ルージュ・ノワール

051 赤と黒1


       1


 その依頼が舞い込んできたとき、ヨシカゲはたいして内容も聞かずにすぐさま断った。


「俺の仕事じゃないな」


 背後に立っていたリサが「そんな無碍むげに断らずとも」と口を挟んだ。


「いや、たしかにこの仕事は退魔師のものではないからな」


 町長は別に気にしなくてもいいというように手を上げた。


 町役場の応接室、その上品なソファに二人は座って顔を突き合わせている。リサはその後ろで従者として立っている。それはいつもの立ち位置だった。


「どうせ断ったところで変わりが来るさ。帰るぞ、リサ」


「はい」


「また何かあったら連絡する。リサさんにな」


 ヨシカゲは何も答えない。それが返事なのだ。振り返りもせずに応接室を出ていく。リサも一度だけ頭を下げた。町長は名残おしそうに手を振っていた。


 今回の依頼はJFCからのものだった。隣町にJFCを脱退した二人組みが入ったという。その二人を確保して欲しいというものだった。その確保における生死は問わない、と。


 ヨシカゲが断ったのももっともだった。そもそも彼は腑卵町の退魔師であり、違う町のことなどまったくもってどうでもいいのだ。


「たとえばこの町の誰かがその二人組に危害を加えられたというのなら話は別だが」


杓子定規しゃくしじょうぎですね」


「それが退魔師ってもんだ」


「麻倉ヨシカゲ、の間違いでしょう?」


「そうとも言う」


 リサは愛車であるマツダ・ロードスターの助手席の扉を開ける。こうしてやらないとすぐにヨシカゲは窓も開けずに飛び乗ろうとするのだ。


 ホロは開いたままになっていた、どうせすぐに終わるとヨシカゲは言ったし、この町で退魔師の持ち物に手を出す人間などまずいない。


「今日は晴れているな」と、ヨシカゲはわけのわからないことを言う。


 リサは空を見上げる。


 どう見ても曇天。


 しかし、


「そうですね」


 腑卵町で晴れ間はめったに見られない。そのせいか、この町の住人は天気における観念が他の町の人間とは少しだけ違っている。つまり、雨さえ降っていなければ曇り。空の一割にでも青色が見えればそれはもう晴れなのだ。


 リサも最初は違和感を覚えたものだが、もう慣れた。


「それにしてもJFCか」


「五反田さんは元気でしょうか」


 ロードスターは素人目でも分かるくらい、もたつきながら走り出す。ここのところどうもエンジンの調子が悪い。冬になって寒くなってきたせいだろうとリサは睨んでいる。


「さあ、どうでもいいな」


「私、思うんですけど。やっぱり依頼を受けたほうが良かったんじゃないですか?」


「……今日はよく喋るな。どうしてだ?」


「倫理観からですよ。誰か困っている人がいれば助ける、それが普通の神経です」


「そうか、ならお前がやってきたらどうだ?」


 意地悪を言われているのかな、とリサはヨシカゲを見つめた。けれど彼はいつもどおりの無表情だ。たぶんただ言ってみただけなのだろう。


「そうですね、じゃあ依頼されたら私が行きましょう」


 ふん、とヨシカゲは鼻を鳴らした。


 ただ言ってみただけではなく冗談のつもりだったのだろうか。どうもヨシカゲの冗談はリサにとって分かりにくいし、あけすけな言い方をしてしまえばつまらない。


 ――でもこんな人が私は。


 リサはどうして自分がこの腑卵町にいるのか時々わからなくなる。


 自分の師匠が死に、古い知り合いであったという退魔師を頼りに来た見たらその人も死んでいた。変わりにその息子が退魔師を継いでおり、リサはなんとなくその男、ヨシカゲと行動を共にすることになった。


 自分のイースターエッグを悪用したことは認める。


 リサは他人の記憶を改竄する能力を持っている。だから彼女は今までの人生で、他人から受けいれられなかったことがない。今更誰かに否定されるなんて考えただけでも怖かった。


 だからヨシカゲの周りの人間の記憶を弄った。まるで自分が昔からこの町にいたように。ヨシカゲの隣にいたように。


 しかし当のヨシカゲにはその能力が効かなかった。


 だというのに、彼はリサのことを受け入れたのだ。リサにはそれが嬉しかった。


 その時かもしれない。自分がはじめて恋をしたのは。


 けど、悲しいこともあった。


 この町に来てから、生き別れていた妹が死んだ。いいや、自分が殺したようなものだ。


 リサの妹のフサは、リサと同じイースターエッグを持っていた。つまりは人の記憶を自由自在にもてあそぶことのできる能力を。幼い頃のリサは、フサと一緒にその能力をずいぶんと悪用した。けれどいつからか、妹が怖くなった。お金で帰るものだけではなく、人の命までも欲しがる妹を……。


 だから、彼女から逃げた。


 無責任だったと今になったら思う。


 だからこそ、報いを受けたのだ。


 妹は死んだ。自分が殺した。いや、ヨシカゲが殺した。彼女はこの町にとって異物だった。ただそれだけだ。


 じゃあ私は?


 リサはときどきそう考えて、自分の背中が肌寒くなるのだった。


「ねえ、ご主人様?」


「どうした」


 風が流れていく。冬のオープンカーは気持ちいい。


「私は、この町にいていい存在でしょうか?」


「それは俺が決めることじゃない」


「では誰が?」


 ヨシカゲは虚空のような目でリサを見つめた。その口元は彼女をあざけるようにひん曲がっている。


「お前が決めるのさ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る