048 完全なる世界4-2
2
「なんだか外が騒がしいですね」
「お客さんがたくさん来てるんだ。でも気にするな」
「まあ、それなら家に入れて上げなくちゃいけないんではないんですか?」
「招かれざる客ってやつだ」
なんだろう、この会話は。まさかリサなりの冗談なのか。
俺は少し笑う。どうやら彼女も俺と同じで冗談が苦手らしい。
「少し話がある。大事な話だ」
「はい」
俺達はいつも食事をとる部屋に行く。リサはちょうどインスタントコーヒーを飲もうとしたようだ、俺の分も淹れてくれる。
警察官に囲まれた屋敷でコーヒーを飲もうと考えるとは。リサもなかなか豪胆だ。
「砂糖はどれくらい入れますか?」
「底で沈殿して汚泥があふれるくらいまで」
リサは無表情でコーヒーカップに角砂糖を入れていく。八個ほど入れたころ、コーヒーはカップの淵すれすれに水面張力で浮かび上がった。リサはそのコーヒーの色をした砂糖水を一滴もこぼさずに机まで運んでみせた。
「どうぞ」
「ああ」
俺はコーヒーを飲む。別に美味くはないが落ち着く味だ。
リサは俺とは真逆で、砂糖を入れずにミルクだけを入れて飲む。
「リサ、俺が聞きたいことは一つだけだ。お前は殺人鬼か?」
しばし、沈黙があった。
リサは俺の目を不安そうに見つめる。やがて意を決したように口を開く。
「いいえ、違います」
その言葉にはどこか悲痛な力強さがあった。俺に信じてほしいと、そう懇願しているようだ。
バカだなぁ、と俺は目を細める。
俺が、リサを疑うわけがない。それはしばらく一緒に暮らしていて、俺が彼女を信用しているからだ。彼女は人を殺せるような人間ではない。
「分かった」
俺は簡潔にそれだけ言った。
「信じてくれるんですか……?」
リサはなおも不安そうに聞いてくる。
「信じるよ。疑っても仕方がない」
ふう、とため息をつく。ならばこれで残る心当たりは一つ。もともとそちらが本命だ。十中八九、あいつが犯人だ。
「家の周り、さっき見たんですけど警察の人がたくさんいますね」
「ああ、キミが猟奇殺人の犯人だと思っている、愚かな奴らさ。まったく、俺がそんな人間を屋敷に住まわすわけないだろ」
「いつから……気づいていたんですか?」
「何が?」
「わたしのこと」
「最初からだ」
「そうですか……」
「そりゃあそうだろ。あのな、言ってなかったが俺は不死者なんだ。俺の体は時間の経過によってのみ変化する。外部から受けた変化は全て、前の状態に復元されるんだ。だから、キミの記憶改竄も無意味だったってわけだ」
「どうして何も言わなかったんですか?」
「別に、言うほどのことじゃないと思ったからな。ただ少し驚いたかもしれない。家に帰ったらいきなり見知らぬメイドがいるんだから。それも十年来の相棒みたいな気軽さでな。周りの人間もみんな疑問を抱いてないみたいだし、俺が忘れただけかと思ったよ」
「本当はご主人様の記憶も変えたんですけどね。まさか効いてなかったとは……」
リサはそう言って、何かに気がついたようだ。
頭の良い女だ、俺の言った言葉の意味もすぐに理解するだろう。
「まさか、ご主人様。あの子にも、会っていますか?」
「ああ、もちろん。それより聞かせてくれ。キミとあの女はどういう関係だ」
リサは観念したように頷いた。
「姉妹です」
その言葉で俺も納得がいく。
異能の力は親から子へと遺伝する。また、兄弟姉妹で同じ能力が発現することが多い。つまるところ、この町に記憶改竄の能力者は二人いたのだ。その内の一人が、目の前のリサ。そしてもう一人は……フサ子だ。
「わたしはずいぶんと長いことあの子に会っていません。もう五年になるでしょうか、わたしはあの子が恐ろしかった。あの子は人間じゃない。他人を殺して、自分の満足感だけを得て、そしてわけの分からない理論を並べて相手の全てを手に入れたと言う」
「フサ子から逃げたのか?」
「フサ子? ああ、ご主人様にはそう名乗っているんですね。あの子はフサという名前ですよ。リサとフサ、二人だけの姉妹です」
「両親は?」
「死にました。いいえ、フサが殺しました。平凡な家庭だったのに。サラリーマンの父とパートに出ている母。三十五年ローンの小さな家と、大きな黒いファミリーカー。だけど、フサはそんな生活を嫌った。もっと贅沢に暮らしたいと思って、それで両親の記憶を全て消して、周りからも消してしまって、殺したんですよ
それからは酷いもんです。タダ乗りみたいにお金持ちの家の子供になりすまして――私も一緒についていきましたけど。私達の能力はお互いで干渉しあって、どうしても姉妹では効かないのです。フサは自分と同じ能力を持つ私だけは信じられるといつも言っていました。
人間の記憶などもろく、儚く。大切なことすらすぐに忘れてしまう。けれど私だけは違うのだと、いつも媚びるように私に言っていました」
「それなのに、キミは彼女をほうって逃げたんだね」
「……そのとおりです。怖かったんです、殺人を犯し続ける妹が」
俺は想像してみた。ある意味世界中の全てを自由にできる力をもった一人のちっぽけな人間。その人間が唯一拠り所にしていた人に逃げられる。それはあるいは世界が終わるほどの悲しみなのではないだろうか。
ある行為に失敗し、絶望した人間は代償行動に走る。おそらくフサ子はリサに逃げられてさらに殺人をおかすようになったはずだ。それによりどれだけ世界を敵に回そうと、他人に恨まれようと、彼女にとってもう世界は終わってしまったようなものなのだ。
だが彼女はまだリサのことを探しているのだ。あの写真だけを手がかりに。そう、あの写真に映っていたのはもともとリサだったのだ。
可哀想な女だ。俺は心の底からそう思った。
そしてもう、フサ子は人間ではない。人を躊躇なく殺せるそれは化物なのだ。
「リサ、俺はフサ子を殺す。良いか?」
こくり、とリサは頷いた。
悪は裁かれるべきなのだ。だが、彼女にはそれができなかった。誰にでもできることではない。罪と罰は切り離せない関係にあるが、罪に罰を与えるのはいつも絶対的な他人なのだ。たとえばそう、神のような。
だが、この世界に神はいない。少なくとも俺は会ったことがない。だから代わりに俺が裁くのだ。人が人を裁くなどおこがましいことだ。だが、化物が化物を裁くのならば正当性がある。
「行くぞ、リサ。フサ子のところへ」
「今からですか」
「ああ」
「でも、周りは囲まれてますよ」
「突破する」
俺の言葉に、リサは目を丸くする。
「どうしてそんなことを」
「キミがのこのこ出ていけば捕まるのが落ちだ。そうだろ」
「けれど、わたしの能力で記憶を書き換えれば……」
「それをフサ子がまた書き換える? バカなことを言うな、そんなことをすれば記憶を弄られた人間の頭の中はグチャグチャになる。違うか?」
この前読んだ本には、記憶の混濁についての記事があった。むかし、ソ連で人の記憶を意図的に操る実験が行われたらしい。他人の記憶を脳に電極をぶっさして、催眠術などを駆使して意のままに操るのだ。
だがその実験は失敗だった。後に残ったのはぐちゃぎゅちゃの記憶を入れられた廃人の山。リサとフサ子のイースターエッグは、まるっきりこれと同じことができる。
「たしかに、そうですが……でも突破するってどんなふうに?」
「全部が終わったら、この町の人間からキミの記憶を消せ。そしてまた一緒に俺と暮らそう。なあに、また初めから振り出しに戻るだけさ。心配するな、俺は必ずキミのことを覚えてるから」
リサの目に涙がたまった。それを拭うように目をこすり、リサは頷いた。
そして彼女は顔を上げる。そこにはもう、能面のような無表情だけが張り付いていた。
「行きます」
俺はリサに作戦を説明する。周りを警察に囲まれている以上、突破するのにも一苦労だ。正門からノコノコ出ていっても仕方がない。もう一度町長を人質にとっても先程までの効果は期待できないだろう。
あれは突然のことで動揺させて、正常な判断をなくさせたにすぎないのだ。
だから、俺たちは自分の力でこの包囲網を突破するしかない。考えられる方法は、一つ。クルマだ。
「リサが運転しろ。ホロをあけて俺が刀で銃弾を迎撃する」
「そんなことできるんですか?」
「俺の退魔刀はなんだろうが斬れるんだ。俺が斬れると思ったものなら触れていなくとも斬れる。だから銃弾だって楽勝だ」
いや、それは嘘だ。訂正するべきなのだ。
俺に感情などない。ならば退魔刀が斬るのは俺の信じた物ではない。俺を信じた者が斬れると思ったものだけが斬れるのだ。俺は、誰かの願いを乗せて刀を振るう。
「信じろ、リサ。お前が俺を信じてくれれば、俺はなんだろうと斬る」
そのまま正門からクルマを出すのは、警備の人数の関係上大変だ。だからこの際、いっそのこと屋敷の裏手から出ることにする。柵も俺の退魔刀で切り裂けばいい。あちらなら警備も手薄だし、比較的楽だろう。
「でも、フサは一体どこに?」
「腑卵町にもう一軒屋敷があるのは分かるか? 川向うなんだが」
「ああ、何となくですが。駅の近くですよね」
「そうだ。あそこの老婦人が殺された。ということは……」
「フサはあそこにいる。ありえます。あの子は昔から豪華な生活をしたがっていました。あの子はピーマンに憧れる女の子だったんです」
「ピーマン?」
「『トマトマトの冒険』です。ピーマン野郎は大きなお城に住んでいる悪いやつです。金銀財宝を隠し持っていて、ナスビーナスを連れ去るんです」
「ふうん。ちなみにリサは誰に憧れたんだ?」
「それはもちろん、ナスビーナス姫です」
真顔で言うものだから、俺は笑ってしまった。
「なんですか、失礼ですね」
「いや、どう見ても姫って柄じゃないなって」
「ふん、いいんです。わたしはどちらかと言えば従者ですよ。なんせメイドですから」
「そうだな、今時珍しいくらいのメイドだよ」
さて、と俺はコーヒーを飲み終える。リサはカップを流しにおき、水でひたした。
「さて、行くか」
「はい」
俺たちは屋敷の玄関から堂々と外に出る。周りを囲む警察官たちが一斉にざわつき始める。正門は開いているが、そこには町長が陣取っている。
「行くぞ、リサ!」
「はい」
そして俺たちは並んで駆け出した。
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