014 回転木馬のサン=テグジュペリ6

     4


 他人に対して期待したところで裏切られる。


 それは世の真理であるのに、どうして人は他人に期待をかけてしまうのだろうか。それは人が他人を信じるという清らかな魂を持っているからだ。


 そういった意味で俺は人であるし、ある意味で人ではない。


 その日は夏休みの登校日で、俺は朝から出来上がった宿題をもって学校に行った。長期休暇の宿題は早めに終わらせる性格だった。それは俺が真面目だからとかではなく、退魔師という仕事上いつどんな時に仕事が入るから分からないから、できるうちにやっておけと親に口うるさく言われ育ったからだ。


「あ、宿題終わってるの? 偉い」


 俺が教室の自分の席に座っていると、委員長が声をかけてきた。


 そして、女子の一群がそんな俺たちを見て楽しそうにキャッキャと騒ぎ出す。委員長の所属している、どちらかと言えばクラスでも真面目なグループだ。


「もう、なによ」


 委員長はそのグループの仲間の方を向いて、すねたように口をとがらせた。


「でね、ポチ見つかった?」


「ああ、まだ」


 死んでいるだろうとは思うが、そのまま言うと委員長はショックを受けるから嘘をついた。俺は経験上、自分の大切な者が死ぬのは辛いということを知っていた。委員長にとっておそらくポチは大切な家族だろう。


「そう、まあ気長に探してね」


「俺が見つけるよりも、キミが死ぬほうが早いかもな」


 委員長は俺の言葉の意味が分からなかったのか、首をかしげた。


 死ねばポチとだって会えるだろう。


「そういえばさ、最近ね。油田のやつが――」


 委員長が俺の席の前の座席を占拠し、話をつづけた。


 それは女子の好きな、そして俺の嫌いな悪口の話題だった。


 俺はどういうわけか昔から、様々な人の様々な悪口を聞いた。あいつは頭が悪いだとか、貌が不細工だとか、息が臭いだとか。俺が聞きたい、聞きたくないに関わらず、俺に向かって悪口を言ってくるのだ。ともすればその悪口は俺に向かっているようにも思えてくる。だがそれをやめてくれとは言わなかった。言ったところで、相手は悪口をやめないだろう。なぜならそれは、どこか善意のような意味合いを持って放たれる悪口なのだから。悪口を言うとき、人は生き生きしている。逆説的に言えば、生き生きしていない悪口は悪口ではないのだ。


 そのうずたかく積まれた悪口の山を眺めることができて、良い事が一つだけあった。それは、この世には人をほめる言葉よりも悪口の方が多いということを知れたことだ。


「それでね、それでね!」


 委員長の言葉はヒートアップしていく。


 俺は適当に相槌をうちながら、自分の手を眺める。手は母に似て美しい。


 教室に教師が入ってきた。


 当然だ、教室には担任教師。教会には牧師。砂漠のど真ん中には素敵な王子様。そしてこの町には俺がいる。


「あ、油田先生だ」


 先ほどまで呼び捨てだったのに、本人の登場とともに『先生』が新たについた。


 俺は別に油田にも興味はなかったが、何の気もなく目をやった。


 その瞬間、俺は一瞬で気が付いた。やつは俺の忠告を無視したのだ。


「ちょ、どうしたの? 朝倉くん、顔こわいよ?」


「ああ。そうだな」


 俺は気のない返事をやり、立ち上がる。


 竹刀袋から退魔刀を取り出そうとした。


 だが、すぐにやめる。こんな場所で刀を振り回すのは俺の美学に反するのだ。退魔師の仕事は当事者しかいないところでひっそりと行われるべきだ。


 席を離れていた生徒たちが、自分の居場所に戻っていく。委員長も「じゃあね」と自分の席に戻っていった。


 俺は一人、油田をにらんだ。


 ――舐めた真似しやがって。






 俺は待った。待つのは得意だった。


 だが、我慢は苦手だった。


 この日の学校は十時に終わった。俺は教室から生徒が出ていくのを待った。だが、その間に担任である油田も出て行った。そうかそういうものか、と思って油田を探すことにした。


 やつの体からは怪異の気配が漂っていた。それを頼りに学校を駆けずり回る。


 具合の悪いことにこの学校には様々なバケモノがいた。花子さんや、走る人体模型、動き出す二宮金次郎。そんな都市伝説のようなバケモノが。


 だが、その中においても油田の気配は一等わかりやすい。なぜなら、やつの体から漂ってきているのは、フォークロアなんて生易しいものではない、もっと悪魔的な気配だったからだ。


 学校の、二階の、つきあたりの部屋。それは進路指導室と呼ばれる部屋で、時期を問わず進路に悩んだ生徒が教師と対話するのに使われる。一説によると退学になる生徒が最後に教師とひざを交えて話すのもこの部屋らしい。


 その中から、不気味な雰囲気が漂っていた。


 ドアをしめていようと分かる、肌がピリピリするような嫌な感じだ。


 中から、人が争うような音が聞こえてきた。油田一人ではないようだ。俺は少し呼吸を整える。竹刀袋から日本刀を取り出し、柄と鞘を縛っていた赤い紐をほどいた。


 刀を抜き、ドアの隙間に突き立てる。かかっていた鍵を切り裂き、スライド式のドアを勢い良く開けた。


 まず目に飛び込んできたのは、血色の良い薄桃色の肌だった。制服を正常に着ていればまずお目にかかれないような肌色成分の強さに、俺は顔をしかめてしまう。


 油田が、女子生徒を覆いかぶさるように床に押し倒している。部屋のすみには原稿用紙があり、そこには整った丸文字で意見交換会と書いてあった。


 俺はそれを見て、顔こそ見えなかったが押し倒されている生徒が湯川であることを理解した。


「レイプってわけか?」


 俺は軽口のように言ってみる。


「麻倉くん!」


 湯川が俺の名前を叫んだ。その声には助けてほしいという強い欲求があった。


 油田は闖入者である俺に対して、焦る素振りは見せずどこか緩慢な動作で振り返るようにして俺の方を向いた。


「よぉ、あさくらぁ」


 ろれつが回っておらず、目は薬物依存者のように恍惚としている。その手には小さな電動ミキサーのようなものが握られており、その中には赤黒い液体が入っていた。よく見ればミキサーの壁には小さな毛がこびりついており、それが何か小動物の体を砕いたものである事が伺われた。


 それを証拠に、油田がのっそりと立ち上がるとミキサーの中が揺れ、小さな灰色の目が浮かび上がってきて俺と目があった。


「なあ、若いって良いよな」


「そうかい?」


 意味のわからないことを、油田は口にした。


「若いってのは、それだけで輝いてるよな? それだけで大人をバカにしても良いし、それだけで誇大な夢を見れるし、それだけで自分が幸せだって思える。そう思わないか? 俺は思うんだよ!」


「それで、悪魔と契約したのか?」


「ああ、そうさ。おかげでどうだ? 俺は今、若々しいだろ! あの頃の俺の肉体だ!」


 愚かなやつ、と俺は思った。


 いくら肉体が若くなろうと、油田の精神はもはや老いさらばえている。そして、その若さへの歪んだ執着こそが、自分の若さへの否定であると理解していないのだ。


「悪いが、斬らせてもらうぞ。お前の行動はこの腑卵町を乱す」


「斬る、俺を? やってみろよ、俺はこれでも昔、国体に出てるんだ」


「それが、どうした」


 言い終わらない内に、俺は上段から刀を振り下ろす。まさか本当に斬るとは思わなかったのか、油田は驚愕の表情を浮かべて、避けようともしなかった。


 残念ながら、この町の者ではない油田には俺が斬ると言えば本当に斬るという事が理解できていなかったのだ。


 油田はその場に倒れた。


 だが、血は出ていない。意識はもうないようだが、体は無傷だ。そういうふうに斬った。


「あ、麻倉くん。ありがとう助けてくれて」


 湯川は慌てたように制服を着なおして、俺に感謝の言葉を言った。


 だが、こんな事は当然だ。なぜならここは腑卵町で、俺は退魔師だからだ。


「いいよ、別に。それよりも怪我はないか?」


 湯川の顔が真っ赤になった。風邪でもひいているのだろうか?


「大丈夫、まだ何もされてなかったよ」


「そうか」


 俺は油田が地面に落としたミキサーを手に取る。


 本当に愚かな男だった。現世の欲望のためにこの男は地獄に堕ちるのだ。


 俺はミキサーを放り投げ、空中で細切れに切り裂く。これでもう、油田は悪さも出来ないだろう。おそらくこのミキサーで生き物の生気をすりつぶし、飲むことによって体を若返らせていたのだ。


 しかしどうして湯川をこの部屋に連れ込んでいたのだろうか。


 人間を食べた方が若返りの効率が良いと気がついたのか、それとも本当にレイプでもしようと思ったのか。別にどちらだって良いが。


 俺は倒れた油田を見下げた。


「本当に愚かなやつだ。光るもの全てが黄金やダイヤモンドって訳じゃないのに」


 だけどたぶん、大人になってしまえばそんな事にも気がつかない。



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