053 赤と黒3
約束の日、リサは新しく購入したゴシック・アンド・ロリィタのドレスを着込んだ。
ゴスロリといえば黒を基調ととして白いフリルやレースをふんだんに入れ込んだものを想像する人が多い。あるいはその逆か。しかしゴスロリには文字通り、色々なものがある。
本日、リサが選んだのは赤と黒のロリィタだった。髪はツインテールに結い、頭にはヘッドドレス代わりのミニハットを乗っける。お化粧はいつもより少しだけ濃いめにしたが、今から会う相手が初対面ということで少々は抑えたつもりだ。
――ちょっと調子に乗りすぎたかしら?
ロリィタというものはとにかく一般受けの悪い服装である。そりゃもう本当に、壊滅的に悪いのである。ロリィタとみるやいなや、悪霊でも見たような顔をする男は多く、あるいは女でもぶりっ子の極北、中世からタイムスリップしてきた夢の残滓、そう見てくるのだ。
しかし、しかしである。リサは可愛いお洋服が大好きだ。だからこそ、こうした晴れの舞台では自分の一等好きな服を着たかったのだ。
TPOを考えろという人は多い。たとえば原宿をゴスロリで歩いていても何も言われない。しかしそれが少しでも場所を変えれば批判の的とされることがある。たとえばゴスロリで町の美術館にでも行ったら? リサとしてはむしろ美術館なんてどんとこいというところだが、周りからはうろんな目をされること請け合いだ。
しかしまあ、腑卵町においては意外とそこらへんが寛容だ。とにかく不思議なことが多い町だ。ゴスロリで歩こうが、ロリィタ一歩手前のコスプレメイド服で歩こうが、わりかし許容される雰囲気があった。
だからリサはこの町が大好きなのだ。
――でもやっぱり、ちょっと調子に乗りすぎかしら?
また、考える。
自分が浮かれていたのではないかと不安だ。
もしかしたら今からやってくるJFCの職員はかなりお硬い人かもしれない。リサの格好をみるやいなや、今回の依頼は一人でやると言い出すかも知れない。
あるいは月光姫なんて御大層な二つ名を持つ人だ。あまりの美しさにリサは自分の格好が惨めになるかもしれない。でも本当のお姫様が来たらそれはそれで嬉しいし楽しい――。
リサの不安は手を変え品を変え彼女を脅かす。
不安なんて、考えれば際限なく出てくるものだ。
いっそのこと、こんな不安すべて自分のイースターエッグで消し去ってしまおうかしらとリサは自分の頭に手をかけた。
さあ――消すぞ。
そう思った瞬間、はるか遠くから重厚なエンジン音が聞こえてきた。
リサの可愛らしい耳はその音を敏感に聞き取る。
――この音は、まさか。
低音を響かせたエンジン音ではあるが、それは暴走族が乗っているヤン車のものとはまったく違う。拡張高い、高貴さすら感じさせるエンジンの調べ。まるで交響曲を聞いてるかのような錯覚にすら陥る。
リサは顔を上げる。
鈍い光を放つシルバーの車体がこちらに近づいてくる。
特徴的な丸い目。流線型のフォルム。そして何よりもリサの心を躍らすこのシンフォニー。
そのクルマはポルシェ911カレラ。押しも押されもせぬスポーツカー・オブ・スポーツカー。まさにクーペ乗り垂涎の憧れの的である。
眼福だわ、とリサの気分は明るくなった。
リサはクルマが好きだ。ロリィタと同じくらい好きだ。現在の愛車はマツダ・ロードスター。わかる人にはNBロードスター8Cというだけで通じる。もちろんこのクルマも大好きだ。もともとはヨシカゲの父親のクルマだったそうだが、今では持ち主もいないのでリサが使わせてもらっている。
しかしこうして目の前にポルシェ911が現れれば、やはりそちらに目移りをしてしまう。
あろうことかポルシェ911はリサの眼の前で停まった。
艷やかなボディが今まさに納車されたばかりのように光り輝いている。
リサはまるっきり見とれていた。すると、クルマのドアが開いた。当然ながら左ハンドル。
最初に見えたのは、長さ、細さのバランスが美しい脚。その次にコウモリのような傘が外に突き出される。傘が羽ばたき、開かれたときそこについていたレースは漆黒だった。長い金髪がサラサラと音を立てて揺れ出る。そして満を持してクルマの中から長身の女性が現れた。
その瞬間、周囲の時間が止まった。
もちろんそれは錯覚である。リサが息を呑んだ、言ってしまえばただそれだけのことだ。しかしそうなってしまう程に、女性は美しい。
その女性はゴシック・ドレスを着ていた。
ここで注意しなければいけないのは、ゴシック・ドレス、ということだ。ゴシック・アンド・ロリィタではない。ゴスロリは日本で生まれ、そして成熟し海外へと逆輸入されたものである。ゴシック・ファッションはその雛形であり、言ってしまえば中世のファッションにサブカル色を一切差し込むことなく、現在まで伝承されたものだ。
もっともその境界は曖昧なのだが。
だがしかし、リサの目から見ればその女性の服装は間違いなくゴシック・ドレスだった。このままお城の舞踏会に出ても問題ない。むしろこんな田舎町には存在してならない、そういう服装だった。
「貴女が、私のパートナー?」
女性は鈴を転がすような声でリサに訪ねた。
「は、はい」
リサは緊張で声を裏返した。
別にリサだってブスというわけではない。むしろ芸能界でだって通用しそうなくらいの美しい少女だ。しかし、目の前の女性が持つその雰囲気は別格だった。パリコレのモデルだって裸足で逃げ出しそうな、まさしくそう――お姫様のような美しい人だった。
しかし、不思議なことが一つあった。女性は縁日で売っていそうな、女児向けアニメの主人公のお面をつけている。そのため、顔がまったく分からない。
けれど美しい。
それは理屈ではない。ただそうだと思えるのだ。
「このお面、気になるかしら?」
こくこく、とリサは頷く。
「ごめんなさいね、失礼だとは存じているけれど、こうでもしなくちゃ周りが大変なのよ」
「大変、ですか?」
「ええ。私は美しすぎるから」
その一言でリサは納得した。
美しいことは罪だ。そういう意味では目の前の女性は大罪人である。おそらく彼女の尊顔を見ただけで、全ての人は物理的に目を潰すだろう。その美しさを見たあと、もう他のものなど見たくないはずだ。
――もしかしたらご主人様はこの美しさを知っていたから、頑なに会いたがらなかったのかしら?
と、リサは思ったくらいだ。
「あの、リサです。貴女がJFCから来られた月光姫さんですか?」
違うわけがない、とリサは確信していた。この人以外にその二つ名は似合わない。
「ええ。改めて自己紹介、私が月光姫です。とはいえ、この二つ名は嫌いなの。だからもし良かったらヒルダと呼んでくれていいわ。淡島ヒルダ、それが私の名前です」
「分かりました、あの私のこともリサとお呼び下さい。名字はありません、ですから気安くリサと」
「ええ、分かったわ。リサちゃんね」
リサはヒルダに名前を呼ばれるだけでくすぐったいような気分になった。
「あの、ヒルダさんは吸血鬼なんですよね? 日中に出歩いても大丈夫なんですか?」
リサは吸血鬼に会うのは初めてだった。
吸血鬼といえば、血を吸わなければならない生き物で、太陽とにんにく、それと銀の杭が弱点だったような気がする。とはいえ曖昧だ。
「ええ、日焼け止めクリームをたっぷりと塗ってきたから。それにこの町はいつも曇り空でしょ。だからね、吸血鬼としては暮らしやすいわ」
「なるほど」
「心配してくれてありがとう。こっちからも質問いいかしら?」
「はい、なんなりと」
「私はリサちゃんはメイドだって聞いて来たのだけど?」
「はい、私はいつもご主人様――退魔師、麻倉ヨシカゲ様のメイドをしております」
「そうなの、メイド協会に所属しているの?」
「あ、いえ。私はモグリのメイドです。ですから協会には所属していませんし、メイドとしてのランクもありません」
「そうなの。にしてもそのお洋服、可愛いわね」
「ありがとうございます。あの……ヒルダさんのお洋服もとっても素敵です」
「ふふ、私達相性良さそうね」
「だと良いです」
ヒルダはくるくると傘を回すと、思案するように首を傾げた。
そしてまるで手品のようにクルマの鍵をどこからともなく取り出すと、リサの眼前に突きつけた。
「ねえ、リサちゃんは自称とはいえメイドなのでしょう?」
「はい」
「ならこのクルマ、運転してくださらない?」
「い、良いんですかっ!」
リサは珍しく声を張り上げた。実はそうなると良いなと思っていたのだ。
「もちろん」
と、ヒルダはニッコリと笑った。表情はお面に隠れているが、たしかにそうであると感じ取れた。
不思議な人だった。顔なんて見えなくてもその雰囲気だけで人に様々なことを伝えることができる。それらは全て、彼女の美しさを媒介としてこちらに伝わってきているようだった。
「じゃあよろしくね」
そういうや否や、ヒルダは助手席に乗りこんだ。
リサは緊張しながらも運転席に座る。
ポルシェ911の無数のメーターたちは、まるでリサを挑発するように並んでいた。
さすがにこの価格帯のスポーツカーともなれば、妙なマニュアル信仰もなく当然のごとくオートマだった。もちろんマニュアルモードもあるが。
おっかなびっくりクルマを発車させる。それだけでリサの手には感動が伝わってくる。
「もっと思いっきりやっても良いわよ」と、ヒルダが安心させるように優しく言った。
リサはアクセルを強める。水平対向6気筒ツインターボエンジンが唸りを上げた。
「きゃっ!」と、リサは思わず嬉しそうに叫んだ。
「とりあえず町役場に向かって。町長さんに話を聞かないと」
「ああ、それでしたら今の時間いませんよ」
「あらそうなの?」
「ええ、なのでいる場所に行きます」
リサはハンドルをきる。想像以上のステアリングだ。しかもクルマが地面を吸い付いているよう。なんだかリサはこの美しいクルマを隣に座るヒルダに重ねた。
本当に素敵なクルマだった。
これから素敵な事が始まる、そんな予感がした。予感だけだが。
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