021 夢の箱庭6


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 学校の帰りに電話をもらった。


 いや、もらったなんて丁寧な表現はこの場合不適切だろう。正しくは、ふっかけられたとでも言うべきか。電話の相手は町長だった。


「町に吸血鬼が入った」


 俺は腐卵高校の正門付近でその電話をとった。周りにいる、楽しそうに下校する生徒を尻目に、白い携帯電話を耳にあてている。本当は学校に電話を持ってくるのは校則違反なのだが、俺だけは特別に許されていた。


「そうか、来たか」と、俺はやや興味をそそられて言った。


「討伐の必要がある」


「俺がやるのか?」


「お前の他に誰がいるんだ、退魔師」


「それもそうだな」


 そうだ、これは俺がやらなければいけない仕事だった。


「で、今どこにいる?」


「俺か? もちろん町役場の俺の部屋だ」


「違う、その吸血鬼だ」


「なんだ、えらく乗り気だな。いつもそれくらいやる気を出してくれれば良いんだが」


「悪かったな、いつもやる気がなくて」


「いや、言い過ぎた。吸血鬼は町の南方――山の方から入ってきたらしい。国道〇〇号線を通ったのが確認されている。その後は県道からまっすぐ北上してきたようだ」


「歩きで来たのか」


「やつらは形式的に文明の移動手段を用いない。とくに公共交通はな」


 吸血鬼というやつらは本当に難儀な種族だ。文明の利器も使えない、弱点も太陽、にんにく、銀の玉、と数多い。そして人の血を吸わなければ生きていけない。やつらは確実に、やがて滅びゆく種族なのだ。


 それでもどうして吸血鬼が恐れられるのか。簡単だ。


 ――やつらは、強い。


 太古の時代、文明が発達していなかった頃。やつらがその気になれば人間など簡単に滅ぼすことができた。普通の人間が百人がかりで束になろうと、絶対に殺すことなどできなかった。夜はやつらの者であり、人間はその存在に怯えて眠った。


 吸血鬼が確認された村は焼かれ、灰も残らなかった。そうしなければ、吸血鬼が確認された村からさらに吸血鬼が生まれるからだ。やつらの繁殖能力は決して高くない。勘違いしている人間も多いが、吸血鬼に血を吸われた人間が絶対に吸血鬼になるわけではない。吸血鬼の血とはある種の病原菌であり、その病原菌に対しての抗体を持つ人類が多数いるのだ。そうでなければこの世は吸血鬼だらけだ。


 だが、問題はその抗体を持っていない者たちである。そういう者たちは残念ながら、吸血鬼の血を自分の血として受け入れ、夜の内に死んで数日後あらたな吸血鬼として蘇るのだ。


 ネメアもその部類だろう。


「早急に討伐する。誰かもう襲われたのか?」


「いや、まだだ。どうも吸血鬼は新たなターゲットを探しているわけではないようだ」


「そうなのか?」


 昨今では吸血鬼も肩身が狭いようで、無闇に人間を襲ったりはしない。とくに相手を殺してしまうほど血を吸いきる吸血鬼は少数だ。他人の畑になった野菜を少しちょうだいするように、血を少しだけ吸い取るのだ。吸われた人間は一時貧血になるだろうが、自分が吸血鬼に吸われたという事などすぐに忘れてしまう。吸血鬼の牙にはそういった幻惑の効果があるらしい。


 ある意味これは、やつらと人類の共存なのだ。


 それでも、中には血を吸いきるような無法の吸血鬼もいる。そう言った吸血鬼は方々から追われることになる。同胞である吸血鬼からも、だ。


 おそらく、ネメアを襲った吸血鬼と、ネメアを保護した吸血鬼たちは別だろう。保護した方の吸血鬼はネメアが逃げたところで追手など出さない。


 ならば今、町に入った吸血鬼は誰だ? 答えは一つ、ネメアを襲った吸血鬼に違いない。


 ネメアを襲った吸血鬼は、まだ生きていたのだ。人の血を吸い、ネメアを殺めても、自分は殺されなかった。自分を成敗しようとする相手から逃げおおせたのだ。


 そしてそいつは今、ネメアを自分の手に取り戻しに来た。



 ――私、死ぬの。



 そう言ったネメアは、全てのことを知っていた。


 自分が吸血鬼に襲われたのも、そしてその理由も。全て、吸血鬼の根城で聞かされていたのだ。


 彼女を襲った――仮に悪い吸血鬼としよう。悪い吸血鬼は、古くからの吸血鬼の風習に従い、自らの伴侶を探していた。吸血鬼の伴侶は吸血鬼と決まっている。それも、人間の処女でなければいけないのだ。その二つの言葉には矛盾が生じる。吸血鬼の人間などあえない。


 ならばどうするか。


 簡単な話だ。人間の処女の血を全て吸い、生き戻り吸血鬼となった処女を伴侶とするのだ。


 それはもう廃れてしまった因習である。だが、その悪い吸血鬼は時代錯誤な野郎だった。周りの反対を押し切り、美しくうら若いネメアに手をかけた。


 ネメアはうまい具合に黄泉還り、吸血鬼となった。だが、周りの良い吸血鬼たちは必死にネメアを守ったのだという。そのような忌まわしき風習を後世に残してはならないと必死で。


 かくしてネメアは保護された。


 だが、ネメアが逃げたことをしった吸血鬼はこの町までネメアを追ってきたのだ。


 バカなやつ――人生の伴侶を求めるのに、自分の力を使うなんて。


 人生は全て流れのままにある。それは時に清らかな川の流れでもあり、時に濁流である。その流れに逆らうのは愚かなことだし、自分で川の流れを変えてしまおうとするのはもっと愚かなことだ。確かにやってやれないことはない。だが、それは信じられないくらい手間の掛かることだ。それならばただ流れるままに身を任せているのが良い。


 俺はまだ見ぬ悪い吸血鬼を哀れんだ。


 その哀れみの流れ着くさきを知らない俺は、吸血鬼を殺すことにしたのだ。


 南方に向かって歩きだす。「情報があったら伝えろ」と、一方的に言って電話を切る。


 日はいつの間にか傾いていた。そのまま夜が来る。ここからはやつら吸血鬼、そして俺たちイースターエッグの時間だった。


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