029 完全なる世界1-5
「な、なんでここに」
と、男が驚愕に目を見開いた。
「はぁ?」
俺は意味が分からず、思わず間の抜けた声を出してしまう。
「式神がいただろ!」
「ああ、あの程度なら物の数にも入らんさ」
俺は退魔刀を正中に構える。男はそれで、一歩さがった。
「くっそ……ドンパチは苦手なんだ」
男は懐から小さな紙を二枚だす。その紙を風に流すように捨て去ると、空中で二枚の紙は合わさり、そして倍々に肥大化するように増えた。
紙が折り重なり、巨大なヘビのような形になった。
「キツネよりは可愛らしいな」
男の周りをヘビがとぐろを巻く。
「あっ、ヘビだっ!」
俺はため息をつく。
バカ女――フサ子のやつが楽しそうに屋上に出てきやがった。
「私ね、ヘビさん大好き!」
「隠れてろって言ったろ!」
ヘビが一度上空に飛翔し、急降下してくる。その狙いはあきらかにフサ子の方だ。
俺は慌ててフサ子を米俵のように片手で担ぐ。
「きゃっ!」
「あばれんなや!」
「すごいすご~い!」
俺はフサ子を担いだまま、走る。ヘビは俺たちを頭から飲み込もうと追いかけてくる。そもそも式神に食べられたらどうなるのだろうか、とかそんな事を少し考えてしまう。つまり、案外余裕だ。
そのうち、走ってるのも面倒になる。
陰陽師の男は呑気にヘビを応援している。「がんばれー」
まったく……この町はバカばっかりか。
俺は面倒になってフサ子を陰陽師の男に向かって、思いっきり投げつける。
「ぎゃっ!」
叫び声を上げたフサ子は、意外にも空中で猫のように体をひねり受け身をとる。だが、そのまま陰陽師の男へとぶつかって行った。
「いてぇ!」
「いたいっ」
二人の声が重なる。
だが、気にしない。俺は手が開いたので巨大なヘビに向かい合う。そして、刀を構えた。
向かってくるヘビに合わせて、俺は刀を真っ直ぐに置いた。
そして、何も考えずまっすぐに向かってきたヘビは刀にふれるやいなや、柔らかいチーズのように真っ二つに裂けていく。
俺は足に力を入れる。
その場で踏ん張るだけで、ヘビの方から向かってきて切れていく。
視界いっぱいが、式神の白い紙で覆われる。それが一息になくなり、視界が晴れ渡った。
屋上から、空が見える。夕日がゆっくりと落ちていく。空が暗くなり、周囲に飛散した切れた式神が燃えだした。
燃える式神の灯りを頼りに、俺は陰陽師へと歩み寄る。
尻もちついて倒れているその男の、スーツの襟を掴み引き上げた。
「これで終わりか?」
陰陽師の男がバタバタと暴れる。
そして、懐から一枚の紙を取り出した。
俺はとっさに男を突き飛ばす。だが、それに合わせて男がその紙を放り出した。
小さな破裂音。目の前に広がる閃光と、肌で感じる熱さ。痛みと消炎の臭い。そして、俺の肌が焼けるその臭い。
男の出した小さな紙が、俺の目の前で爆発したのだ。
してやったり、と笑うその男の顔を、俺は冷淡に見つめる。そして、焼けただれた手で、男の頬を殴りつけ、もう一度襟首をつかむ。そして首元に日本刀を押し当てた。
「
「うっ……」
俺は日本刀を少しずつ、喉元に向かって押し当てていく。か細い一線の血が、ぷっくらと首元に浮かび上がってきた。その血は切れ味の良い刃で、二筋に分かれていく。
「お前の狙いは俺だな?」
男は答えない。
俺は日本刀をミリ単位で少しだけ押し付ける。
「フサ子!」
突然呼ばれたフサ子は、「はひっ!」と驚いた声を上げた。
「出て行け」
強い調子で俺は言う。
フサ子は何か言いたそうだったが、俺の真剣な様子を察したのか何も言わずに屋上を出て行く。
そして、出ていこうとするその時に、一度俺を振り返った。だが、結局なにも言わずにフサ子は出ていった。
俺は彼女が出ていくのを確認してから、陰陽師の男を向き直る。
「もう一度だけ聞く、お前の狙いは俺だな」
「当たり前だ」
吐き捨てるように陰陽師は言う。
その口調には、俺に対する確かな憎しみが込められている。
俺は人の憎しみに敏感だ。これまでの人生で人に憎まれた事は多々ある。俺を憎むその相手を、俺が憎む、憎まないに関わらず。今だってそうだ、俺はこの男の事などしらない。なのにこの陰陽師の男は確かに俺を憎んでいる。
どうしてだろう、人に憎まれることには慣れているはずなのに、いつも俺は少しだけ哀しくなる気がする。小指ほどの、ほんの少しだが。
「なぜ、俺を狙った」
「お前のようなやつは死んで当然だからだ!」
「死んで当然、か」
陰陽師の男を掴む俺の腕から、まるで肉をこねくり回すような音と共に、不純物を浄化する光る粒子が排出される。
傷だらけの俺の手が、目に見えて治っていく。
「化物め――」
陰陽師の男が吐き気を催したように、顔を歪めた。
――俺も、そう思うよ。
だが言葉には出さない。
そのかわりに、俺は笑った。
「俺を殺す? 聞きたいねえ、どうやって殺すつもりだった?」
「お、お前が殺した人間と同じようにバラバラにしてやる!」
「俺が殺した?」
不思議な事を言う男だった。
俺は人を殺したことなどない。ただ、人ならざるものを殺した事なら何度もあるが。
「分かってるんだぞ、お前がバラバラ殺人の犯人だ!」
「俺が? 何を言ってるんだ、お前は」
そもそもバラバラ殺人とは……あれか? 昨日、町長に依頼された異能力者による殺人事件だろうか。その犯人が俺だと言うのだろうか。
バカげた話だ。そもそもなんの因果があって俺を猟奇殺人の犯人だと決めつけるのだろう。
だが、男には確信があるようだった。その目には俺を憎むき精神異常者であるという結実たる意志がある。
俺はやれやれ、とため息をつく。
男の様子はまるで独り相撲だ。自分で勝手に盛り上がって、勘違いの末人を襲う。まったく、付き合っていられない。
俺はどう落とし前をつけてやろうかと悩む。このまま首の皮を切り裂き、肉を少しばかりエグッてやるのは
だが、それで良いものだろうか。こいつはどうも、ただ正義感のあるバカなような気がする。
「どうして俺が、バラバラ殺人の犯人だと分かる?」
「お、俺が陰陽師だからだ」
「ふうん、つまりは何か。お前はその陰陽師としての力を使って俺を犯人だと確定させたと?」
確か陰陽道における占いを卜占というはずだ。
事実、彼は超常の力が使える存在――俺のような先天的ではないにしても後天的なイースターエッグだ。そういった力を使える可能性もあるが……あるが、残念ながら占いの精度は高くないようだ。
「俺の
「そうか、じゃあ今度からは百発九十九中だと思うんだな」
「な、なんだと!」
自分の力をバカにされたと思ったのか、男が声を荒げた。そのせいで体が動き、俺の日本刀がまた少し、彼の首を切った。
痛ましい表情をする男が哀れになり、俺は刀を引き首元からも手を離す。
咳き込む男を、俺は「大丈夫か?」といたわった。
憎むべき俺に言われた言葉の意味が理解できなかったのか、男はぽかんとした。
いつしか周りで燃えていた式神は消え去り灰になった。屋上からは腑卵町の夜灯が見えた。その光は屋上まで届かない。俺はその光を蛾になった気分で眺めている。
「嘘をついても仕方ないから言うが、俺はその殺人事件の犯人じゃない」
「信じられるか!」
「信じなくて、それでどうする? 実力の差は明白だ。お前が死ぬ気でかかってこようと俺を殺すことは出来ないさ」
陰陽師の男は、悔しそうにうめいた。
そして、自分の拳を地面へと叩きつける。乾いた音がした。
俺は、自分よりも明らかに年上の男がここまで本気で悔しがっているのを初めて見た。それは笑い飛ばしてしまえば滑稽であるが、冷静に見ればひどく悲壮感の漂う光景だった。
「なんだよ、あんた。そんなに悔しがって。何か訳ありなのかよ」
「俺の名前は五反田だ、分かるか俺のことが!」
「……知らんな」
別に人の名前を覚えるのは得意ではない。だが、五反田という名前はどちらかと言えば珍しいものだし、一度聞けば忘れるようなものではな。だから、俺は本当にこの男の事を知らないのだ。
「俺の妹は五反田セイコ。俺は兄のサカエだ、ここまで言ってもわからないか!」
「まったく」
五反田は立ち上がると、いきなり激情して俺に殴りかかってきた。
俺がそれを避けると、勢い余って五反田は転けた。
「おいおい、大丈夫かよ」
手をかそうと、肩をもってやる。
「うるさい、触るな!」
「なんだよ、危ないな」
「お前が俺の妹を殺したんだ!」
「だから、殺してねえって」
そういうことか、と合点がいく。つまり五反田は自分の妹のかたきを討とうと、バラバラ殺人の犯人を探しているのだ。そしてそれが俺だと思い込んだ、と。
とうとう五反田はわんわんと泣き出した。
大の大人が泣いている姿を見せられて、どうしようもないくらい情けなくなった。
どう慰めれば良いのか、そもそも慰める必要があるのだろうか。考えていると俺の携帯電話がけたたましい音を鳴らした。俺はその音を天の助けだと思った。このまま帰ってもいいか分からず、かと言ってどう声をかけば良いかも分からず、八方塞がりの状況だったからだ。
そのとき、ちょうど俺のポケットに入ったスマホが震えだした。いつもは面倒だと思う着信に、すぐに出る。目の前で泣きわめいている男を見ているよりはマシに思えた。
「もしもし」
『あ、ヨシカゲさん。もしもし』
リサの声だった。
俺の帰りが遅くて、心配になって電話してきたのだろうか。そんなはずがないな、どうせ帰りに何かを買ってこいと言うのだろう。昼間の電話もその件だったに違いない。
『今、どこにいますか?』
「学校だ」
『そうですか。あの――』
「買ってきてほしいものがあるって言うんだろ」
俺はリサの言葉を遮るつもりで、先に言った。
『いえ、違います』
「意外だな、違うのか?」
『はい、違います』
リサの声は抑揚がなく、冷たい。俺はこいつの声を聞いていると、時々自分が人形と話しているのではないかと思う。決まった言葉だけを話す、子供だましの愛玩人形。
『昼前に町長さんから電話がありました。「JFC」から来た助っ人の方が、町に入られたそうです』
「そうか」
『なんでも、陰陽師の方らしいです』
「陰陽師?」
俺はまだ悔し泣きを止めない五反田を見る。まさか、この男が助っ人?
『人探しが得意な方らしく、町長さんの前で連続バラバラ殺人の犯人をすぐに見つけてみせると豪語されたそうです』
「はあ、そりゃあ自信過剰だな」
『そうなんですか?』
「ああ、その男は間違えて俺を犯人だと――」
その瞬間、俺の中で途方もない雷鳴のような閃きが瞬いた。
なぜだ? 五反田がいかに自分の卜占に自信を持っていたとしても、あきらかにおかしいと事があるはずだ。
「リサ、少し待て。気になることが一つある」
その違和感の正体を確かめるべく、俺は携帯電話を切らずに五反田に近づき、その襟首をもう一度つかむ。
もしも俺の考えが正しければ――不確定であったその事実が確定する。
この男は町長と一度会っている、そのはずなのに、なぜ? 理由は一つしかない。
この男は自分の実力に自信を持ちすぎていたのだ。そう、俺を置いて先走ってしまうほどに。
「おい、お前は『JFC』から来た男か?」
「そ、そうだ。だから何だ」
やはりそうか。五反田は俺の助っ人にきたという男だ。
「お前は昨日、町長の所に行ったな?」
「町長だと――いや、まだ行っていない」
ビンゴだ。
俺の心の中を、暗い達成感が満たす。口元が少し、歪む。
「そうか、ならばお前はあの写真を見ていないんだな」
「写真だと?」
「そうだ、バラバラ殺人事件の犯人である、女の写真だ。見ていないんだな?」
「知らん!」
そうか、と俺は五反田の襟首を離す。五反田は面白いほどに力なく崩れ落ちるが、俺は気にしない。
そして、携帯電話にまた耳をつける。
「リサ、もう一度確認する。陰陽師の男は、町長のところへ行ったんだな」
『はい、そう連絡を受けました』
「その男は五反田という名前じゃなかったか?」
『はい、そのとおりです。初めて聞く名前でしたので、しっかりと覚えております』
「そうか。分かったぞ、ありがとうな、リサ」
どうして俺は彼女に感謝の言葉を発したのか、自分でも分からない。だが、そうすべきだと思った。
俺は通話を切り、五反田の肩を叩く。
「喜べ、俺はそのバラバラ事件の犯人ではないが、この町にその殺人鬼はいる。確実にな」
「な、なんの話だ?」
「お前はもう、会っているはずだ。その殺人鬼に」
そして、おそらくは記憶を無くされている。
いや、記憶を無くされたというのは正しくないだろう。対象の異能力は記憶を無くすことではなく、厳密にいえば他人の記憶を改ざんする事にあるはずだ。
五反田は殺人鬼の元まで、その自慢の卜占を使い辿り着いたがは良いが、あえなく記憶を弄繰り回され、俺が犯人だと思い込まされた。
つまり、犯人は俺の事を知っている人間――? そして、俺が邪魔な人間だ。俺をやっかむ相手など、それこそ両手の数よりも多い。心当たりがあり過ぎて対象を絞れない。
まあ、別に俺は犯人が誰であろうと興味はない。
その殺人鬼がこの町で事件を起こせば、探すのが俺の仕事だ。そして、討伐という免罪符によって俺がその手にかける。
「思い出せるか、昨晩の事を。お前は町長に会いに行った。そこで、おそらく犯人とされる少女の写真を見せられたはずだ。記憶にないか?」
「俺は昨日の夜この町に入って――それでホテルに入って、寝ただけで――あれ? どうしてホテルに行ったんだ、そういえば現地入りしたらすぐに町長に会いに行く約束だったはず」
五反田は自分の記憶と、本来の予定が合わないことに違和感を覚えたらしい。
「そもそもホテルに行ったって、俺が素直に寝るわけないじゃないか……いつもなら快楽街に行って、それで一発――」
はあ、と俺はため息をつく。まったく、とんでもない奴だ。
五反田は自分で言いながら、違和感が確信に変わったようだ。
「おかしいぞ、俺が出張先のホテルですぐ寝るなんてありえない!」
「犯人は女だからな、男の性的欲求に理解がなかったんだろう」
だから、代わりの記憶を埋め込むときに、ある意味白紙に近い、クリーンな記憶しか入れられなかったのだ。その潔白さが、男にとっていかに不自然であるかも気が付かず。もしかしたら犯人は生娘なのかもしれない。
「なあ、俺はもしかしてとんでもない勘違いをしていたのか?」
「だろうな」
俺はこの助っ人はどうも使えそうにないな、と思いながら屋上を出ようとする。
あとで町長には、さっさと送り返せと伝えるつもりだった。
「ちょっと待ってくれ!」
階段を降りて行こうとすると、上から呼び止められた。
なんだよ、と振り向く。
「あんた、それじゃあ何なんだ? その力は――」
こいつ、俺の事を知らなかったのかと驚いた。
だから、本当に俺が殺人鬼であると信じて襲ってきていたのだ。
俺はため息をつく。何なんだ、と聞かれたら答える言葉は決まっていた。
「退魔師だよ」
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