか。それで、そちらが?」


「どうも、淡島ヒルダです。お初にお目にかかります」


「始めまして、結界師こと腑卵町の町長です」


 町長はわざとらしいくらいヒルダのことを見ない。きっとヒルダの美しさについては聞き及んでいるのだろう。ヒルダの方もそんな態度をされても気分を害した様子はない。むしろそうされてありがたいようだ。


 リサとヒルダはとりあえず町長の前に腰を下ろす。町長はさっさと親子丼を食べ終えた。そして恨むように時計を見つめる。十二時三十二分。町役場の休憩時間はあと二十八分だ。


「とりあえず、仕事の話をしても良いかしら?」


 と、ヒルダは切り出した。


「仕事、仕事、仕事。いつでも仕事中ですよっと」


「ご主人様もよく同じようなことを言っておられます」


「俺の方が退魔師よりも仕事をしてますよ!」


「ついでに私も仕事中です」


 フウカがメニューを持ってきた。ヒルダはそのメニューを興味深そうに眺めて――もっとも、お面をつけてはいるのだが――「これをもらおうかしら」と、日替わりケーキセットを指差す。


「かしこまりました。リサさんは?」


「じゃあ、私も同じものを。飲み物はアールグレイで」


 もともと町長に会いに来ただけなのだが、なんだかんだで注文してしまった。


「はい。そちらの……えっと、ヒルダさんは?」


「私はコーヒーで」


「あの、コーヒーはインスタントなんです。それでも良いですか?」


「いいわよ」


 と、そう答える様子も余裕があってなんだか綺羅びやかに見える。


「かしこまりました」


 フウカがカウンターの裏に引っ込んでいく。ケーキは作り置きだが、フウカが作っているらしい。紅茶も淹れているし、もはやこの店を仕切っているのはフウカといっても過言ではない。


「それで、月光姫はどこまで今回の話を聞いてるんですか?」


「月光姫、という二つ名は嫌いよ。淡島と呼んでちょうだい」


「それで、淡島さんは?」


「あまり詳しいことは聞いてないのよ。腑卵町に今回のパートナーがいるから迎えに行けって言われて、リサちゃんのことは少し聞いたわ。でもターゲットのことは聞いてない。私が呼ばれたってことは荒事だってのは分かるんだけど」


「その通りです、本当はうちの退魔師にやってくれという依頼だったんですがね。これがまた強情なやつでね。腑卵町が関係ないなら受けないって言うんですよ。仕事に美学を持っていると言ったら聞こえは良いんですけど、なんのことはない、外に出たことがないから外の世界が怖いんでしょう」


 それは俺も同じですが、と町長は自虐のように付け足した。


「それで、どんなことをさせたいの?」


「JFCから二人の男が逃げ出しました」


「逃げ出した?」と、リサは首をかしげる。


 たしかJFCはイースターエッグの保全や収集、あるいは討伐を行うという組織だったはずだ。そこから逃げ出した、ということはどういうことだろう? 牢屋のようなものでもあるのだろうか。


「厳密には無断退社とでも言うべきでしょうか?」


「バックレね、たまにあるわ。基本的に私達の仕事は守秘義務が多いから辞めてくて辞められるもでもないわ。これで合点がいったわ、今回のターゲットはその脱走者ね」


「そういう事です」


「あまり気乗りはしない仕事ね。それで、その二人って?」


「武僧・罪澄。呪僧・空骸」


 町長は宣言するように二人の名前をあげる。


 リサはもちろん知らない名前だ。


 しかしヒルダは厄介な相手にあたったとでもいうように、テーブルを指で三度叩いた。


「あの二人が逃げ出した、ね。まあ二人共汚れ仕事をやらされて嫌そうにしてたから、遅かれ早かれそういう事もあるかと思ってたけど」


「対象はデッド・オ・アライブ。つまり生死は関係なく捕まえろということだ。この二人は先日、隣町に逃げ込んだことが確認された。おそらくまだ出ていないということだ。少なくとも腑卵町には入っていない。普通こういうやつらは真っ先に腑卵町に入り込むもんなんですがね」


「おそらく退魔師を恐れてでしょうね」


 リサはなんだかその言葉に誇らしいような気持ちになった。自分の主人は有名人なのだ。


「一応、やつらが最初に潜伏した場所は分かっているんですが、たぶん今はもうどこかへ移動しているでしょう」


「それを探すのも私達の仕事、と」


「これが資料になります。ここにある程度の情報は乗っておりますので見ておいてください」


 町長はカバンの中から資料の束を取り出す。分厚い資料だ、A4サイズの紙で厚さは一センチもあるだろう。


 ヒルダはその資料をパラパラとめくると「必要ないわね」とリサに横流しするように手渡す。リサは持ち前のメイド精神でその資料を自分も読むことにした。


 そこには二人組の僧侶がJFCを抜け出してから起こした事件と、そして現在の潜伏先とみられる場所、そのあとは二人の生い立ちからが書いてあった。


 たしかにこの厚さは必要ないだろう。いるとしても最初の数枚。なんなら現在の潜伏先とみられる場所だけでも良いくらいだ。


 リサはこれまでのヨシカゲと仕事をしてきた経験から、必要以上にターゲットの情報を仕入れることは無駄であると知っていた。むしろ相手に情が移り仕事に支障をきたす場合すらある。


 それでも渡された資料はなぜか読まなければいけないような気がした。きっとこの資料を作った人もそれが仕事で作ったのだ、だとしたら誰にも読まれないで捨てられるのは可哀想だった。


「では伝える情報もだいたい伝え終わりましたから、自分はこれで。リサさん、気をつけてくださいね。まあパートナーが高名な月光姫となれば、退魔師と一緒にいるより安全かもしれませんが」


「だからその名前は――」


 ヒルダはしかし、面倒になったのか訂正するのをやめた。


「あ、ここの支払いはやっておきますよ。では」


 町長は二人の分の支払いもして店を出て行った。


 ここから町役場までは10分ほどだろうか。昼休みはもうすぐ終わる。心なしか急いでいるようだった。


 町長の会計を終えたフウカが、二人の残った席にケーキと飲み物を持ってくる。そして町長が食べていた親子丼の器を下げる。


「ごゆっくり」という言葉がどこか空虚だ。


 この町の人間はどこかおかしいと思う。


 ヒルダの美しさには違和感を持つのに、ヒルダのつけるお面にはノータッチだ。


 自分もまだまだこの町の人間になりきれていないな、とリサは痛感した。


 ヒルダがケーキを食べるために少しだけお面をずらす。赤い唇が顕になる。それだけで女のリサですらめまいがしそうなくらいだった。


 ――もしもこの人の顔が全て明かされたら、人はどうなってしまうのかしら?


 リサには自分が正気でいられる自信がなかった。


「あら、このケーキ美味しいわね。チーズケーキって好きよ。適度に甘くて」


 むしろリサはチーズケーキなんて食べたのは久しぶりだった。ヨシカゲといたらとにかく甘いものばかりで、自分もある程度はそれに合わせることになる。


「そうですね」と、リサは答えた。


 まったくこの世は不思議なことだらけだ。ヨシカゲのように無感情で人を殺せる人もいれば、ヒルダのように美しさだけで人を殺せそうな人もいる。


 ではリサは?


 たぶん自分には人など殺せないと思った。私は妹のフサとは違う、と。


 熱いアールグレイを飲む。


 しまった、砂糖を入れすぎていた。


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