041 完全なる世界3-2
2
木曜日の最後の授業は体育なので、俺たちはグラウンドに集まっていた。
もう冬も目前だというのに外での授業だ。生徒たちから不満の声が出るのが当然だった。だが、俺には一緒に不満を言い合うような友達もいない。一人でグラウンドの石ころを眺めていた。
気が向いて、大きな石を裏返してみる。中から大量のアリが湧き出してきた。
「ねえねえ、ヨシカゲくん」
シフォンケーキみたいに甘ったるくて、柔らかい声がした。こんなふうに俺を呼ぶのは一人しかいない。フサ子だ。
「ちょっと待て、今アリの観察中だ」
「へぇ、それって面白いの?」
「面白くはない。だけど暇つぶしにはなる」
授業と授業の間の休憩時間は十分だ。それもあと数分で終わる。それまで俺はこのアリを観察するのだ。少し可愛いいたずらをしてみたくなり、ポケットから小さなチョコレートを出す。それをアリたちの中心に落とした。
カサッ。
と、乾いた音をたて、チョコレートはアリの群れの中心にいきなり現れる。アリたちはどう思っただろうか。いきなり天から降ってわいた巨大な食料だ。当分は出稼ぎにもいかなくて済むだろう。それでも、真面目なアリはせっせと遠くまで食料を探しに行くかもしれない。
俺はその光景を想像して、働きアリの法則を思い出した。『2・6・2の法則』とも呼ばれる法則だ。
「なあ、フサ子。働きアリの法則を知っているか?」
「なあにそれ、しらない」
あのな、と説明しようと思ったところで、俺は黙った。リサが相手だったらたいていつまらなさそうな顔をされるこの説明。もしかしたら女の子はみんな、男の自慢にも似たうんちくを聞くのが苦痛なのかもしれない。
だが、リサと違いフサ子は「教えて、教えて」とせかしてくる。おかげで簡単に説明に入れる。
「あのな、働きアリの群れがあるだろう」
「あるわ」
「その群れの中で、二割のアリは勤勉なんだ。そして六割は平凡。残った二割は怠惰だ」
「働きアリなのに怠惰なの? それ、働きアリじゃなくて怠け者アリじゃない」
「まあ、そうだな。けれどこの法則、アリの世界だけじゃなく、人間にも当てはめることができるそうだ。『2・6・2』の割合で、優・可・不が生まれる」
「そうなの、知らなかった。でもさ、それなら真面目じゃない二割は排除さるべきじゃない?」
俺はフサ子の言う排除という言葉の剣呑な響きに、苦笑いを浮かべる。
「良い質問だ。そう、誰しもがそう考える。ダメな二割をなくせば、残るのはおのずと優秀な二割と普通の六割だ。これによりコミュニティは円滑になり、さらに発展するはずだ。だが、実際はそうはいかないんだ」
「なんで?」
「ダメな二割を消し去っても、残った八割の中から新たにダメな二割が生まれるんだ。そして割合としては『2・6・2』になって、優・可・不となってしまうんだ」
「それじゃあムダじゃない」
「そういうことだ。フサ子はこの話を聞いてどう思った?」
「うーん、やっぱりどこにでもダメなやつっているものだなぁって」
「そうだな。だけど俺が思うのは違う。アリを人に言い換えるが。人というものはそれぞれが自分の役割を演じているんだ。優等生なら優等生、普通の生徒なら普通の生徒。劣等生なら劣等生でな」
「良い子悪い子普通の子?」
「古いな。まあ、でもそうだ。その役割はころころ変わる。そのコミュニティによっても変わる。フサ子はどうだ、学校にいる自分と家にいる自分が、違う自分だと感じたことはないか? 友人に接する態度と親に接する態度は違うだろう」
「あー、あるある」
「それをユングはペルソナと言った。仮面、という意味だな。自我という名の仮面だ。人は誰しもその仮面をかぶらされている。それがある意味では自分が決めることではなく、周りが決めることなんだ」
たとえば俺が退魔師をやっているように、周りから言われてやっているだけなのだ。
俺はアリの群れを見る。
二割のアリは俺が落としたチョコレートをせっせと運んでいる。
六割のアリは今まで通り、遠くまで足を運んでいる。
そして残った二割は、さぼっている。
誰がこの割合を決めた? 神か? ばからしい、神は確かに存在する。だが、それは人間が思っているようなものではないはずだ。もっと無責任で、我々に干渉などしない。ならばこの割合は誰が決めたのだ、それはそのコミュニティ――群れ自身が決めたことなのだ。
俺の説明はそれで終わった。
それからアリを見つめる。こうして見ているとあんが可愛らしい。
「ねえ、ヨシカゲくん」
「なんだ? 俺はアリを見るので忙しいぞ」
「私の役割ってなんだと思う?」
フサ子はそう聞いてきた。
俺は適当に答えようと思った。だが、フサ子の目は意外にも真剣だった。
「さあ、それは自分で決めることだ」
「さっきは他人に仮面をかぶらされる、って言ったくせに」
「それでも自分で決めるんだ。ワガママって言葉の語源を知っているか? ワガママ――我がままに事を進めるっていう意味だ。それが無理やりでも、自分で派手な仮面を被ってみろ。それがいつしかキミの仮面になるはずだ」
「ふうん……そう。でも、自分で仮面を被るのって大変よ」
「その通り」
俺もそう思う。
フサ子はなにやら納得したようだった。
教師が来る。授業のはじめに号令がある。そのために我々は教師の前に集まった。
並び方は身長順で、俺は右から二番目。つまりはこのクラスの男子で二番目に身長が高かった。これは、父親から遺伝だろう。
男子はサッカーをやるらしい。女子はソフトボールだ。体育教師も男子生徒を教えるゴリラのような男と、女子を教える干からびたもやしのような女がいた。
「お前ら、まず校庭十周!」
ゴリラの掛け声で俺たちは走り出す。
まるで動物園の調教のような光景だが、それならば俺たちが命令をくだすべきではないのだろうか?
先頭を走るのはサッカー部の男子生徒だ。そのペースに合わせて俺達は走っていく。まるで歩くようなのろさだが、それでも後半になればデブの生徒は遅れていく。
十周を追えて、まだ走っているデブを笑うのは恒例行事だ。
だが、俺は笑う方の人間ではない。どちらかと言えば、クラスではダメな二割だ。
「次、リフティング!」
ゴリラの号令。
――はい、芸をします。とばかりに俺たちは一人に一つ、空気が微妙に入っていないサッカーボールを持ち、それを蹴り上げる。
地面に落とさないように、ボールを蹴り上げるだけの行為。それがリフティングだ。
昔の貴族が蹴鞠をしていたようにやれば上品なのだろうが、現代では一人でやるただの汗臭い児戯である。
「十回できたやつから座っていいぞ!」
そう言われて、最初に座るのはサッカー部だ。ちなみにリフティングは手意外の部分ならばどこを使ってもよく、サッカー部となれば頭や胸、モモを使い出す。
次に運動神経の良い他の運動部が座りだす。
残るのはクラスでも運動のできないやつだ。
残った奴らの中にも様々いるのが面白い。もう座ったやつらからやいやと好意的なヤジを飛ばされるもの。まったくの無視をされるもの。笑われるもの。
俺は無視の部類だ。そこそこのところで十回やりとげ、座り込む。あまり目立たないにはこれが一番だ。
けっきょく笑われるのはデブだ。
可哀想に、やつはそういう役割なのだろう。
結局、デブは十回のリフティングもできずにゴリラが「時間がないからゲームするぞ」という言葉で、その拷問ともいえる笑われる時間を終えた。逆に言えば、それまでずっと笑われていたということだ。
ちなみにゲームというのは試合形式の練習のことだ。こんな学校の体育の時間まで専門用語を使わないでもらいたい。
割り振りは適当なものだった。クラスでも中心的な生徒と、それ以外の生徒が割り振れらただけだ。俺はもちろん、それ以外のメンツだ。
「よし、お前たち! 作戦タイムは五分だ!」
ゴリラはそう言うが、作戦なんてあってないようなものだ。
クラスの男子は十六人で、その半分がこちらのチームだから、総勢八人が我々のチームだ。一人の生徒が小さなリーダシップを発揮した。
「キーパーを決めよう」
逆にいえば、ポジションなどそれくらいしか分からなかったのだが。
しかしゴールを守る者がいなければ、それはサッカーとは言えないので、その男の発言は実際正しかった。
「問題は誰がキーパーをやるかだけど……」
そこでまさかの立候補者が出た。それは、デブだった。
「僕……やるよ!」
おおっ、と歓声があがる。それはいうなれば自ら犠牲になったものへ対する、賞賛だった。
デブは少しだけ照れくさそうにする。「だって、僕が適任でしょ?」
その通りだった。サッカーのキーパーと野球のキャッチャーはデブの仕事と昔から決まっている。ゴミ出しは女の仕事、書斎の掃除は男の仕事。それは不文律だ。
このデブの自己犠牲の精神により、チームの結束は強まったように思えた。
「じゃあみんな、勝つぞ!」
リーダーがそんなことを言った。
実際は自分でも思っていないくせに。だが、それが自分の役割であるというふうに言葉を発したのだ。
俺達は小さく呼応する。「おー」
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