017 夢の箱庭2

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 朝、目を覚ますと部屋の外から吐き気を催すような、正常な朝ごはんの匂いが漂ってきた。


 このところ秋になり、日の出もめっきり遅くなった。今はまだ外も薄暗い。


 俺は部屋におかれた小型の冷蔵庫から、コーラとアーモンド入りチョコレートを取り出す。コーラを一口のみ、アーモンド入りチョコレートを三粒食べ残りをもう一度冷蔵庫に入れた。


 ため息をつく。


 ……嫌な予感がした。


 部屋の外に出ると、その予感は強くなった。


 匂いの方向をたどると、どう感じても厨房の方だった。俺はいつも帯刀している日本刀で自分の肩を叩きながら、厨房へと向かう。なんとも言えない面倒な気分だった。


 厨房を覗きこむと俺の嫌な予感は確信に変わった。


 ネメアが料理をしていたのだ!


「おい、お前。何やってるんだ」


 俺が声をかけると、ネメアは俺の気配に気付いてなかったのか、カートゥーンアニメのキャラクターのように、大袈裟に跳び上がった。


「きゃっ!」


 その弾みで手に持っていたボールをひっくり返し、中から玉子の白身と黄身が飛び散らかる。それをネメアは頭から被り、足を滑らせその場に派手に倒れた。


「おいおい、大丈夫か?」


 大丈夫か、とは本心から思って口から出た言葉ではない。どうせ吸血鬼は俺と同じような不死の存在だ。太陽の光や銀の弾丸などの弱点はあるが、それ以外の理由で死ぬことは滅多にない。この程度で怪我もしないだろう。


 それでも俺は、まるで舞台役者が演技をするように『大丈夫か?』と確認をとったのだ


 それは俺が、いつもやっている事だ。俺はまるで人間を演じるように生きている。


「いたたっ……。あ、大丈夫です」


「お前、なにやってんの?」


「朝ごはんを作ろうと思って。日がな一日居候ですごすほど、良いご身分じゃありませんから」


 どうやら昨晩の言葉を少し気にしていたらしい。


 それで、朝ごはんの容易をしていた、と。


 それにしても、と俺は厨房を見回す。元々男の一人暮らしだ。本格的な料理などしなかったが、それでも厨房はいつでも使えるように整頓されていた。それが今ではどうだ? 辺り一面に玉子がまき散らかって、他にも割れた皿や、熱しすぎたと思われるベーコン。水を入れすぎた米。キャベツに突き刺さったままの包丁。酷い有様だ。


「おい、居候」


「ネメアです。昨日から一度も呼んでくれてないでしょう?」


 昨晩は猫を被っていたのか、思いの外ずけずけと来る。


「おい、ネメア」


 俺が言い直すと、ネメアは満足そうに「なあに?」と返事をした。


「勝手になんでも触るなよ。面倒くさい」


 ネメアの表情が、今にも泣き出しそうなものにみるみる変化していった。


「……ごめんなさい」


 愁傷しゅうしょうにうつむくネメアに、俺はたじろぐ。そういう態度に弱いのだ。


「いや、悪い。俺も言い過ぎた」


「ご飯、いりませんよね」


「いや、もらうよ」


 本当はいらないが。


 俺はそもそも甘党なのだ。朝なんてフレンチトースト、あるいはチョコレート、あるいはシリアル、あるいは……。とにかく甘いものが良いのだ。それなのにこの吸血鬼ときたら、人並みの朝食を作りやがって。


 この家のどこから味噌なんて引っ張り出してきたのか、味噌汁まで用意してある。


「後は卵焼きと、キャベツの千切りを作るだけなんで」


「そうか、卵焼きだけでいいぞ」


 俺はキャベツに刺さった包丁を抜いて、キャベツの方をゴミ箱にぶち込んだ。まったく、いつのキャベツだ。もう傷んでいるとかのレベルはとうに越し、ミイラみたいになってたぞ。


「あとな、風呂でも入ってこい。服が玉子でベトベトだぞ」


「本当ですね……。じゃあ、卵焼きだけ作ったら」


 好きにしろ、と俺は言い放つ。


 厨房の隣の部屋は食堂だった。何十人が一度に会食できるほどの部屋で、独りで使っても面白くもなんともないので今まで使っていなかった。


 たいてい、食事はテレビのある部屋で食べた。それは俺の部屋の隣だった。


 俺は厨房の片付けをしながら、卵焼きを作るネメアを横目で観察する。


 身長は高くないが、小柄というわけではないようだ。体つきは程よく、出るところはしっかりと出ている。白い髪とヨーロッパ系の白い肌。どこか俺の母親にも似た特徴を持つ女性だった。


 何歳くらいだろうか、と俺は考えてみた。


 俺と同じ十七くらいだと言われればそう見えるし、二十前半とも見える。三十ということはないだろうが、二十後半くらいでも通用しそうだ。つまり、若々しいが幼すぎない。大学生くらいのイメージが一番近いかもしれない。


「なんですか、そんなジロジロ見て」


「見てねえよ」


 バレていたようだ。


「ふふふ、そうですか。はい、卵焼き出来ましたよ」


「お前は――」


「お前?」


 どうやら『お前』呼ばわりは気に入らないらしい。


「ネメアは食べないのか?」


「わたしは大丈夫です。昨日、ここに来る前に血を飲んだから」


「町長のか?」


「いえ、誰とも知らない人のを。あ、輸血パックですよ」


 文明的な生活をしている現代の吸血鬼は、そこら辺の歩く人間を襲って血を吸うようなことはしない。献血された輸血パックの血を飲むのだ。


 もちろん、昔ながらの方法を好む吸血鬼もいる。そういう吸血鬼はわりかし、現代社会を生きる吸血鬼と仲が悪い。そこには溝と言うほどではないが、緩やかな対立があった。


 まあ、世の中いろいろな化物がいる。俺の知っている吸血鬼で、グルメな吸血鬼が一人いる。そいつはB型の血は絶対に飲まないのだ。そういったようで、吸血鬼ひとつとっても千差万別という訳だ。


「じゃあ、わたしお風呂に入ってきます」


「ここを出て、左に三部屋」


「実はさっき、あらかた見て回ったので知ってるんですよ」


「そうか」


 ネメアは厨房を出ようとした瞬間、なにかを思い出したかのように振り返った。


 彼女の白い髪が、絹のように揺れた。


「あの、べつに『お前』って呼んでくれてもいいですよ」


「そうなのか?」


 さっきは嫌そうだったのに、いきなりどういう心境の変化だろうか。


「そのかわり、私も『あなた』って呼ぶから」


 言うだけ言うと、ネメアは走り去るように風呂場へ向かっていった。


「……どういう意味だよ」


 俺は独りごちる。それじゃあ、まるで夫婦みたいじゃないか。吸血鬼と夫婦、ぞっとしない。


 ネメアの作った卵焼きをつまみ、口に入れる。中々いける味だった。砂糖が入っているのか、甘い。そうそう、こういうので良いんだよ。


 俺はご飯にも砂糖をかけて食べた。まずくはなかった。





 それからまあ、風呂あがりのネメアが、服がないとバスタオル姿で俺の目の前に現れたりしたが、そんな事はどうでもいい。適当に母親の服を貸してやった。サイズは少し小さかったようだが、デザインは気に入ってくれたようだ。


 俺が学校に行くときに、嬉しそうに見送りまでしてくれたのがその証拠だ。


「いってらっしゃい、です」


「なんだよ、お前。吸血鬼だろ。もう陽が出てるぞ」


「あら、心配してくれてるんですか?」


「ばか、お前ら吸血鬼は陽にあたると灰になるだろ。そしたら片付けが面倒なんだよ」


「ふふ、酷い言い草ですね」


 なんとも調子が狂った。


 吸血鬼は嫌いだが、ネメアは俺の心の隙間に滑り込む媚薬のように浸透してきた。


 なにが目的なのだろう、と俺は登校しながら考えてみた。町長なら何か知っているかもしれないが、あいつのところにこちらから出向くのは癪だった。結局、ネメアに直接聞いてみるしかないのだ。


 道の街路樹が色づき初めていた。もう秋だった。


 はらはらとカエデの葉が一枚、落ちてきた。俺はそれを空中でつかみとり、眺める。


「……帰るか」


 落ちてきた紅葉を見ていると、学校に行く気がなくなった。そういう事って時々ある。またクラスの委員長に文句を言われるんだろうな、と思いながらいま来た道を引き返す。


 屋敷に戻ると玄関の先にはまだネメアがいて、新品の竹箒で掃き掃除をしていた。


「あら、あなた。忘れ物?」


「なんだよ、あなたって。というか、俺の名前しってんのか?」


「朝倉ヨシカゲ、退魔師さんでしょ」


 どうやら知っていたようだ。名のった記憶はないのだが。


「それで何を忘れたんですか?」


「いや、忘れ物があるわけじゃないんだけど。ただ、帰ってきただけで。つまるところサボタージュだ」


「え、ダメですよ」


「そりゃあダメだろ。学生の本分は勉強だからな。学校に行かなくちゃな」


 俺は屋敷に入ろうとする。が、ネメアが行く手を阻んだ。


「なに?」


「学校に行きなさい」


「嫌だ。俺は学校に行きたくないんだ」


「世の中には学校に行けない人もいるんですよ」


「そいつらだって毎日学校に行くハメになったら、サボりたくもなる」


 それよりも、キミの話が聞きたいんだ。俺は殺し文句のように言って、ネメアに笑いかける。


「下手な笑顔ですね」


「そうかい?」


「わざとらしいです」


「そうかい」


 マネキンが、人間の真似事をしているようなものだ。俺だって分かっている。俺の表情はあくまで俺が、この場合なら普通の人間ならばこうするという事を模倣しているにすぎない。


「そんなわざとらしい笑顔の人は、学校に行くべきです」


「どうして?」


「人波にもまれて、色々なことを知るべきです」


 冗談かと思ったら、どうやらネメアは本気らしい。


 どうしても屋敷に入れてくれようとはしない。そのうち陽が出てきて音を上げるかと思っあたが、今日はあいにくの曇り空だ。まあ、この腑卵町は一年のうち半数以上が曇りで、残り半分は雨降りみたいな町だが。晴天を見ることなんて、一年に片手で数えるほどだ。だから吸血鬼にはうってつけの住処だろう。


「どうしても入れてくれない?」


「はい」


「ここは俺の屋敷だぞ」


「それでもダメです。わたし、頼まれてるんですよ。町長さんに」


「なんて?」


 あのお節介野郎、何を言いやがったんだ。


「ヨシカゲさんをしっかり見ておいてやれって。あいつはまだ子供だから、って」


「うるせえよ」


「そういうところが、ですよ」


 俺は煩わしくなって踵を返す。


「あ、学校に行く気になってくれたんですね」


「ここよりマシかなって思えたからな」


「きっと楽しいですよ。行ってらっしゃい」


 本日二度目の『行ってらっしゃい』だ。俺は返事をせずに、ポケットに片手を入れて歩く。もう片方の手で竹刀袋を背に担いだ。


 まったく、なんて口やかましい居候なんだ。


 だから吸血鬼は嫌いなんだ。いや、だからという訳ではないが。


 少し歩いてから振り返ると、ネメアはまだ屋敷の玄関先にいて、俺が振り返ったことに気がつくと手を振ってきた。それも、嬉しそうに満面の笑みで。


 何を考えているのか分からない女だ。そもそも何の目的があってこの屋敷にきたのか。


 俺が少し遅れて学校に行くと、湯川が話しかけてきた。


 湯川はクラスの委員長で、テニス部に所属している真面目ちゃんだ。俺とは正反対でソリが合わない。


「あれ、珍しい。朝倉くん来たんだ。休むのかと思ってた」


「俺もそのつもりだったんだけどな……」


「なに、何かあったの?」


「いや、別に」


 昨日から家にきた居候に、無理やり追い出されたとは言えなかった。


「ふーん。あ、ねえねえ、よかったらお昼一緒に食べない?」


 俺は何も感情を持たず、湯川を見つめる。


「なんで?」


 まったく、女というのはよく分からない。


 顔を突き合わせて食事をとったところで、そもそもソリが合わないのだ。面白くもなんともないだろうに。


 俺には他人が考えている事なんて高度すぎて分からないが、とくに女というやつらの考えている事は全然わからなかった。



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