042 完全なる世界3-3


 正直サッカーのことはよく知らない。十一人が一つのチームなのは知っているが、一人ひとりがそれぞれ役割を持っているらしい。代表的なものはキーパーだろうが、逆に言えば俺が知っているのはそれだけだ。


 役割を分けるのだから、それに応じた活躍があるのだろう。大雑把に分けると前衛、中盤、後衛だろうか。今、素人が集まる我々のチームでも、なんとなくそのような雰囲気の配置が自然とできていた。俺は中盤よりやや下がり、右後方とも言える立ち位置にはいった。なんとなくそうなっただけだ。


 ゴリラのような教師の号令で試合が始まる。ご丁寧に得点を示すボードまで用意されており、ゴリラはその前で声を張り上げる。


「本気でやれよ!」


 先程リーダシップを見せた男が前の方でボールをもっている。たしか何か運動系の部活動に入っていたはずだが、それが何なのかは覚えていない。


 どうしてあの男はあんなにやる気があるのだろうか、不思議でならない。


 だが、男も所詮は素人。サッカー部の生徒に簡単にボールを取られた。ボールをもったサッカー部の男は、すごい勢いでゴールまで走り出す。


 こちらも本気だなぁ、と俺は冷めた目で見ている。


 俺の横を通り抜け、サッカー部の男はゴールに向かってボールを蹴り込む。キーパー役のデブは、飛んでくるボールにビビって目を閉じ、体を縮み上がらせた。そのせいで、ボールは吸い込まれるようにゴールへと入っていった。


 あちらのチームが盛り上がる。あんまり本気でやるなよ、などという声が聞こえる。


 方や、こちらのチームはまるでお通夜のような状態だ。みんな夢から覚めたようにやる気をなくしている。唯一、リーダー役の男だけが本気で悔しがっている。


 そういえば、そのリーダー役の男はもともとあちらの目立つグループに入っていたはずだが、いつからか抜けさせられたらしい。


 ようするに、今回のこの頑張りも都落ちに対する復讐ということだろうか。


 俺達はそのために乗せられているというわけだろうか、馬鹿馬鹿しい。


 悪いが俺は、それで自分も一肌脱いでやろうと燃えるような善人ではないのだ。


 あれよあれよという間に、二点も三点も点数が入れられる。そこまでされればもうさすがに全員やる気をなくす。それでも体育の単位のこともある。一応は足だけ動かしているような状態だ。


 俺はといえば、そういった事にもあまり興味はないので、ずっと突っ立てっているだけだ。どれだけ単位を落とそうと、高校は卒業できるだろうし、なんなら卒業できなくてもいいのだ。退魔師とはそういうものだ。


 楽といえば楽だが、この歳で自分の未来が決まっているというのは、何事に対してもやる気を無くすことになるので、悲しいことだとも思う。


 何もしないで見ている俺に、近づいてくる男がいた。


 それは先程ゴールを決めた、サッカー部の男だ。名前は覚えていない。正直、クラスの生徒で名前を確実に覚えているのはフサ子くらいだ。それにしたって自分から突然名乗ってくるものだから覚えただけだ。覚えたくて覚えたわけではない。


 他の生徒はすべて曖昧模糊としているから、俺にとって記憶にあるのは彼がサッカー部であるということだけだ。


「よぉ、退魔師」


 サッカー部の口調には、どこか薄ら寒い雰囲気があった。俺をバカにしているのが、語尾のあがり方でなんとなく受け取れた。


「なにか?」


 俺はどうしてこのサッカー部が話しかけてくるのか分からなかった。ニヤニヤと笑いながら、サッカー部は「退魔師ぃ」と語尾を間延びさせ、繰り返す。


 一応、今はどちらも敵チーム同士なのだが、ここで話をするつもりだろうか?


「なあ、退魔師ってどんな仕事してんだよ? 教えてくれよ」


「読んで字のごとくだ」


 俺が言うと、サッカー部はギャハハと歯茎を見せて馬鹿笑いした。それがわざと、面白くもないのに俺をばかにするためだけに笑っているのだと理解した。


「じゃあ、お化けとか倒すのか?」


「ああ、そういうこともある」


「夏にやる心霊番組みたいにか? ああいうのってやらせだろ、俺この前みたぜ。現代の陰陽師が平和な家族に取り付いた悪霊を退治する、って番組。退魔師もああいうことやるのか?」


「俺はその番組を知らないが、たぶんそうだろう。おんなじようなものさ」


「やらせなのか? そりゃあさ、ジジイとかババアどもはお前のことありがたがってるみたいだけど、そういのって詐欺じゃないのか? 心が痛まねえのか?」


「心が痛むというがな、俺がやらねければ誰かは確実に被害をうける。心だけじゃなく体も痛むことになるぞ。それなのにどうして、きちんと仕事をやる俺の心が痛むんだ?」


「仕事ときたか、アルバイトじゃなくてか?」


「そうだな、厳密に言えば俺は町役場に雇われた、アルバイトだ。俺が学生の間はそういう契約だ」


 話にならない、とばかりにサッカー部が鼻を鳴らす。


 この男は俺からいったい何を聞き出したいのだろうか。それともただ俺を不快にさせたいだけだろうか。何のために?


 その理由はすぐに判明した。サッカー部の男は俺を見ながら、時折よそ見をしている。その視線の先にはソフトボールをしている女子生徒たちがいる。その中でもサッカー部の男が熱心に見ていたのは、フサ子だった。


「お前、フサ子のことが好きなのか?」


 サッカー部は何も答えないが、それは如実な肯定だ。


「お前、フサ子さんとどういう関係なんだよ」


「どうもこうも、俺はあの女について何もしらない」


 そもそも誰だ、あれは? と言っても冗談だと思われるだけだろう。


「たとえば、だ」


 サッカー部が一瞬真剣な顔をする。だが、その顔にも次の瞬間にはにやけた笑いがへばりついている。


「俺はサッカー部のエースで、クラスでも中心人物だ」


「そうなのか」


 それは知らなかった。


「で、お前は退魔師なんてわけの分からない仕事をしている。クラスでも下から数えたほうが早い立場だ。あるだろ、スクールカーストってやつがさ。お前、友達いるか?」


「いないな」


「だろ?」


 なにが「だろ?」なのかは分からないが、「そうだな」と俺は答えておく。


「つまり、お前より俺の方がフサ子さんに相応しい。そいういうの、わかるよな」


「よくわかる」


 ここは適当に調子を合わせておく。いい加減この会話も面倒になってきた。


 俺は遠くにいるフサ子を見てみる。あんな女のどこがいいのだろうか。そもそも俺は女性の良し悪しなんて分からないが。たとえば母親を美の基準にもってきたら、他の女などすべて芋もいいところだからな。


 フサ子がこちらに気がついて、手を振ってきた。


 ソフトボールというのは攻撃側の生徒にバッターとしての番が回ってくるまで、待ち時間がある。まさにフサ子は今、その時だったのだ。タイミングが悪い、ということか。


 なぜかサッカー部の男はそれで怒り出した。


 俺に向かって、「お前、調子にのるなよ!」と言ってくる。


 なんのことかは分からないから、「ああ」と肯定しておく。それでさらに男は怒ったようで、俺をひどく醜い顔で睨みながら、去っていった。


 代わりに、フサ子のやつが歩いてくる。


 俺はサッカーコートの右隅の方に立っていたので、外にいる人間とも話すことができた。それで、フサ子はこちらに来たのだろう。


「教師に怒られるぞ」


 彼女がなにかを言う前に、俺は先手を打つ。


 お前と話をする気はない、と言ったつもりだ。


「だいじょーぶ、怒られないよ」


 根拠がどこにあってその自信が溢れてくるのか、少し分けてもらいたいくらいだ。


「ねえねえ、あの人と喋ってたの?」


 フサ子はサッカー部を指差す。


「見てたのか?」


「……まあ。あ、でも見たのはヨシカゲくんのことをだよ」


 屈託なく笑うフサ子だが、なんだかその仕草からあのサッカー部をあまり好いていないような気がしてならない。


「あの人、面倒じゃない?」


 やはりだ。


「そうなのか」


「なんかよく話しかけてくるしさ。でもね、その度に自慢ばっかりなの。私、自分のことばっかり話す男の人きらい」


「男なんて全員、そんなもんじゃないのか?」


「そうかな~、でもヨシカゲくんの自慢話って聞いたことないけど」


「それはな、俺が自慢することなど何も持たない、つまらない人間だからだ」


「謙遜謙遜。この前だって助けてくれたでしょ」


 フサ子は声を潜めた。周りに聞き耳をたてている人はいないが、子供が親に内緒話をするように、顔を近づけてきたのだ。


「そうだったか?」


「助けてくれたじゃない。かっこよかったよ!」


 俺は頬をかく。


「それが俺の、退魔師の仕事だからな」


「良い仕事ね、退魔師って」


「この町の人間が全員そう言ってくれれば良いんだがな」


 だが実際は先程のサッカー部のような人間が殆どだ。年齢を重ねた者ならば退魔師への畏怖を持つ者も多いが、若年層となるとそうはいかない。特別な存在に見える退魔師を、理屈抜きでやっかむ人間は多い。


 誰しもが、若い内は特別な存在になりたがるものだ。その特異性の利点だけに憧れ、力あるものが当然持つ孤独は理解できないのだ。


 俺はその孤独を抱いて闘い続けるのだ。ただ独りで……。


 フサ子が女子生徒に呼ばれている。どうやら彼女の打順が回ってきたようだ。


「あ、じゃあ行くね」


「ああ」


 見れば、サッカー部の男が俺を睨んでいる。ふむ、羨ましいか? 俺もお前が羨ましい。変わってほしいくらいだ。


 フサ子はソフトボールに戻ろうとして、一度振り返った。


「ヨシカゲくん、サボりアリになっちゃダメだよ!」


 俺は首を傾げる。どういう意味だ?


「働きアリにならなくちゃ! やればできるんだから、格好いいところまた見せてよ!」


 俺は薄く笑う。それは先程俺がおしえてやった働きアリの法則だ。確かに今の俺は、悪い方の二割。怠け者のアリだろう。そういうのって、格好悪いかもしれない。


 別に他人から格好良く見られたいわけではない。だが――他人にいわれのない悪意を向けられて、バカにされるのは嫌だ。俺は退魔師なのだ、この町を守る存在だ。その俺が町の物にないがしろにされる? そんな馬鹿な話があってたまるか。


 ボールが俺に向かってとんでくる。


 蹴ったのはサッカー部の男だ。あきらかに俺を狙って蹴っている。


 俺は素早く視線を滑らせ、点数を確認する。『5・0』という表示が見えた。ボロ負けじゃないか。俺は少し笑う。どうやら他のチームメイトはやる気などもう皆無らしい。それでも健気にゴールを守らなければいけないデブは可哀想だ。俺に任せれば、失点などゼロにできただろうに。まあ、俺は立候補しなかったのだが。


 さすがサッカー部というべきか、ボールは俺の顔面めがけてまっすぐ飛んでくる。俺にはボールに付いた傷の一つ一つまでがしっかりと見えている。止まっているのとそう変わらない。


 フラミンゴのように足を高くあげる。タイミングを合わせてかかと落としの要領でとんでくるボールを地面に叩きつける。本気でやれば割れそうなので、そこは手加減だ。地面に張り付くその位置で力を抜き、あらぬところに飛んでいかぬようにその場に押し付けた。


 俺の足元にへばりつくようにボールは足の下だ。まるで最初からそこにあったかのようだ。


 小さな拍手が聞こえる。見れば塁に出ているフサ子だった。


 フサ子が俺に笑いかけている。俺はニコリとも返さない。


 代わりに、サッカー部を見る。やつは悔しそうな顔をしている。


 俺はボールを蹴りながら、走り出す。最初の三歩は慣れないせいか、どこかぎこちない。だが、四歩目でコツをつかむ。ようは自分が走るのに合わせて前に出せば良いのだ。


 俺がもっているボールを奪おうと、敵チームのやつらが走ってくる。


 これも簡単、ようは相手の足を避けて自分のボールを動かせばいいだけだ。一人、二人と交わして、そいつらを抜き去っていく。


 あまり体を動かすことはしないが、悪くない気分だった。いつも刀ばかり振るっているから、こうやって平和的に走るのも悪くない。


 横から、サッカー部の男がスライディングをしてきた。その足は明らかにボールではなく、俺の足を狙っているようだ。


 俺はつま先とかかとでボールを挟み、ひょいと飛び上がる。空中に逃げたことで、地を這うサッカー部のスライディングを綺麗にスカした。


 これで三人抜いた。


 残りは数人。


 前からガタイの良いクラスメイトが迫ってくる。


 先ほどボールを持ち上げた時、かかとをつかった。それで思いついたことがあるので、試してみることにする。今のトップスピードでは少し早いと思い、緩やかに減速する。


 相手がくる。そのタイミングに合わせて先ほどと同じ、左足のかかとと、左足の平でボールを挟む。左足を支えにして、右足で左足を滑らせるようにボールをもち上げた。一瞬だけ浮いたボールを左足のかかとで蹴り上げる。


 蹴り上げたボールは俺の背後を昇りあがる。俺はそのまま走る。上に上がったボールは大きな弧を描いて前方に落ちてきた。それを足でまた受け止めた時、先ほどまでは前にいた生徒はすでに後方だ。上空を使ってボールを移動させ、抜き去っていた。


 あとはキーパーだけ。


 おそらくキーパー側が、一対一の状況でどうするかはその選手によって違うのだろう。俺と対峙した男はあえて前面に出てきた。まるで掴みかかるように俺のボールに向かって突進してくる。


 このまま蹴っては怪我をするだろうと思い、俺は素早くボールを上に浮かせる。確かサッカーでは頭を使っても反則にはならないはずだった。浮いたボールを頭突きの要領でゴールに向かって飛ばした。


 ボールはゴールの直前で一度バウンドして、また跳ね上がりネットを揺らした。


 ふむ、こんなものだろうか。初めてやったことが多かったが、おおむね満足のいく結果となった。俺は軽い充実感を覚えて、自陣に戻る。これも知識がさだかではないが、確かゴールが決まった場合、それぞれのチームの選手は自陣に戻り、中心から再スタートするはずだ。


 だが、まだやるのかと思っていた試合形式の練習は、俺が自陣に戻り、チームメイトからの喝采と共に迎え入れられた瞬間に終わった。


 俺の凱旋を待って、教師が終了を知らせる笛をならしたようだった。


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