047 完全なる世界4-1



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 この日、学校にはフサ子の姿がなかった。


「なんかさ、フサ子さんの祖父母が死んじゃったらしいぞ」


 俺は自分の席に座って、この前リサと買いに行ったライトノベルを読んでいた。


 時間は昼休み。生徒たちはそれぞれ学食に行ったり、持ってきた弁当を食べたりしている。俺はリサが作った弁当を食べ終わり、自分で持ってきたアメ玉を舐めながら本を読んでいたというわけ。


「そうか」


「やばいよな」


 あの日、リーダー役をやった男は俺の席の前にいた。こいつの名前は山田というらしい。たまたま知ったが、なぜか覚えてしまった。別に覚えようと思ったわけでもないが。たぶんあまりにありふれた名前だったため、覚えやすかったのだろう。


「喪中って言うのか?」


「そうだろうな」


「一週間くらい休むらしいぞ」


「寂しいのか?」


 俺の問に、山田は頷きもしなかったが恥ずかしそうな顔をした。


「なになに、なんの話し?」


 デブが近づいてくる。


 それだけで周囲の温度が二度は上がった気がする。


「フサ子さんの話だよ」


 リーダー山田が言う。


「ああ、フサ子さん。今日は休みだね」


「今日も、じゃないのか?」


 俺は言うが、二人は何も答えない。


「なんでも祖父母が死んだらしいぞ」


「殺されたって聞いたけど?」


 山田は「やめろよ」とキツ調子で言う。「そういう話、不謹慎だぞ」


 不謹慎ねえ。


 だが、殺されたということは殺した人間がいるということだ。それは誰だ? 俺はその心当たりがある。


 その人間は確実にこの町にいる。いや、人を殺してのうのうと生きているのだ。それはもう人間とは言えないだろう。バケモノだ。


 俺の仕事はそのバケモノを退治することだ。


 時刻は三時間目の授業が終わったところだ。あと一コマ授業を受ければ昼食。健全な男子生徒なら少し腹が減る時間。デブにいたってはグーグーと腹を鳴らしている。


 俺はポケットから板チョコを取り出す。


「ほら、お前も食べるか?」


「え、いいの!」


「まあ」


 俺はデブにもチョコレートの欠片を渡す。山田にも一つ渡す。デブはうまそうにチョコレートを頬張る。そんな顔で食べられれば、チョコレートも本望だろう。


 俺の板チョコを食べるときの流儀は、基本的に割らないというものだ。銀紙を開けて、上から一気にかぶりつく。パリッ、という小気味の良い音が鳴り、俺の口の中に甘い味が広がる。飲み込んだチョコレートは喉に張り付き、熱い至福が俺の脳にまで届く。


 こうして食べるチョコレートは、何よりも贅沢だ。母親がいたころはこういった食べ方は下品と注意された。そのせいもあってか、今はこの食べ方しかできない。


 チョコレートを食べてしまうと、校内放送がかかった。


『二年、麻倉ヨシカゲくん――』


 俺の名前が呼ばれる。


『至急、校長室まで――至急校長室まで』


「何かしたのか?」


 山田が聞いてくる。


 俺は知らないと首を横に振った。


「あれじゃない? この前の」


「ああ、あれか」


「あれ?」と、俺は二人が分かっていることが分からない。こういうとき、俺は自分の理解力のなさにもどかしくなる。他人が普通に分かることが、俺にはどうしても分からない時がある。


「ほら、この前の流血沙汰」


「ああ、サッカー部の」


 俺はやっと合点がいった。そういえばそういうこともあった。


 あの場では適当に流してなあなあになったように思ったが、どうもそう甘い話ではないらしい。確かにおとがめなしにするには騒ぎが大きかったが。


 俺は不承不承と立ち上がる。


 こういう場合、俺にできることはただ一つだ。きちんと出るところに出て、自分の無罪を主張、釈明するのだ。


 そもそも俺が悪いわけではない。あのサッカー部が勝手に俺の刀に触っただけだ。


「ちょっと行ってくる」


 俺は二人に言って、教室を出た。


 四時間目の授業が始まったようだ。


 廊下を歩いているのは俺だけだ。


 外から教室で勉強している生徒たちを見るのは、どこか不思議な感覚があった。何も自分が神になったような感覚を覚えたわけではない。むしろその逆だ。自分が仲間外れにされているような……いつもの感覚だ。


 職員室につく。


 俺は持った竹刀袋の口紐を緩める。何か嫌な予感がした。


「失礼します」


 中に入ると、まず目についたのは高級そうなソファに座る三十がらみの男だ。似合わない口ひげを生やしている。時間が押しているのか、しきりに腕に巻かれた国産の高級時計を確認している。


 町長だ。


 嫌な予感の正体はこれか。


「おお、退魔師。来たか」


 俺が入ってきたことを認めると、町長は立ち上がる。


「なんであんたがここに?」


 見たところ、校長室にいる人間は町長だけだ。はじめ、町長は俺の保護者扱いだから呼ばれたのかと思った。だがこの雰囲気は違う。むしろ俺に用があったのは、校長ではなく町長のようだ。


「まあ、座れ」


「断る、と言ったら?」


「座れ」


 俺の戯言のような言葉を、町長は強い調子で遮った。


 俺は渋々腰を下ろす。別に町長に屈服したわけではない。ただ、この男が何の話をするのか興味があったのだ。


 真面目な話だろう。いや、違う。どんなふざけた話をしてくるのだろうか。


 外に不思議な気配があった。数人の人間が統率を持って歩く気配だ。


 校長室は一階にある。窓の外には学校の隣にある森林が広がっている。そちらにも、姿こそ見えないが数人の人間が潜んでいるようだ。


 俺は今、囲まれている。


「なんのつもりだ?」


「気付いたか」


 町長は、ニコリともせずに真剣な表情だ。


「退魔師、お前に一つの嫌疑がかかっている」


「ほう、どんな?」


 俺が竹刀袋から退魔刀を取り出すと、外に隠れていた人間たちが姿を見せた。重武装の特殊警察。立てこもり犯を確保するための突入要因どもだ。


 だが、すぐに入ってくることはしない。町長が片手を上げてそれを制する。


「嫌疑を確信に変えるつもりか?」


「あんたの中では、もうそうなんだろ?」


 記憶の中身がどうであれ、な。


「連続殺人の犯人が見つかった」


「それが、俺だと?」


「まさか。ただ、お前はもう犯人を知っているのではないか?」


 俺は町長を睨む。


 知っているか? ああ、そうだ。そもそも最初から分かっていた。誰が怪しいか、誰が犯人であるか。だが俺は探すつもりなどなかった。なぜならこの町の人間を殺していなかったから。


 だが、それももう終わりだ。屋敷に住んでいた二人の老婦人が殺された。だから俺は犯人を殺すことにした。そのために今日、学校に来たのだ。


「陰陽師が見つけたんだ、犯人を」


「五反田はなんて?」


「写真を見せた。その写真に映っている人間を探させた」


 俺は思わず笑ってしまう。


「何がおかしい!」


 その言葉を引き金に、俺は下手くそな高笑いをする。


「写真か……そもそもそれがおかしいと思ってたんだ」


「なに?」


「あの写真はなんだ? 誰が用意したものだ? そもそもどうしてあの写真はとられた?」


 茶髪の、小さな女の子が写る写真。その写真に映っている子供は楽しそうに笑っている。そこからは幸せが感じられる。


「あれは、『JFC』から支給されたもので――」


「もしそうだとしたら、簡単に犯人など見つかっていたんじゃないのか? だが、そうはならなかった。犯人はずっと見つからず、この腑卵町に入ってきた」


「何が言いたい?」


「あんた、自分の記憶が誰にもいじられていない、純粋なものだと自信を持って言えるか?」


「なに?」


 俺は町長に不敵に笑いかける。


 そうだ、こいつも記憶をいじられているのだ、それも最初から。俺に会う前からだ。


 なぜ? 俺を殺すためだろうか。だが、あの写真だけは不思議だ。なぜ犯人はあの写真を町長に渡した? その答えは、たぶん……。


「ならば俺の記憶をいじったのは誰だ、知っているんだろ!」


「ああ、たぶんな」


「退魔師、お前にかかっている嫌疑は殺人教唆だ! お前の相棒のメイド。リサさんが犯人だ。違うか!」


「リサが殺人犯ねぇ。そいつはどうだろうか」


 その可能性もゼロではない。正直、リサにだって同じことができるのだ。だが、俺は彼女が犯人ではないと確信している。その証拠は、俺だ。彼女はずっと俺と一緒にいた。だから、殺人をおかす暇などないはずだ。


「今、お前の屋敷にも警察官が向かっている」


「ほぉ」


「お前はリサさんが捕まるまでここに居てもらう」


「断る、と言ったら?」


「力ずくだ」


「俺は死なない、知っているだろ? どうやって止めるつもりだ」


「死なずとも致命傷を追えば再生には時間がかかる。それくらい知っているさ。俺はこの町の町長だ」


 ふっ、と俺は溜息をつくように笑った。


 その瞬間、校長室の窓ガラスが割れる。


 飛び込んできたのは特大のダムダム弾だ。俺の視力ならばとんでくる銃弾さえ見える。見えているのならば、避けることもできるというのが俺の持論だ。


 俺の身体能力は普通の人間のものではない。退魔師としての遺伝。不死の力による脳内のリミッターの解除。そして、退魔刀から送られてくる魔力による身体機能の底上げ。それら全てが混ざり合って、その気になれば俺は風よりも疾く動ける。


 二発目の弾が飛んでくる。


 それを退魔刀で切り捨てる。


 俺は町長に掴みかかり、その腕を後ろに回して関節を決める。首元に刀を突き立てた。


「それ以上やってみろ、町長を殺す!」 


 校長室に廊下からも警察が突入してくる。


 だが、俺が人質をとっていることを見て躊躇したようだ。


「かまわない、俺ごと退魔師を殺せ!」


「殺す、俺をか! やってみろ! だがお前たち、責任はとれるのか。お前たちが銃を撃てば死ぬのは町長だけだ、俺は絶対に死なないぞ! 後で責任がとれるのならば撃て!」


 こう言われて撃てる人間などここにはいない。それができるのはよっぽど確固たる意思があるか、あるいはただのバカだ。


「お前たち、そこを通せ! いいか、動くなよ。少しでも動けば町長を殺す!」


 俺の威嚇はけっこう利いた。誰にも邪魔されずすんなりと校長室を出る。


「何をするつもりだ」


 町長が苦しそうな息遣いで俺に聞いてくる。少し首元に込めた力を緩める。


「俺の屋敷に迎え。運転しろ」


 俺は首元に刀を突き立てたまま、学校を出て駐車場まで行く。見慣れた白いクラウン・アスリートの隣には警察車両が何台も並んでいる。


 町長のクルマに乗り込むと、俺はすぐにクルマをださせた。もちろん首元にはすぐに切り裂けるように刀をあてている。


「退魔師、お前は本当にリサさんと共謀しているのか」


「違うに決まってるだろ。むしろお前こそ本当にリサがやったと思っているのか」


「思っている!」


 断定された。これは本当に記憶をいじられているのだろう。


 誰に? リサでなければ残ったもう一人に、だ。


 クルマが屋敷につく。屋敷の柵の周りを一瞬では数えられないほどの警察官が囲っている。


 俺は先程と同じように町長を人質にしたまま、クルマを降りた。


「お前たち、俺の家から離れろ!」


 町長のクルマから降りてきた俺は、あきらかにこの場所で浮いている。だが、町長を人質にとっていることから、まるで海を割るように警察官たちが場所を開けていく。


 ここまでこれば、もう良いだろう。


「おい、町長。旧知のよしみだ。俺は今からリサと話をする」


「説得するということか、殺人鬼を? 退魔師、お前は仲間じゃないのか」


「説得するわけじゃない。ただ、リサに聞かなければいけないことがあるだけだ」


「どういうことだ?」


「あいつは犯人じゃない、俺はそれを信じている。だが、証拠がない。だから聞く」


「それで真面目に答えると?」


「どうだろうな、だが納得できる説明が返ってくるかもしれないだろ。良いか、お前は開放する。俺を家にいれろ」


 町長は迷っているようだった。


 こいつの中ではリサが犯人。俺が協力者ということで記憶が改竄されているはずだ。


「信じろ、俺を。もしもリサが犯人ならば俺がリサを殺す。退魔師だ、俺は。この町の防衛装置だ。信じろ、それしか今は言えない」


 刀を突き立てながら信じろはおかしいと思い、俺は刀を下ろす。


 俺達は向き合う。


 どこまでの改竄がある? 俺の記憶などまったく無くしているのならば信じろと言っても無駄だ。だが、俺のことを少しでも覚えているなら……。


 町長は頷いた。


「十分だけ待つ。それでお前が出てこなければ、総攻撃に入る」


「攻撃ったぁ、物騒だな」


「リサさんは裁判の必要性もなく殺される。それがこの町のルールだ」


「もちろんだ。俺がその執行装置なのだからな」


 町長が周りの警察に叫ぶ。


「お前たち、退魔師が中に入る! 道を開けろ!」


 俺は何も言わずに自分の家へとゆうゆうと入っていく。ただ帰るだけ。そういうつもりだ。


 屋敷の扉を開ける。


 中から不安そうな顔をしたリサが出てきた。


「あ、おかえりなさい。ご主人様」


「ああ、ただいま」


 リサは珍しく無表情ではなかった。


 だから俺もお返しにと笑いかけた。



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