049 完全なる世界4-3
俺たち二人が走り出したのを理解した警察官どものざわつきが、大きくる。
相手の判断力が鈍っている間に屋敷から離れたガレージへと行く。ガレージの扉は電動で開く。それが開くまでの間、少々時間がかかる。リサは開き始めたシャッターをかいくぐるように、中に入っていく。
俺達の不審な動きに警察官が数名敷地内に慌てて入ってきた。
俺はその迎撃のために、ガレージには入らない。
「おいおい、不法侵入だぞ」
退魔刀を握る。もちろん殺す気はない。峰打ちで済ますつもりだ。
ジェラルミンの大きな盾をもった警察官が、真横に並んで俺に迫ってくる。その数五人。他の警察官も同じような陣形を組んで続々と敷地へと入ってくる。そして、外には銃を構える人員も。
俺は最初の五人に向かって駆け出す。そのまま横薙ぎに刀を振るう。大丈夫、なんだって斬れる。そう自分に言い聞かせる。はたして、警察官の持っている盾は刀で触れてもいないのに真っ二つに切り裂かれた。
慌てている五人に俺は流れるようなスムーズさで峰打ちの打撃を食らわす。狙うは脳。後で障害が残らない程度に脳を揺さぶって気絶させるのだ。
先行していた五人がやられたことで、他の警察官たちの足が遅くなる。それでも止まらないのは日頃の訓練の賜物か。
ガレージの中からクルマのエンジンが始動する音が響く。
リサの運転する白いオープンカーが、すごい勢いで出てくる。
おいおい、なんだそれはと俺は焦る。最初はゆっくり出てくるものじゃないのか、どうしろと、飛び乗れと? 俺の思考が一瞬でフル回転する。クルマの速度と自分の位置を認識して、走り出す。
行く手を阻むように大柄な警察官が一人。俺はそいつの盾を切り裂き、そして返す刀で肩口を強打した。
リサのクルマが、庭の中で急加速し、そのままハンドルがきられてドリフト気味に反転する。
――ここだ!
俺はそのタイミングに乗じて、刀を棒高跳びの要領でつかい、飛び上がる。
なんとかオープンカーに上から乗り込んだ、と思った瞬間にはクルマは屋敷の裏手に向かって猛スピードで突進していく。
「ご主人様、早く柵を切って!」
「任せろ!」
俺が刀を振ると柵はバターのように簡単に切れた。その付近にいた警察官たちが慌てて対比する。が、何人かの気概のあるものは銃口をこちらに向けてくる。
撃つなら迎撃する。そのつもりだったが、銃弾は発射されない。
それどころか、近くにいる警察官たちが自分の銃を見て、これはなんだと首をかしげている。
「銃の記憶を消しました、これで良いでしょう」
「やるな、でもあいつらこれから商売あがったりだぞ」
「良いんですよ、どうせすぐに覚えられますから」
確かに。
銃を撃つことくらい誰だってできる。
だが、本当にその銃弾で人を殺せるものは少ない。
クルマは法定速度を軽くぶっちぎって進んでいく。これは楽しいドライブではないのだ。追うものはいない。だが、俺は周囲に警戒したまま刀を握る。
オープンカーの前方からふきつける強い風。リサはそんなときでも無表情だ。ふと、彼女のことを美しいと思った。その心の中にどれだけの気持ちを込めているのだろうか。泣きたいのかもしれない、怒りたいのかもしれない、叫びたいのかもしれない。それらすべてを内包してもなお、彼女の心は鉄壁のカーテンのように静寂だ。
老婦人が住んでいた屋敷に到着する。
腑卵町にある、俺の家と同じくらい大きな屋敷。だが、うちと違うのは庭がそう広くないということだ。
建物は中世ゴシック調のゴテゴテとした装飾が満載の、異国情緒あふれるもの。この街では目立って仕方がない。こんな家に住むのはよっぽどの目立ちたがり屋か物好きだ。
「行くぞ」
リサが無言で頷く。
俺が屋敷のドアを開けようとすると、あちらから扉が開かれた。
「ッ――」
俺は慌てて後退する。
そして、刀を斜めに構えた。
誰だ、フサ子か? いや、違う。この軽薄そうな雰囲気、そしてよれよれの安っぽいスーツ。陰陽師の五反田だ。その手には何枚もの真っ白い紙が握られている。
「お前たちが、俺の妹を殺したのか……」
五反田の目は虚ろだ。
その言葉の意味も俺には分からない。
「なんのことだ?」
「とぼけるな!」
五反田が周囲に無数の紙をばらまく。その紙は中空で小さなツバメとなり、俺たちに向かって襲い掛かってくる。
俺は鞘に収められた刀を、一息に引抜く。周囲のツバメが数匹切れた。だが、それでも向かってくるツバメの数は多い。俺はリサを守るように彼女を後ろに突き飛ばす。その瞬間、俺の体中を弾丸にうたれるような激痛が走る。
「――ッ!」
痛みには慣れている。それで意識を失わない訓練もしてきた。大丈夫、俺はまだやれる。そう自分に言い聞かせ、倒れないように足を踏ん張る。
くそ、まったくの不意打ちだった。
迂闊だった。
どうやら五反田のやつはまたフサ子に記憶を操作され操られているらしい。
「おい、リサ。あいつの記憶をなくせないのか」
俺は体の痛みに耐え、リサに言う。
「ど、どの記憶ですか!」
見ればリサは尻もちをついていた。自慢のメイド服が地面について汚れている。そうか、俺が突き飛ばしたからか。
「とにかく、俺たちへの
「や、やってみます」
リサは両手を前に突き出す。その手は五反田の方へと向いている。
五反田の後ろから、色紙で出来たようなトラが出てきた。この前の竜と言い、まったく動物の好きなやつだ。
「お前が……お前が妹を……」
「違うって言ってるだろ!」
トラが飛び上がり、襲い掛かってくる。その獰猛な爪は迷いなく俺の首元を狙っている。
俺はトラの動きに合わせて刀を振り上げる。そのまま野球のバットをスイングさせるように横薙ぎに刀を振るう。トラは当たったそばから紙を引き裂く音と共に切れていく。
そう強い敵ではない。不意打ちでもされなければ俺が遅れを取ることはない。
五反田は文字通りの虎の子を倒されて、一瞬たじろいだ。
その瞬間、リサが「できました!」と叫ぶ。
五反田がドサリとその場に前のめりに倒れる。危険な倒れ方だった。
「おいおい、大丈夫かよ」
「さあ、そこまでは気がきかせられませんでした」
「いったい何の記憶を消したんだ?」
俺の体から、湯気のようなものが出てくる。春の地面を新芽が頭をだすように、いっきに体が治っていく。だが、服は治らず傷を負った場所は穴が開いたままだ。
「いえ、逆です。自分が芋虫だって記憶を中に入れたんです」
「そんなこともできるのか?」
「はい、後で芋虫の記憶を消せば、元通りになるはずです」
なるはず、という言い方に一抹の不安を覚える。
リサは恥ずかしそうに顔をそむけた。
「実は人の記憶を消すのは苦手なんです。消したい部分以外も消しちゃうことがあって」
そうか、だからあのショッピングモールで迷子になった少年は不自然なまでに母親が映画館にいるという記憶を失っていたのか。
「だとしたらさっきの警察もやばいな」
「たぶん、銃の撃ち方くらいなら大丈夫です。意味記憶は消したところでしばらくすれば戻りますから」
「なら良いな、こいつも――」俺は五反田をけとばす。「大丈夫だろう」
さあ、今は五反田なんぞにかまっている場合ではない。もたもたしていればフサ子に逃げられてしまうかもしれない。傷も治ったのだ、早く行こう。
中にはまだ罠のようなものが仕掛けれているかもしれない。俺はフサ子を後ろにして、暗い屋敷に入っていく。
掃除をおこたっていたのか屋敷の中はどこか埃っぽい。
「どっちに居ると思う?」
「どうでしょうか、どこにもいないかも」
それはない。五反田がおそらく最終防衛ラインなのだろう。ならばここにフサ子はいるはずだ。そもそもフサ子としては、俺たちがここを突き止めて、やってくるという想定はなかったはずだ。
「上か?」
「手分けして探しますか?」
「いや、それは危険だろう。何が出てくるか分からない。一緒にいこう」
リサは黙って頷いた。その頬はどこか赤いように感じる。
まずは一階から、屋敷の中をくまなく探す。だが、一階にフサ子はいないようだ。もしも出ていくのならば物音がするだろうが、それも今はない。
ならば二階へ、と階段を上がる。
階段をあがりながら、考えた。フサ子を見つけたとして、リサの目の前で殺しても良いものだろうか。俺に他人の感情はよく分からない。だが、そんなことをすればリサが悲しむのではないだろうか。
部屋を一つずつ開けていく。
いない、いない、いない。二階の最後の部屋になった。消去法で行けばこの中にフサ子がいるのだが……。
俺は勢い良くドアを開ける。鍵はかかっていなかった。
中は豪奢な部屋だった。まるでどこぞのお姫様が住むような、豪華絢爛の綺羅びやかな部屋だ。その部屋に、フサ子はいた。まるで王座のような椅子に座り、独り笑っていた。
「来たの?」
フサ子の目は狂気の色に染まっている。
観念したというよりも破れかぶれに見える。
「あれ、あれあれ? お姉ちゃん!」
フサ子が立ち上がり、嬉しそうにリサに駆け寄ってきた。
俺は何も考えず、何も感じずに刀を下から突き上げる。
「えっ――?」
リサに駆け寄ろうとしたフサ子の手に、刀を突き刺した。そして、そのまま横にスライドさせる。音もせず、また手に抵抗も感じずフサ子の腕がその場に落ちた。
「なに、これ?」
フサ子は一瞬呆けたように落ちた自分の手を見つめたが、すぐに絶叫する。声にならない叫び声を上げて、その場にのたうち泣き叫びだした。
俺はそんなフサ子を見下げていた。しばらく眺めて飽きてきたところで、殺そうと刀を振り上げる。
「まってください、ご主人様」
「なんだ?」
「少しだけ、待ってください」
リサはそれだけ言うと、フサ子に近づいていく。フサ子は痛い、痛いと自分の手を抑えながら、まるで助けを求めるようにリサを見つめる。「お姉ちゃん……」
「フサ、貴女は化物よ」
「どうして、どうして私が化物なの? お姉ちゃん、ねえ、お姉ちゃん!」
「普通の人はね、人殺しなんてしないの」
「どうして、私たち、普通じゃないのよ」
脳内のアドレナリンが出て痛みが麻痺したのか、フサ子は騒ぐことをやめた。
そして、まるで神の啓示を聞くように姉の言葉に耳を傾けている。
「普通よ、ただ少し妙な力を持っただけ」
「いや、いや……私、欲しいものがいっぱいあるのよ」
「フサ、欲しいものを全部手に入れたからと言って、幸せに慣れるわけじゃないの。どうしてそれが分からないの?」
「お姉ちゃん……お姉ちゃん……助けて」
「あの日、わたしはフサを置いて家を出たわ。あれは、今にして思えば逃げただけだったのよ。ごめんね、そのことだけは謝るわ。貴女に、普通の人間としてのことを教えてあげられなくてごめんね」
「いや、死にたくない! 死にたくないの! お姉ちゃん、私はもっと、もっと――」
「先にあの世に行っていてね。わたしもその内いくから」
リサは俺を向いて、コクリと頷く。
「もう、良いんだな」
「はい、ご主人様」
「そうか」
何か訳の分からない事を叫んでいるリサの首に刀を突き刺す。二度、三度と突き刺し、そして最後の仕上げに首を切り裂いた。
フサ子の頭がその場をリンゴのように転がる。
リサは目をそむけた。
俺はため息をつく。終わったよ、と思った。これで終わったのだ、この事件は。
他愛もない、たいしたこともない、意味もない事件だった。
いったいこのフサ子という女はなにを求めていたのだろうかと考えた。知るか、殺人鬼の考えなんて。
だけど、彼女にとって姉というものが大きな存在だったのだけは分かった。
もしかしたら、彼女にとっては本当に姉こそが世界だったのかもしれない。その世界たる姉が、自分のように人を殺さない。特別ということを認めない。それが彼女は嫌だったのかもしれない。
だが、そんなものは憶測だし、誰も理解できないだろう。
現にリサすら理解など示していない。
だから、彼女はずっと独りだったのだ。可哀想な独りぼっち。俺と同じだ。虚無的な存在。他人に認められない存在。意味のない存在。
そういう意味では俺達は似ていたのかもしれなかった。
「帰ろう」
と、俺はリサに言った。
リサは無表情で頷いた。
「そうですね」
一体どこに帰るのか、俺にはそれすらも空虚なもののように感じられた。
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