015 回転木馬のサン=テグジュペリ7


     5


 ――悪魔の心当たりなんてそう多くはない。


 その中でも一番可能性があるものを当たる。


 もとは悪魔なんてどうでもよかったが、油田のようなやつが増やされても困る。俺にはこの町を守る義務――あるいは枷――があるのだ。


 ここ数日で、この町にやってきた悪魔。あの時は気のせいかと思ったが、どうやら俺の勘は鋭いらしい。


『サライエボ』の喫茶店に行き、フウカにたずねる。


「星の王子さまは、ここのところ来たか?」


「あら、ヨシカゲさん。どうしたんですか藪から棒に」


「いいから質問に答えろ。星の王子さまだ」


 フウカは俺の真剣な様子に気がついたのか、彼女もまた真剣な表情になった。


「来ましたよ、というか今さっき帰ったところです」


「そうか、ありがとう」


「なにか食べますか?」


「いや、今はいい。後でまた来る」


 俺はいま来たばかりの『サライエボ』をすぐに出る。


 星の王子さまが今さっき来たということはそう遠くまで行っていないという事だ。ならば今なら見つけられるかもしれない。


 俺は竹刀袋を地面に置き自らもしゃがみ込むと、精神を集中させ目を閉じる。


 精神を触手のように方々へ伸ばし、周囲の気配をさぐる。


 星の王子さまと呼ばれたあの悪魔からは、まったく怪異の気配を感じなかった。だから、いつものように怪異を辿り探すことはできない。ある意味で、その怪異の気配のなさが、あの日俺が感じた違和感の正体だ。この町は怪異で満ち溢れている。そんな場所で、あそこまでクリアな気配の人間がいるはずがない。


 裏を返せば怪異の気配がない場所を探せば良いのだ。それは多くの飴玉の中から一粒の肝油を探し出すほど簡単なことだった。


「……いた」


 直線距離で東南に一キロほど。明らかに怪異の気配が抜け落ちている場所がある。そこに、悪魔がいる。一度見つけてしまえば後は追うだけだ。


 俺は小走りで走り出す。


 この町は全体が俺の庭のようなものだ。近道抜け道なんでもござれだ。


 すぐに怪異の気配を感じない悪意のもとにたどり着く。


 そこにいたのは思った通り、この前『サライエボ』で見たスーツの男。星野と名乗っているのだろうが、こうして違和感を持って見れば明らかに人間ではない。


悪魔だ。


「よぉ」


 と、俺は悪魔に後ろから声をかける。


 悪魔は振り向いて、俺を認めた。


「はい、なにか御用ですか?」


「カマトトぶってんじゃねえよ」


 悪魔相手に問答は無用だ。後ろから襲いかかるのは主義に反するので振り向かせた、ただそれだけだ。俺は鞘を腰に添えて、刀を抜き放つ。


「な、なんですかいきなり!」


「つまんねえんだよ、お前の冗談は」


 俺は自分の足に力を込めると、バネ仕掛けの人形のように一直線に悪魔に飛びついた。そして、その勢いのまま斬りかかる。


 悪魔が片腕を上げた。その前に、半透明な渦上の波紋が広がる。俺の日本刀はその渦に吸い込まれるように止まった。


「ホッホッホ、血気盛んですなぁ。人間風情が」


 俺は一度距離をとり、刀を正中に構えなおす。


 その瞬間、俺の右腕が切り裂かれた。


「――ッ!」


 俺は慌てて左手で刀を持つ。


 二の腕から切り離された腕のさきは、ボトリと重い音をたてて地面に落ちた。


「なにをした」


 痛みは、ない。恐怖も、ない。怒りすら、ない。


 もともと感情などないのだ。


「言ったでしょう、人間風情が、と。どれだけ自惚れが強いかは知りませんが、悪魔相手に勝負になるなどと思わないことです」


「そうか、気をつけるよ」


 俺は刀を鞘に戻し、落ちた右腕を拾い上げた。


 切り口の断面からは大量の血が流れ出ている。その赤黒い濁流の中心には、汚らしい色をした白い骨が見えた。


 俺は右手を元あった場所にねじ込むように、断面同士を無理やり合わせる。


 その様子を、悪魔は面白そうに見つめていた。


「発狂しましたか? そんな事をやっても、手は戻りませんよ」


「戻るんだよな、それが」


 右手を掴んでいた左腕を離す。右手は落ちずに、健全な状態で右手としての位置におさまった。確認するように右手を握っては閉じる。問題なく動く。


「な、戻っただろ」


 俺はもう一度、刀を抜いた。


 今度は油断しない。


「な、何者だ、お前は!」


 さすがの悪魔も、俺の治癒能力に驚いたようだ。母親譲りの不死の力で、これに助けられることばかりだ。


「なんだって、そりゃあ退魔師さ」


 俺は中空を切り裂く。


 その瞬間、悪魔が体勢を崩し、まるで吸い込まれるようにこちらに飛んできた。俺の刀はなんでも斬れる。それが空間であろうと、概念であろうと、俺が斬れると信じたものは全て。


「なにっ!」


 驚愕に顔を歪める悪魔の体に向かって、袈裟懸けに刀を振る。


 先程の渦のような波紋が広がるが、今度はその渦もバターのように真っ二つにした。俺の刀は悪魔の体まで届き、その体を二つに分けた。肩から腰にかけて、斜めに半身を二つに分けた悪魔は、その場を芋虫のように這いつくばった。


「悪魔風情が、この町で好き勝手すんじゃねえよ」


 俺は地面にのたうち回る醜い悪魔を見下げる。その体はもはや人間のものではなく、二足歩行で歩く鱗を持つ珍しい豚――畜生と同じようなものになっていた。


「や、やめろ。殺すな!」


「殺す? 人間並みな事いうなよ。俺はお前を殺すわけじゃない。ただ、斬るんだ」


 それで終わりだ。


「後には何も残らない。無、だ」


「やめろ、やめてくれ。ね、願いを叶えてやろう!」


 下半身はもう動かないのか、急速に腐り落ちた。上半身も端から順に腐敗していく。鱗がそげおち、俺はそれを足で踏みしだいた。


「願いなどない」


「魂か、魂など取らん! 助けてくれればそれで良い!」


「俺の魂は元々俺のものだ。誰にもやらん」


 悪魔は口をつぐみ、下手に出ていた目を一転させ俺を睨んできた。


「そうか、お前は人間ではないのか。つまらん命だ。何かを渇望しないなど生きていないのと一緒だ! 死人なのだ、お前は!」


 俺は刀を振り上げる。


「やめろ、待て! 待ってくれ!」


 振り下ろされた刀は地面を一ミリも斬らず、ただ悪魔の体のみを細切れにした。


「そうさ、俺は死ねないから生きているだけだ」


 そんなものは死んでいるのと変わらない。


 なんの感慨もなく納刀する。


 もう一度、『サライエボ』に行こうと歩きだす。まるで決められたプログラムのように。


「ただ、回転木馬のように、同じところをグルグルと。やがてそれが止まるまで」



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