011 回転木馬のサン=テグジュペリ3




 なぜか二人で歩くことになった。俺は湯川がいる右側と逆の方に竹刀袋を持ち、あるく。いつもは右で持っている竹刀袋だから、ワルツのステップを一段踏み間違えたような違和感がある。


「私、職員室の前で二人の会話を聞いてたのよ。あんな事言ったら先生が怒るのなんて当たり前じゃない」


「そうだな」


 湯川はフレームの細い黒の眼鏡をかけた、野暮ったい黒髪の女の子だった。女の子であるから髪は手入れがされていたが、髪型は洒落っ気を欠いたお下げだった。時々それを三つ編みに編み込んでいるときがあるが、そういう時は随分と堅苦しく見えた。何だか典型的な委員長タイプの女の子で、それは彼女がつとめてそういったキャラクターに自分を当てはめているようだった。


「でもさ、油田も油田よね」


 だから、彼女が公然と教師の悪口を言ったのが、俺には少し新鮮だった。いつもの生真面目な湯川には似合わなかった。女の子は悪口が好きというが、彼女も立派にそうだったわけだ。


「私、油田はあんまり好きじゃないの。だって目がエロいでしょ?」


「俺は、そういう目で見られたことはないからな」


 クスリ、と湯川が笑った。それで気をよくしてくれたようで、どんどん悪口をつなげる。


「顔だって名前の通り脂ぎってるし。あの顔でテニス部の顧問よ? ありえなくない?」


「ありえなくはないだろう、現に彼はテニス部の顧問だ」


「そりゃあさ、若いころは有能な選手だったらしいけど、今じゃあ中年太りのオジサンよ。それなのにね、練習中によく言うのよ。『俺は昔国体にだって出た』ってね。あーあ、嫌になっちゃう。別に私たち、そんな国体だとかオリンピックに出たくてテニスをやってるわけじゃないのに」


 そういえば、湯川はテニス部だったかもしれない。


 俺は帰宅部で、生まれてこのかた運動らしい運動をしたことがない。だから、油田の出たという国体というものがどれだけすごいかも、よく分からないのだ。


 放課後の廊下には他の生徒はいない。明日からは夏休みの学校で、生徒たちはさっさと帰ってしまったようだ。こういう日、たいていの生徒は仲の良い友人と遊びに行くものだが、俺は誰にも誘われなかった。別にクラスで浮いているとかそういう訳ではないのだが、いつも断っていたらそのうちに誘われなくなったと言うだけだ。


「退魔師って、なんなの?」


 湯川は会話をつなぐように、そう聞いてきた。


「俺のついている職業の名前だ」


 そういうのじゃないってば、と湯川はわざとらしいほどに不満げな顔をしてみせた。


 彼女はこの町の出身だったが、しかし今まで怪異に出会ったことがないようだ。それは幸せなことだ。この町に住んでいる住人の七割弱は、何らかの怪異に関わっているという。それは町役場が秘密裏に調査した結果だ。


「私もさ、正直言って信じてないよ。そりゃあ、お爺ちゃんやお婆ちゃんは朝倉くんの事ありがたがってるけど、なんだかそれって信心深い老人が神社の祠を祀ってるのと同じようなものに思えるの」


「なるほど」


「怒らないの?」


「どうして怒る? 確かにその通りだ。俺の仕事は人間の生活に何も問題がなければ何もない。それでも給料だけは毎月出るんだからな。出来高制の方がまだ文句は来ないだろうさ」


「まったく、貴方って人はどうしてそんな喋り方をするの? ねえ、知ってる? 朝倉くんの喋り方って人をいらいらさせるのよ」


「初耳だ」


「初耳だ――ですって」


 湯川はバカにするように繰り返す。


「そういう所がよ」


「気をつけるよ」


「気をつけるよ」


 どうやら湯川は機嫌が悪いらしい。何だか面倒くさくなって、俺は早足になった。けれど、湯川も苛立って早歩きになった。そのせいで、うまい具合に我々の歩調はあった。


「退魔師っていうけど、いつも仕事をしてるの?」


「仕事が多いときで、週に二回は依頼がくる。それが一日で解決するわけでもないから、一週間働き詰めってこともある。学校だってこれない時が多い」


「じゃあ、朝倉くんが休む時は、いつも仕事をしていたのね」


 見直したように、湯川は俺を上目遣いで見つめてきた。


「いや、ただサボってる時が大半だ」


「ふーん」


 今度は失望して目をそらされた。


 湯川はもう帰るところだったようで、俺も同じだった。一緒に帰ろうと約束したわけでもないが、なんだかんだで二人の帰路だ。


 歩いている内に湯川の機嫌は治ったようで、時折ちらちらとこちらを見ては、何か言いたげだ。


「退魔師ってどんな仕事してるの? 真面目に答えてよ」


「読んで字のごとく。魔を退治してるんだよ」


「なによ、魔って。漫画やアニメみたいな、たとえば悪魔とか?」


「悪魔なんてのはな、キミたちが思うほど下級の存在じゃない。その一匹々々が世界を破滅においやる力を持つような化物だ。おおよそ人間が太刀打ちできる相手じゃないよ」


「あのね、私は『そんなのいないよ』って否定してほしいの! なに真面目に答えてるのよ」


 真面目といえば、委員長である湯川は男子生徒が嫌いだという話を耳にしたことがある。クラスの男子で、彼女に気があるやつがいた。そいつが一緒に帰ろうとアプローチしたが、すげなく断られた。男子生徒の間ではもっぱらの噂で、あいつはレズだとか言う心無いものもいる。たぶんそれは冗談だろうが。


 しかし、どうしてその男子生徒は断られたのに、俺はいま湯川と一緒に帰っているのだろうか?


 ただ、それだけが疑問だった。


「あ、そうだ。じゃあウチのポチを探してよ」


「嫌だよ」


「どうしてよ、そういう依頼だってあるんでしょ?」


「そりゃあもちろん、この腑卵町の住人が困っていたら助けるのが俺の仕事だ」


「じゃあ、なんで? 探してよ、ウチのポチ」


「あのな、退魔師は探偵でも何でも屋でもないんだ、俺の仕事は魔を滅する事だけ。それ以外の事なんてできやしねえ。おそらくこれから先ずっとな」


 湯川は俺の持っている竹刀袋を興味深そうに見つめる。俺はため息をついてそれを体に確証にする。


「これは仕事道具だ」


 牽制するように言う。


「少し気になっただけよ、見せてとも言ってないでしょ」


「そうだな」


 空模様は今日も悪い。腑卵町では大抵の日が曇りか雨だ。晴れる日なんて一年に十日もないんじゃないかと思う。俺は生まれてから一度も一面の青空と言うものを見たことがない。


 そんな町であるから、夏の間は湿気も高く蒸し暑い。


 それだというのに真面目な湯川は制服を少しも着崩さないで、偉いものだ。


 対して俺は、学校指定のワイシャツは着ているものの、つけなければいけないネクタイは外して、第一ボタンなどついてもいない。まあ、これは外している訳ではなく千切れたのを直していないだけなのだが。


「ポチ、どこに行っちゃったと思う?」


「知るか、犬なんてその内かえってくるだろ」


「ああ、言ってなかったけどポチって猫なのよ」


「猫なら余計かってにかえってくる」


 こんなつれない返事を繰り返しても、不思議と湯川は嬉しそうだった。


 なんでそんな楽しそうな顔をするのだろうか、大事な猫がいなくなったんじゃなかったのか。もしかしたら湯川はもう猫のことなどどうでも良かったのかもしれない。何か他の事のほうが大切なようだ。それがなにかまでは、分からないが。


「ポチはね、白い毛皮の猫でね黒いブチ模様があるよ」


「俺の髪の毛みたいに?」


「そうよ」


 黒い髪に、てっぺんだけ雪が被ったような不思議な髪色をしている。昔はこの髪が嫌いで、いっそ全て白になれば良いとも思っていた。


 もしかしたら、そのポチとか言う猫も同じことを思っていたかもしれない。それで、自分の体を染色する旅に出たのかもしれない。そんな訳はないが。


 湯川の家は駅の方らしく、俺達は途中で別れた。


「じゃあね、ポチ、見つけたら教えてね」


 最後に彼女はそう言った。


 俺は探す気などなかったから、「嫌だよ」とだけ答えた。


 俺はこれから、また『サライエボ』に行く予定だ。この時間ならまだフウカは帰っていないだろう。フウカの母がいるか、誰もいないか。どちらにしろ、俺は甘いものが食べられればそれで良いのだ。


 俺は昔から偏食家だった。俺が俺の人生でこだわっているのは、そこだけだった。


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