052 赤と黒2

 それから数日して、屋敷に衝撃の電話が入った。あの妄言が事実になったのだ。


「はい、もしもし」


『ああ、リサさんですか。町長です』


 この人はどうして自分のことを町長と呼ぶのかしらん、とリサは内心で不思議に思いながらも「どのようなご用件で?」と話を促す。


 だが町長はそれからたっぷり五分、無駄話を繰り広げた。リサが飽き飽きしたころに、横からヨシカゲが受話器をひったくった。


 この屋敷に電話は無数にあったが、リサがいま出たのはヨシカゲの部屋のすぐそばにあるものだった。廊下に電話があるというのは屋敷の常識である。


「おい、なんのつもりだ。電話なら俺のスマホにかけてこればいいだろ」


 リサは聞き耳をたてる。メイドというのは耳がいいものだ。


『だってそうしたら出ないだろ、退魔師』


「当たり前だ。だからそうしろと言っている」


 まったく、この二人は仲が良いのか悪いのか。まあ喧嘩するほどなんとやら、というのだし前者なのだろうが。


「依頼はこの前断っただろう。それとも別口か?」


『いや、それがな……JFCからの希望で、今回はリサさんに白羽の矢が立ったんだ』


「リサに?」


『とにかくもう一度リサさんにかわってくれ。退魔師、今回はお前の出番じゃない』


 ヨシカゲはもう一度、リサに電話を戻す。リサは――私が?――と思いながらも襟を正して町長からの言葉を聞いた。


 どうやらヨシカゲの言ったとおり、今回の事件に対してJFCから荒事専門の職員が送られてくるらしい。その助手としてリサに働いてほしいというのだ。


「どうして私が?」


『さあ、おそらくリサさんのイースターエッグに目をつけたのかと。やつらの調査力と言ったら中々のもんですからね。あるいはこの前の五反田さんが報告したのか。口が軽そうでしたもんね』


「人の悪口は嫌いです、私は」


『あ、すいません。とりあえず、どうしますか? 断るっていうんならこっちから言っておきますよ』


 リサはちょっとだけヨシカゲを見た。ヨシカゲは好きにしろとばかりに首をすくめる。


 ――そろそろ自分で稼ぐのもいいかしら。


 リサはそう思った。


「報酬は出ますか?」


『はい――これくらい』


 それはリサが今乗っている古いロードスターが中古でもう一台は買えそうなくらいのものだった。いつまでもヨシカゲの、退魔師の報酬を横から使っているわけにもいかない。もちろんリサにはメイドとしての仕事もある。けれど彼女にとってそれは生活の一部であって仕事ではない。


 リサはメイドとしての作業を全て、息をするように自然にやっていたのだ。


 だからこそ、自分が金食い虫なのではないかと思うことすらあった。


「お受けします」


 と、リサは返答した。


『ああ、良かった』


 町長はとても安心したようだった。もしかしたら彼の元にも何かしらの圧力がかかっていたのかもしれない。この前ヨシカゲが断った時とは明らかに様子が違っていたのだ。


 それからしばらく説明を聞いてリサは電話をきった。


 いつの間にか近くにヨシカゲがいない。見れば彼の部屋のドアが開きっぱなしになっていた。


「なにか飲まれますか?」


 と、リサは部屋に向かって声をかけた。


「ホワイトコーヒー」


 それはヨシカゲが好物とする世にも奇妙な飲料物だった。簡単に説明すればコーヒーにミルクと砂糖をたっぷりいれて、そこからコーヒーを抜いたものだ。


 ただの砂糖たっぷりのミルクなのだが、彼はこれを頑なにホワイトコーヒーと言い張る。どうしてそう言うのかリサは知らなかったが。


 言われたとおりのホワイトコーヒーを淹れてヨシカゲの部屋に行く。彼は部屋で小説を読んでいた。「命売ります」。三島由紀夫の娯楽小説だった。


「面白いですか?」


「何も読まないよりは、なにか読んでいるほうが面白いさ」


「どんな本なんですか?」


「さあ、まだ分からないな。いま、吸血鬼と名乗る女が出てきたところだ」


「吸血鬼……」


「吸血鬼は嫌いだ」


 その言葉には何かしらの感情が込められているように思えた。これはおかしいことだ、ヨシカゲに感情などないはずなのだ。もちろんその萌芽のようなものはリサも時々感じる。だが、ここまで何かしらの気持ちがこもっている言葉はそうそう聞かなかった。


 この人の過去には何があったのだろうか?


 リサは人の記憶を操ることができるだけで、人の記憶を読むことはできない。だからヨシカゲの過去を知らない。もっとも、知れたとしても尻込みしただろうが。


「それで、派遣されてくるJFCの職員。名前は聞いたか?」


「気になるんですか」


「まさか」


「安心してください、女の人ですよ」


「どうして俺がそれを聞いて安心する?」


 本当に分からないというように首をかしげれらた。だがリサはめげずに言葉を続けた。


「ご主人様が嫉妬するかと思って」


「どうして俺が?」


 これはダメだな、とリサは諦めた。


 だからヨシカゲの最初の質問に答えることにする。


「派遣されてくるのは『月光姫』という方です」


 この界隈、少々名の通った人間であれば二つ名がつく。ヨシカゲの場合はずばりそのもの『退魔師』だ。


では月光の姫とは?


名前からしてどこか流麗な雰囲気がする。きっと美人なのだろう、そうでなければ名前負けも良いところで、会ったこともないその月光姫が可哀想だ。


「月光姫……とんでもない大物が出てきたな」


「知っておられるんですか、ご主人様」


 ヨシカゲが他人の名前を覚えているというのは、割に珍しいことだった。


「ふん。この業界で月光姫の名前を知らないやつなんていないさ」


「どういう人ですか?」


「会えば分かる。俺は会いたくない」


「どうして?」


「月光姫は吸血鬼だ、俺はあの種族が嫌いだから顔も見たくない」


「そうなんですか」


「それに、もう一つ理由はある。これはまあ、会えば分かるって部分だ」


「ずいぶんと含みますね」


「ま、せいぜい取り乱さないようにしろ。にしても月光姫、あるいはこの任務、危険なものかもしれないな」


「あらご主人様、心配してくれるんですか?」


「心配? どうして俺が」


 とにもかくにも、ヨシカゲは事実を事実として言っているだけなのだ。そこに他意……もとい感情はない。


 リサはため息をつく。どうしてこんな人を、とまた思った。


「とにかく明後日には迎えにきてくれるそうなので」


「家を開けるのか?」


「いえ、隣町での依頼ですので。毎日帰ってきますよ。ようするに初顔合わせに来るんです」


「そうか、なら安心した」


「え?」


「お前がいないと菓子の買い出しに行ってくれるやつがいないからな」


 なんだ、そういうことか。


「それくらい自分で行ってください」


 ちなみにヨシカゲは現在冬休みで、ただいま絶賛引きこもり中だった。これで四日屋敷から出ていない。日がな一日本を読み、菓子を食べている。


 もっとも、それに付き合っているリサもリサだ。


 このままでは自分たちはダメになると、そんな気がしていた。だから今回の依頼はまさに渡りに船だったのだ。


 依頼された以上は全力でことに当たろう。リサはそう、思っていた。


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