055 赤と黒5
武僧・
双子の僧侶で、兄の罪澄は
前衛と後衛が双子ならではのチームワークを発揮し、相手を制圧する。
年齢不詳、しかし資料には二十代中頃か、あるいは後半ではないかと書かれていた。JFCには7年前から在籍。その前は密教系の寺で修行を積んでいたらしい。しかしその寺が焼失、行く場を失った二人はつてを頼ってJFCに入社。入社直後から持ち前の戦闘能力で討伐部隊の一員として活躍していた。
討伐部隊というのはヒルダも所属する部署であり、ときには聞いた人が顔をしかめるような酷い任務も受け持つらしい。
今回の件だってそうだ。つい先日まで同僚だった二人を殺してでも連れ戻せなんて、正気の沙汰とは思えない。しかしそれだって立派な仕事。誰かがやらねばならない。
「討伐部隊はね、危険な仕事なわりに給料も少なくて、休みも少なくて、とにかく人気がないのよ」
「そうなんですか」
「もちろん私くらいになると話は変わってくるけどね」
リサが運転するクルマは山間の県道を走っていく。この先には違う町があり、リサもときどき買い物に行くことがあった。腑卵町とは違って健全な町だ。
「でもね、どれだけ立場が上になっても、仕事は仕事。やれと言われたことはやらなくちゃいけない。それが例えどんなに辛い仕事でも。だから時々、こういうふうに脱走者が出るの」
「なんだか話を聞いていると当然のように感じられますが」
「そうね、当然よ。でもね、そんな酷い仕事を平気でやれるようなバケモノじゃないと、この仕事は務まらないわ」
「ヒルダさんもそうなんですか?」
言ってから、ちょっと失礼な質問だったかな、とリサは嫌な気分になった。
「ええ、そうよ。私だって正真正銘のバケモノ。だって吸血鬼なんですもの」
きっと、彼女は笑ったのだろう。お面さえつけていなければ牙が見えたはずだ。
「けど、こんな奇麗な吸血鬼ならみんな嬉しいですよ」
ヒルダは言われ慣れているとでもいうように頷いた。
隣町に入った。
すると、ヒルダが妙なことを言い出した。
「そうだわ、リサちゃん。ここからはコードネームで呼び合いましょう」
「コードネームですか?」
「ええ、敵の空骸は呪僧、つまりは呪いを得意とする拝み屋よ。こういう手合にはこちらの名前を知られることで不利になることが多々あるわ」
「なるほど、名前というのは古今東西、他人を呪う場合に必要とされることが多いですからね」
「ええ、そういうこと。そうねえ、コードネームは赤と黒でどうかしら?」
「ルージュ・ノワール。気に入りました、では私がルージュですね」
「そうね、私はノワールということで」
意外と茶目っ気のある人だわ、とリサは思った。
そもそもゴシック・ファッションをしている人に悪い人はいないというのがリサの心情である。つまりヒルダはとびきりのいい人なのだ。センスもリサのそれと近い。
赤と黒。言わずと知れたフランス文学の名作であり、作者のスタンダールはナポレオン時代には軍人だった。
「ノワールはパリに行ったことはありますか?」
リサはない。というかリサは日本を出たことがない。一度で良いから行ってみたいと思っている。できればそう、ベルサイユ宮殿を見てみたい。
リサの純粋無垢な質問に、ヒルダはしばし押し黙った。
そして一言、
「ないわ」と答えた。
「そうなんですか、意外ですね」
「どうしてか知らないけど、みんな私が外国に詳しいと思うのよね。生まれも育ちも日本だっていうのに。ちなみにルージュは?」
「私もないです。憧れてはいるんですけど」
「そうよね、女として生まれたからには一生に一度はパリジャンヌに憧れるわよね」
「ですです」
こんな事で意気投合できる。やはり相性がいいと思う。
「ちなみに私、英語も喋れないから。思うにね、この金髪がいけないのよね。これのせいで皆、私にバタ臭い理想を抱くんだわ」
「完璧だと思われるんですよ、あんまりにも奇麗ですから」
「だとしたらいい迷惑よ」
ヒルダは金の髪を恨めしげにつまんだ。まるで黄金のようだ。その昔、香辛料が同じ質量の黄金と同価値だった時代があったという。あるいはヒルダの髪も黄金に等しい価値があるかもしれない。
「それで、目的地は?」
「もう少しです」
リサはここらへん一体の地理をよく覚えている。だから資料に書かれた二人組の僧侶の隠れ家の住所を見ただけで、そこがどこかすぐに理解できた。これはリサのちょっとした特技だったが、誰も褒めてくれない。
「カーナビに住所を入れなくても良かったの?」
「はい、大丈夫です」
「すごいわね、さすがメイド」
「モグリですけどね」
初めて褒められた。嬉しい。
そしてリサが頭の中で考えていた通りの場所に、ひなびたアパートが建っていた。築50年はゆうに超えるであろう古いアパートだった。
「ここ?」
「はい、この場所にターゲットに二人がいたはずです」
アパートの敷地内に高級車であるポルシェが入る。あきらかに不釣り合い。気の利いた借金取りだってまさか911カレラでこんな場所に乗り付けはしないだろう。
「どの部屋?」
「一階の一番右だそうです。とりあえず町長さんがアパートの大家さんに連絡を入れてくれたそうですから、鍵は開いているらしいです」
「ルージュはここで待機していて、私が先行するわ」
「はい、ではお願いします」
ヒルダは何も武器を持たずに無手で入っていく。
あるいは何かしらの暗器を持っているのかもしれないがリサには判別できない。
ちなみにリサもある程度の格闘技の心得がある。ヌーラと呼ばれる、その昔イヌイットが使った立ち技主体の格闘技だ。これと自らのイースターエッグをあわせて、あたかもできすぎた合気道のヤラセのように相手を吹き飛ばすのが得意技である。
とはいえここは素直にヒルダに任せるべきだろう。
しばらく、リサは外で待っていた。
ヒルダが中から出てくる。その表情はお面に隠れてうかがえないが、どうやら何もなかったらしい。
「中は安全よ。どうぞ」
「では」
と、リサも室内に入る。
奇麗に片付いた1DKの和室だった。家具は傷がたくさんついたテーブルと、いかにもありあわせでリサイクルショップから買ってきたとでもいうような小さな液晶テレビ。特筆すべきは壁に張られた仏教関連のポスターだろうか。
釈迦如来のグラビア、とでもいうのだろうか? そんなものや、おどろおどろしい曼荼羅が壁には張られている。そのわりに仏壇の一つもないのは、まあしょうがないだろう。
「なにか手がかりはあるかしら?」
「どうも手がかりになりそうなもは……」
なさそうだ。
そもそもここは隠れ家というよりも借りの住まいでしかなかったのだろう。こちらの動きを察知して慌てて逃げ出したのだろうが、持ち出したものすら少なそうだ。
リサは何気なくテレビをつけてみる。それくらいしか手がかりになりそうなものはない。
「どう? なにか面白い番組でもやってる?」
「金曜日の昼さがりなんてこんなもんですね、ニュースと通販ばっかりです」
「そう。あら、このテレビハードディスクが内蔵されてるタイプじゃない?」
「ああ、そうですね」
一応、録画された番組も確認する。
さすが僧侶というべきか、仏教に関係する番組が多かった。あとはインドの旅行記だろうか。
昔からテレビっ子だったリサはこういった旅行番組をよく見ていた。それを妹と見て、いつか行ってみたいねと語りあったものだ。記憶操作の能力を手に入れてから実際に行ってみたところもある。でも、今にして思えば腑卵町が一番性に合っているかもしれない。
「ま、こんなところかしら。これからどうする、ルージュ?」
「そうですね……ノワールはどうしたら良いと思いますか?」
こうしてコードネームで呼び合っているとなんだか自分がスパイ映画の登場人物になったような気がする。いや、この場合はハードボイルド小説だろうか?
「やつらの行きそうところを考えるべきね……そもそもやつらはどうしてJFCを抜け出したのかしら?」
「仕事が嫌になったからでは?」
「うん、それは確実だと思うわ」
畳の部屋、ゴシックとゴスロリの饗宴。
異常が日常な腑卵町では別におかしくないが、ここが隣町であると考えただけで自分たちが妙なことをしている錯覚に陥る。
「では今からやつらはどうすると思う?」
「まったく分かりません。仕事をしない人は引きこもるものだと思いますが」
現在、リサの主人であるヨシカゲも屋敷で自堕落な生活をしている。
「確かに、でもやつらは実際にこうして逃げている。それとね、言っていなかったけどやつらはJFCを抜けるときに組織のお金を盗んでいるのよ」
「お金を盗む?」
「そのお金を使ってなにかするつもりかしら。まったくバカなやつらよね、お金さえ盗らなければ私なんかが派遣されてくることもなかったのに。JFCじゃね、そういう脱走のしかたをした人間はデッド・オ・アライブでの捕獲になるのよ」
「なんだかヤクザみたいですね、組の金を盗んで逃げる。そしてヒットマンに追われる」
「まるっきりそのまんまよ」
こうなれば本当にハードボイルド小説じみてきた。
「もしかしたら女の人がいるのかも」
「それも考えられるわね。でも相手は双子よ? まさか三人で仲良くってわけいかないでしょ」
「それか相手も双子か」
「ま、可能性としては低いわね。JFCの予想としては、やつら何かしら大々的なことをやるんじゃないかっていうの。その内容も目的も規模も分からないから、さっさと殺しちゃえってそういうことね」
「大々的なことですか」
「そうじゃなくてもお金を盗んで逃げ出すようなやつらよ。金欠になればお金のために何をするか分かったものじゃないわ。私達イースターエッグが金儲けのためになにかしようとしたら、被害が相当数に及ぶことがある。それを阻止するのもJFCの仕事よ」
「すっごい安直な考えでいえば、それこそその二人が殺し屋にでもなったらって話ですよね」
「そういうこと」
にしても手がかりがない。
二人は頭を悩ませた。
とにかく相手の目的が分からないのだ。
「ここに居たって仕方ないわね。一旦出ましょうか」
「はい」
外に出ると、空には飛行機が飛んでいた。この町には空港があった。それこそ国内とアジア圏にしか便のない小さな空港だが。
「飛行機か」と、ヒルダが呟いた。
「どうしたんですか?」
「私たち吸血鬼はああいった公共交通に乗れないのよ。それが掟だからね」
「ああ、だから自家用車なんですね」
「そういうこと」
飛行機は米粒のようになり、やがて見えなくなった。
リサはそれをなんの感慨もなく眺めていた。
その日の夜、リサは屋敷には帰らなかった。
隣町をヒルダとぶらぶら流し、夕方になりビジネスホテルに入った。
「どうせ経費で落ちるわ、ルージュもどう?」
「そうですね」
と、いうわけだ。
たまにはこういうのも女子同士の旅行みたいで悪くない、とリサは思っていた。
けれどヨシカゲが心配だったし、もちろん今日は帰らないという連絡も必要だったのでビジネスホテルの公衆電話からヨシカゲのスマホに電話をかけた。
「もしもし、ご主人様?」
『どうした?』
その返事にはなんの感情も込められていない。
「今日は帰りません。ヒルダさんと隣町に泊まります」
『そうか』
「夜ご飯はきちんと食べましたか?」
『ああ、いまサライエボで食べている』
「まさかパンケーキじゃないですよね?」
『そのまさかだ、キミは俺のことをよく知っている』
「もうっ、褒めてもダメですからね!」
『……別に褒めたつもりはないがな』
その電話をヒルダは後ろで聞いてクスクスと声で笑っていた。お面で顔は見えないが、たぶんその表情だって笑顔だろう。
電話は終わり、リサは受話器を置いた。ちなみに彼女はスマホを持っていない。
「どうしてビジネスホテルにはいつまでも公衆電話があるのかしらね?」
「さあ、どうしてでしょうか」
「きっと愛する人に電話するためね」
「……それ、冗談ですか」
「本気よ」
卑怯だな、と思った。リサが言えばつまらない冗談でも、ヒルダが言えば美しい詩の一説に感じられる。
「それで、愛の睦言は終わったかしら?」
「あまり言わないでください」
「じゃ、とりあえず外にでも行きましょうか?」
「まだ探すんですか」
「まさか、飲みに行くのよ。それともダメな口?」
「……いちおう、成人はしていますが」
「じゃあ決定ね。お茶会に繰り出しましょう」
「お茶会……いい響きですね」
というわけで、夜の宴会が始まる。
安っぽい服を着たビジネスホテルの受付は無愛想に「十二時までには帰ってきてくださいよ」と言った。ヒルダは優雅に片手を上げてそれに答えたのだった。
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