013 回転木馬のサン=テグジュペリ5
俺たちが向かったのは学校だった。それも、中学校の方だ。
「え、ここですか?」
フウカは中学校に来ると思っていなかったのか、あたふたと俺を見て、正門を見てを繰り返した。正門には学校名の『腐卵中学校』という文字が、書いてある。年代物のプレートはおどろおどろしいくらいに汚れている。
「でも、私、私服ですし」
「俺だってそうだ」
フウカは可愛らしい水色のドレス調の服に、白い前掛けをしていた。そうしているとまるでルイスキャロルの『不思議の国のアリス』のようだった。
俺は白い絹のスーツを着ている。金色のボタンはいかにも成金趣味で、いうなれば『星の王子さま』のような格好とでもいうか。この前みた星野さんのように渋いわけではない。どちらかと言えばつんつるてんの、服に着られているように思える。
父親のおさがりで、自分の好みの服ではないが。
「入るぞ、こういうのは現場を見てみないとな」
「そういうものですか?」
「もしかしたら、怪異の残滓があるかもしれない。どうだ、フウカは臭いを感じなかったか?」
「いえ、私はなにも」
フウカはとある事件以来、怪異に対しての嗅覚が鋭くなった。だが、中には臭いのしない、例えば聴覚、視覚、触覚。そういった五感でしかくみ取れないイースターエッグも存在する。そして、もっとも厄介なのはそういった五感の枠からはみ出たもの。シックスセンスでしか感じられないものがある。
だから、俺が実際に現場を見てみるのだ。
鶏舎は中学校の奥まったところに、独立して建っていた。
そう大きくはない小屋で、そこからグラウンドがよく見えた。グラウンドは中高の共有で、俺もよく利用する。利用せずサボることも多いが。
鶏舎の入口は簡単な南京錠で施錠されていたようだが、事件後は解除されていたらしい。
「ふうん、これなら俺でも開けられるな。フウカ、髪留めピンをくれ」
「え、あ。はい」
フウカは前髪につけていた小さな黒い髪留めを外した。
俺はそれを受け取り、二つに折る。
「あっ……」
「ん? ダメだったか?」
「い、いえ……」
「すまん、後で代わりのを買ってやる」
「え、本当ですか!」
機嫌が悪かったと思ったらいきなり嬉しそうになった。本当に女の子は解らない。
そういえば、フウカが今もつけている、髪を結っている分のクマの髪留めは俺があげたものだった。いつもつけているが、他に持っていないのだろうか?
「ここを……こうして、ここは、こう」
カチャリ、と軽快な音がして南京錠が開いた。
「ほら、な」
「ほらなじゃないですよ、犯罪に使わないでくださいね」
「さあ、使う機会がないからな。たぶん使わんだろう」
鶏舎の中はうっそうとしていた。なにもなく、ただ外からの光だけが漫然と室内に入り込んでいる。この場所でかつてあった賑わいだけを思い出させ、一層のむなしさだけが残っていた。
壁には薄汚れた赤黒い痕が残っている。それが血の跡であることは明白だ。
「ここに何匹の鶏がいたんだ?」
「十一匹です」
俺はあたりを見回す。血痕は壁の四方八方に飛び火しているが、一番顕著な分部は室内の中央の地面だけだ。そこにはかつて沼があったような黒々とした血痕が残っている。
「ここで、何かあったわけか」
俺は肩肘をついて、その血痕を見つめる。
どこかおかしな感覚がする。それは第六感がささやく超上の雰囲気。
「あったな。怪異の痕跡がある」
「本当ですか? いえ、わたしには感じられません」
「キミは臭いしか分からないからな。だけどここはそれ以外の痕跡が多い」
誰かがここで、何かをした。それが何かまでは分からない。確かなことは、この鶏舎の中には呪術的痕跡が数多く見受けられるという事だ。
「こりゃあ、本格的に俺の仕事だな」
「だと思ったんです」
フウカはどこか誇らしげに言う。
私が見つけたんですよ、とそういう様子だ。
俺はやれやれ、とため息をつく。本当はこんな仕事ないのが良いのだが。
俺は立ち上がると、鶏舎を出る。フウカもついてくる。南京錠を元あった通りに閉めた。
「それで、どうするんですか?」
「言っただろう、アテがあるって」
「そうでしたね」
まあ、そのアテも大したものではないが。だが暗中模索でも必死で這いずり周って見つかる答えもあるはずだ。謎がカモネギよろしく、あちらから歩いてくるわけがないのだから。
「次は高校の方に行くぞ」
「あっちですか?」
腐卵中学と、腐卵高校はすぐ隣り合わせだ。どちらも町立の学校で、試験こそ有るものの大抵の生徒はエスカレーター式で入学できる。あまり頭の良い学校ではないが、中には特進コースもあり、やる気のある生徒は県外の大学などに進学することも可能だ。
俺の場合は、ただ籍をおいているだけだが。
さあ行くぞ、とフウカを連れ出すように歩く。フウカは少しだけ遠慮がちだ。高校に入るのは初めてなのだろう。
「怒られませんか?」
「大丈夫」
「どうして?」
「俺がついてる」
言った瞬間、俺の頭の中で過去の記憶がフラッシュバックした。
――大丈夫、俺がついてる。
そう初めて俺に言ったのは、俺の父親だった。あれはまだ俺が小学校にも入っていない頃。あの頃はまだ母親もいて、俺は退魔師として初めて父親の仕事に連れ添ったのだ。
その記憶は電球の切れかけた街路灯のように、俺の頭の中で点滅を繰り返す。脳裏にはその時の父親の顔も、薄いタバコの臭いも、抜き放たれた日本刀の鈍い輝きも、現実に今目の前に存在するかのように浮かび上がった。そして、
「そうですね、少し、安心します」
フウカの言葉と共に、記憶の電源は切れ、脳裏に浮かんだ景色も消えた。
「あ、ああ」
嫌なことを思い出した。
気を取り直すように歩きだすが、足は思ったように動かない。重たい。
高校の敷地に入り、ネットフェンスで囲まれたテニスコートの方へと進んでいく。彼女は今日もいるだろうか、たぶんいるだろう。真面目な生徒で、クラスでは委員長もやっている。夏休みとは言え部活の練習をサボるとは思えなかった。
そして俺の考えは正解だったようで、思った通り委員長はテニスコートの中で、ちょうど試合形式の練習をしていた。
「あ、テニス」
羨ましそうにフウカが言った。
フウカは家の事情もあり、部活動にも入れずにいる。どちらかと言えば外で遊ぶよりは家の中にこもっている事が多い娘だが、本当は運動が好きなはずだ。だから、部活動だって入りたいだろうに。
「やりたいか?」
委員長を眺めながら、俺は隣にいるフウカにたずねた。
「少しだけです」
「そうか」
だからといって、俺に何かできるわけではない。ただ聞いただけだ。
試合はどうやら委員長が優勢のようだ。学業も真面目な彼女のことだ、おそらく部活動も真面目に取り組み、そこそこの成績をおさめているのだろう。そういえばこの前、三年生の引退後は自分が部長を継ぐと言っていた。
委員長はこちらに気がついたようだ。試合の手を止めて相手に「ちょっと休憩」と言い放つ。相手をしていた生徒は下級生のようで良い返事で「はい」と答えた。
テニスコートの中から、委員長がこちらに近づいてくる。
今の今まで運動していたためか、彼女の肌は健康的に蒸気して、頬は薄い桃色をしていた。
「なんで私服?」
開口一番はそれだ。
「そりゃ勉強しに学校にきたわけじゃないからな」
フェンス越しに俺たちは最初の挨拶を交わしたわけだ。
ふうん、と委員長は不機嫌そうに答えて、フウカを見つめた。
「中学生つれてるの? もしかして、妹?」
「まさか。彼女はただの知り合いさ」
その瞬間、フウカの頬が面白いほどに膨れた。そりゃあもう、網の上で焼かれたモチのようだった。
何かを言うかと思ったが、フウカは口を挟まず、なぜか俺の服の裾を掴んだ。
そして、どういう訳か委員長は少し上から、フウカを睨みつける。フウカも同じように委員長を上目遣いで睨んだ。
「なに、知り合い?」
俺は気になって聞いてみる。
「「いいえ」」
二人の声が綺麗にハモった。知り合いでなくとも相性は良いらしい。
「それでさ、今日はちょっと聞きたいことがあったんだ」
「なに?」
「なんでもいいけど、こっち来てくれねえか? フェンス越しじゃあ話にくい」
「ダメ、絶対にダメ!」
「どうして?」
「いや、だって私……ほら、汗とかかいてるし?」
時々委員長は変なことを言う。
「汗ぐらい誰だってかくだろ。特に夏は。なあ、フウカ」
「私はかきません」
意味のわからない嘘だった。それとも委員長に対抗しているつもりなのだろうか。
本当に、人間の感情――とりわけ女というものはよく分からない。
「じゃあ、まあここから話すけど。居なくなった犬――猫だったか? どうなった?」
「『ポチ』って名前の猫ね。まだ見つからないわよ。それとも探してくれたの?」
「いや、全然まったくこれっぽっちも」
「探してって言ったじゃない」
「だから今日から探してるんだよ」
たぶん死体も見つからないだろうが。
俺が気になっていたのは居なくなった猫のことではなく、どちらかと言えば委員長自身だった。彼女の方に何か怪異の気配が残っているのではないかと思ったのだ。だが、どうみても委員長には怪異の気配がない。
そもそもこの町では怪異が多すぎる。だから普通に歩いていても敏感な俺には微量の怪異が検知できてしまう。その中でも特に気配の濃いものを探すのだ。
「ふうん、ありがとうね。見つかったら教えてよ」
「ああ、そうする」
俺が答えた瞬間、遠くから俺に向かって怒号が飛んできた。
「おい、そこのそいつ、私服でなにしてる!」
はあ、と俺はため息をつく。面倒なやつに見られた。別に俺は他人に対して好きだとか嫌いだとかそういった感情は持たない。ただ面倒であるかそうでないかで判断するのだ。
そして俺に叫びかけてきたのは、俺にとってとびきり面倒な教師、油田だった。
そう言えばあいつはテニス部の顧問だったなあ、と俺は思い出す。
「朝倉じゃねぇか。おい! ちょっとこっちへ来い」
教師にしては乱暴な言葉遣いだった。
「やあね、最近いつもああなのよ」
「ああ?」
「何だかすっごく高圧的なの」
元々だろう、と思いながら俺は「なるほど」と頷く。
こっちへ来いと言った油田だが、どしどしと――と思いきや意外に軽やかな足取りで俺の方までやってきた。
「おい、朝倉!」
「先生、こんなに近いんだから叫ばなくても聞こえますよ」
油田の顔は、どこか若々しかった。
いつもの脂ぎった肌は滑らかで、刈り上げられた髪は黒くサラサラとしている。目からは活力がみなぎっていた。
前みたときよりも若く見える。
「おい、ちょっとこっちへ来い!」
腕を掴まれそうになって、俺はバックステップで回避する。
それで怒りが湧いたのか、油田は殴り掛かるように俺に手を伸ばしてくる。
俺は面倒に思いながらその全てを紙一重で避けた。
フウカはいつもの癖か、ことが始まると同時に足早に距離をとった。
「おい、あんた」
俺は自分の声が、心が、表情が冷たくなっていくのを感じた。
――見つけたのだ。
「それくらいにしておきな。これ以上やるならタダじゃあ済まない」
拳がとんでくる。右だ。俺はその腕の動きに合わせるように左回転に体をひねらせ避けると、一瞬で持っていた竹刀袋を逆手に持ち替え、油田の二の足につきたてた。
太ももを突き刺された油田は、あまりの痛みに悶絶するようにその場に身を倒した。
「ちょ、ちょっと! 麻倉くん!」
慌てたように委員長が叫ぶ。
テニスコートから飛び出してきて、近くにきた。が、別に油田を助けるつもりは内容で、近くに来てあたふたとしている。
「よし、フウカ。帰るぞ」
「え? あっ、はい」
俺は倒れた油田をそのままにして、その場を立ち去ることにする。が、その前にもう一言クギを刺しておく。
「いいか、まだやるようなら俺がお前を斬る。この町の安寧を乱す者すべてが、退魔師の敵だ」
その言葉を置き土産に、俺は歩きだす。
放っておけば油田のやつもそのうちに立ち上がるだろう。なにせやつには前にはなかった、あるいは失われてしまった若さがあるのだから。
「どうして、あんな事をしたんですか?」
フウカが俺の少し後ろを歩きながら聞いてきた。
「分からないかい?」
少し考えだした。
が、すぐに頭を横に振る。「分かりません」
「あいつが犯人さ」
「なんのですか? まさか……」
「動物がいなくなってる事件。まあ、忠告はしておいた。これで辞めるだろうさ」
「で、でも――」
「もっと懲らしめらばよかった?」
「はい」
フウカは断言した。
この子は骨の髄からこの町の人間だ。俺はそう感じた。
「どうせ畜生が死んだだけだ。あの程度で十分だろう」
フウカはまだ文句を言いたいようだったが、しかし納得してくれた。
俺はそんな彼女にご褒美の意味も込めてポケットから肝油を取り出す。
「ほら、やるよ」
「え、なんですか、これ?」
「少し前に言ってた肝油だよ。食べてみろよ」
フウカは肝油を口に含み、甘いと頬を抑えた。そんな仕草は年相応に子供らしい。
俺はこれで、この事件は終わったと思った。
おそらく油田は何らかの方法で、動物から活力を奪っていたのだろう。それで自分の体を若返らせていた。まるで昔の血まみれ女王のようだ。あるいは本当に鉄の処女でも使っていたのかもしれない。
だが、謎が一つだけ残っている。
それは、油田がどこでその方法を知ったのか、という事だ。
油田からは確実に怪異の気配がした。そして彼のとった方法は明らかに魔術的、あるいは悪魔的な方法である。誰かから教えてもらわなければ、絶対にできないような……。
だが、そこまで根掘り葉掘り探すことはしない。
これ以上は仕事の範囲外だ。報酬も貰っていないのだから。
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