040 完全なる世界3-1


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 夢を見た。


 古い夢だ。


 俺はまだ子供で――今も大人とはいえないのだけど――それなのに両親が死んでしまった。


 父親の死因は、呪いだった。


 腑卵町に入った異物を退治するのが、退魔師の仕事だ。俺の前は父が。その前は祖父がこの仕事をしていた。麻倉家は代々、この腑卵町で退魔師をしている。


 その日、俺はいつものように父親について町に入った能力者を追っていた。そいつはエチオピアの呪術師で、浅黒い肌に白いダブルのスーツを着込んだ男だった。今でもよく覚えている、父の振るった退魔刀が、呪術師を袈裟懸けに一刀両断し、その真っ白いスーツが血で染まった。


 いつもと同じ、変わらない光景だ。


 父が勝ち、腑卵町の平和は守られる。その時も、そうだと思った。


 だが、実際は違った。


 事切れるその瞬間、呪術師は笑ったのだ。ニヤリ、ともニタリともつかない、口角が目まで吊り上がるほどの不気味な笑い方だった。


「呪ってやる……俺を殺したお前たちを、呪う……」


 それが、呪術師の最後の言葉だった。


 父はその言葉を歯牙にもかけなかった。殺された人間の呪詛の言葉など何度もきいた。一々気にしていればノイローゼになる程に。


 だが、この時は違った。


 呪術師は最後の力を振り絞り、本物の呪いを父と、そしておそらくは俺にかけたのだ。


 父だって呪いへの耐性くらいはあったはずだ。しかしエチオピアの呪術師が今わの際に放った呪いは、彼の人生最期となる極上の呪いだった。


 父はその次の日から三日三晩寝込んだ。


 一度も起きなかったのだ。手厚く看病する母の深刻そうな顔を見て、父はもう死んでいるのではないかと思った。


 だが、四日目に父は目を覚ました。


 その時の母の喜びようと言えば、今でもよく覚えている。なぜなら母が喜んだ姿を見たのは、その時が最後だったからだ。


 父はそれからずっと寝たきりで、日に日に体調を悪くしていった。母は慌てるばかりで、なんら有効な解決策を持たなかった。毎日毎晩、苦しそうにうなる父につきっきりで、むしろ母の方が先に死んでしまうように思ったくらいだ。


 それはありえないとしても、だ。


 俺の不死者としての能力は、母からの遺伝だ。母は俺よりももっと素晴らしい、不老不死だった。俺はその半分しかもらっていないから、死なない代わりに歳だけはとる。母はそれもないから、ずっと十九くらいの、うら若い姿だった。


 その母が、げっそりと年を取って見えるほどに、父の容態は悪かった。


 ある晩、父は俺を病床に呼んだ。


 俺は母に、父の部屋には入るなときつく言いつけられていたから、父親に呼ばれた時、何かこれは重大なことがあるのだと察した。


 父の部屋は、暗く、どこか湿気が溜まっていた。壁一面に難しそうな本があり、それ以外の娯楽は皆無だった。座り心地の良さそうな椅子が一脚、そして簡素なベッド、テーブルすらない部屋だった。


「ヨシカゲ……お前は母さんの子だから、強いんだ」


 父の第一声は、それだった。


 記憶にある荒々しい声とはまったく違った、弱くてか細い声だった。


「お前は不死者だ……だから私と違って、呪いのたぐいを受けないんだ」


 これは後で知ったことだが、こういった特殊な能力は多く親から子へ遺伝する。それがそのままか、劣化してか、あるいは洗練されて遺伝するかは分からない。俺の場合は劣化した。


 母が老いもせず、死にもしない不老不死なのにたいして、俺はただ死なないだけの不死者だ。


 また、こういった能力は兄弟や姉妹がいる場合、同じ能力を持つことが多い。俺は一人っ子なので、俺と同じ不死者はいないはずだ。


 俺は俺の能力について、両親からしっかりとした説明を受けていなかった。だから、ただ自分が他の人より少しだけ、傷の治りが早い程度に思っていた。


 父はこのときまで、俺が死なないという事実を隠していたのだ。


 そこにどのような意味があったのかはわからない。おそらく親心なのだろう。だが、俺には今でもその心が理解できていない。


「ヨシカゲ、母さんを頼んだぞ……」


「父さん?」


 俺は、父のその言葉に尋常ではない気配を悟る。


 まさに、父は自分の死期が近いことを知っていたのだ。そして、俺に遺言を残していった。


「お前に、渡さなくてはならないものがある……」


 そう言って、父は無理をするように立ち上がる。


「父さん、ダメだよ寝てなくちゃ」


「これは今よりお前のものだ」


 父は壁に立てかけてあった退魔刀を手にとり、俺に差し出した。


 父の手は、刀の重さで震えていた。それを受け取った俺の手も、今から自分が背負わなくてはいけない重圧に震えた。


「まだまだ教えてやらなくてはいけないことも、あったのにな」


 俺の記憶では、父が親らしい事をしたのは、このときと、あのソフビ人形を買ってくれた時だけだった。他の時はずっと厳格で、今からしてみれば虐待に近いほど厳しい人だった。


 だから、俺は父親を卑怯な人間だと思う。


 最後にこんなふうに優しくされたら、俺の中の父の記憶は彩られ、まるで素晴らしい父親であったように思えてしまうではないか。……終わりよければなんとやら、というやつだ。


 父が床に伏せて一ヶ月ほどだろうか。普通の人間だったならとっくの昔に死んでいただろう。だから、よくもった方だった。


 葬式は盛大に行われた。幼い俺には街中の人がやってきたと思ったくらいだ。実際には外からも多数の人が来ていて、さらに大規模だったのだが。


 母は父の葬式の間、厳粛な未亡人だった。


 今にして思えば、もうあの時、母は決めていたのだ。


 俺を置いて、見捨てていくことを。


 母が自殺したのは、父の四十九日が終わった、次の日だった。


 不老不死の存在の中には、自らの自殺も許さない体を持つものもいる。だが、俺の母――そして俺の体は違う。体は死なずとも、心がもうここまでと決めれば、体も朽ちるのだ。


 心が死ななければ、不死の体は外界からの影響をまったく受けない。だから俺は呪いも受けなかったのだ。俺はしななかった。


 だが、母の心は、父と共に死んだのだ。


 残された俺は独りぼっちになった。


 退魔刀と、他からの干渉を受けない不死の体。それだけが俺の全てになった。


 俺はがらんどうの屋敷で、独り暮らすことになった。でもそれも悪いことじゃないと思うことにした。だって考えてみろよ、大好きだった甘いお菓子がたらふく食べられるんだから! 母親は口うるさく俺が甘いものを食べるのを制限していたが、もう止めるものもいない。


 ――やった、嬉しい、食べ放題だ!


 そう、思い込むことにした。その時から俺の偏食は始まり、今ではそれは俺のアイデンティティへとなっている……。それだけが、俺を人間たらしめるのだというように。


 そう言えば、父も甘いものが好きだった。時々、母に隠れて甘いものを食べている父を見た。俺に見られたことを悟った父は、鬱陶しそうな顔をして、しかし口止めに俺にその甘露を与えてくれた。


「母さんには言うなよ」


「うん、言わない!」


 ああ、どうしてだろうか。


 後になって思い出すのは、父の良かった部分ばかりだ。本当に卑怯だ。こうして見れば、割りとまともな父親だったように思えてしまう。




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