002 退魔師2


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 4月下旬にやってくる時期外れの転校生が、転校初日にどういった態度でクラスに馴染んでいけばいいものか。一晩中あたまを悩ませたが答えは出ず、とうとう朝になった。


 登る朝日をクマの浮かんだ疲れた目で眺め、着慣れない制服に身をつつむ。


 授業の前には朝のホームルームがあるが、その前に少し説明があるいので職員室まできてほしい。この前、初めて顔を合わせた若い女性担任はそう言っていた。


「ユリくん、今日から学校だね」


 朝食の席で、祖父がなんともない、取るに足らないこととよそおって聞いてきた。


「うん、まあ」


「頑張ってな」


「まあ、友達くらいはつくるつもり」


 百合人はそう言うので精一杯だった。どちらかと言えば人見知りで、緊張するタイプの人間だ。それに加えて悪癖あくへきとも言える突発性の癇癪かんしゃくがあり、そのせいで父親には愛想を尽かされた。


 百合人は前の学校で数々の暴力事件を起こした。そのせいで何度、父が相手の親に謝ったか数え切れないほどだ。そのたびに、いやみったらしく――やっぱり母親のいない子は――と言われた。それが、百合人には何よりも辛かった。父は最初、百合人を叱ったが、それも次第になくなった。


 そして、捨てられるようにこの田舎へ追いやられたのだ。


 それがあるから、こっちではそんなことはないようにしたい。そう、百合人は思っていた。だが、あの激流のような怒り。それを彼に沈めるすべは今のところなかった。


 家を出て、十五分で学校についた。始業時刻よりも随分と早く学校に到着していた。それでも登校をすませた生徒はいるようで、百合人は何だか自分が他人から見られているような気がした。だが、それは気のせいだろう。この時期なら見慣れない顔でも一年生だと思われるはずだ。だが、それでも生徒とすれ違う度に、何だかコソコソと陰口をたたかれている気がした。怒りの影が、ちらりと陽炎のように揺れる。

怒ってしまう前に、さっさと職員室を目指す。


 広い校内だったが、分かりやすい場所に職員室があったおかげで、誰かに聞くこともなくすんだ。不思議なくらい軽いスライドドアを開けて、担任の教師を呼び出す。


「ああ、ヤマネくん。ずいぶんと早く来たのね。すこし座って待っててね」


 担任はわざとらしい笑顔を顔いっぱいにはりつけてそう言った。


「はい」


「先生もね、この学校にきたばっかりなの。だからお互い、よろしくね」


 何がよろしくなのかもよく分からないまま百合人は応える。


 百合人は真面目な性格で、持病の癇癪が出る前までは教師の覚えも良い典型的な優等生だった。教師の覚えもよく、だからこそ彼がはじめてクラスメイトを殴りつけた日には、まさかあの子がと言われた。


「朝のホームルームが始めるまでまだ時間があるから。先生、少しだけ準備するわね」


 ほらほら、ここに座ってと職員室に招き入れられて、適当な席に腰を下ろす。


 今度こそ周りから見られていた。他の教師たちはコーヒーなんかを飲みながら百合人を横目で見ている。


 ――ああ、あれが問題児?


 そんな声が、少しだけ聞こえた。


 百合人は顔をふせる。自分が優等生ではなく問題児として見られている。その事実は百合人の胸を締め付ける。


 小さいときから手塩にかけて育てられてきた。私立の幼稚園に通い、小、中と受験をしてどちらも受かってきた。中高一貫のエスカレーター式の名門に入った時は、今後の人生が約束されたような、そんな気がしたくらいだ。


 だが、百合人は転落した。


 数度の暴行事件は百合人に落下傘をつける暇も与えず、彼をどん底まで突き落とした。きっかけはなんだったのかすらよく覚えてい。ただ一つ言えるのは些細なことだった。クラスメイトが自分の名前をバカにしたとか、そんな理由だったと思う。


 ケンカなどしたこともなかった百合人だったが、いきなり暴力を振るい、相手を倒すとマウントを取って何度も殴りつけた。相手のクラスメイトは顔の形が変わるくらいまで殴られて、顔面を血だらけにして病院に行った。


 最初の事件はそれだった。そんな事があと二度ほどあった。


 精神科にかかったが、ストレスだろうというありきたりな結論を出されただけだった。


 ――田舎に行って、のんびりすると良い。父さんが生まれた町で、いい場所だぞ。あそこなら爺ちゃんもいるし、ストレスフリーで伸び伸び過ごせるだろう。


 そう言った父の言葉が、頭の中に残響のように残っている。


 だが百合人は自分がストレスを感じているとは思わなかった。それとも、彼も知らない内にその心の中は蝕まれていたのだろうか。その答えが、この町で出るとは思えなかった。


「はいはい、お待たせ。じゃあ、教室に行こうか」


「……はい」


 担任はニコニコと笑っている。だが、その笑顔がどこか腫れ物でも触るようなぎこちないものだと気がついたとき、百合人は心の中でため息をついた。


「緊張してるの? だいじょーぶ、先生に任せておいて!」


 何を任せるのだろうか、無責任な人だった。


 先程、自分もこの学校に来たばかりだと言っていた。おそらく、大学を出たばかりの新任なのだろう。だから、彼女のクラスにやっかいものである百合人が割り振られたのかもしれない。


 二年生の教室は二階だった。朝のホームルームの時間は始まっているようで、廊下に生徒の姿はない。


「先生が呼んだら入ってきてね」


「はい」


 教室の外で立たされている――そんな状況を頭に思い浮かべた百合人は、自分がやった問題行動もその程度のものだったら良かったのにと思った。


 廊下の窓ガラスの先には、こことは別の学校が見える。別に中高一貫というわけではないようだが、『私立腐卵中学』の隣には『私立腐卵高校』があった。腑卵町は昔、腐卵と書いたのだと、郷土の歴史に詳しい祖父が説明してくれた。


 腐った卵。なんとも嫌な名前だった。


 教室の中から担任が呼んでいた、


 百合人はゆっくりと扉を開けて、教室に入っていく。


 まず目についたのは壇上の担任教師。そして自分を見つめる、クラスメイト三十人あまりの視線が突き刺さる。


 自己紹介を、と促されて、黒板に名前を書く。


「ヤマネ百合人です。よろしくお願いします」


 趣味とか、前の学校で入ってた部活動だとか、そんなことを言ったほうが良いのは分かっていた。だが百合人には人様に言えるような特筆すべき事柄がなかった。強いて言えば勉強だが、そんなことを自慢してなにになるというのだ。


 何個か質問をされて、当たり障りのない答えを返す。


 開いていた一番後ろの席が自分の席だと言われ、百合人は「はい」と頷く。そこに到着するまでの十数歩。周りから、くすくすと笑い声が聞こえた。


 百合人という女のような名前が笑われているのだと気がついたとき、百合人はどこに怒りをぶつければ良いのかと考えた。


 笑ったやつを全員殴り倒せばいいのか、それとも名前をつけた父親を殴ればいいのか、それとも自分を殴ればいいのか。誰かに怒りをぶつけたいが、それができないから百合人が新しい自分の席に大きな音をたてて、不機嫌に座った。


 机の横のフックに、乱暴に学生カバンをひっかける。


 そんな様子を隣の席の女の子が見つめていた。


「なに?」


 憎しみのこもったような目で、百合人は隣の席を睨みつける。


「機嫌が悪いんですか?」


「キミも笑うのか、僕の名前を」


「いいえ」


 目の大きな、少し子供っぽい女の子だった。髪をツインに結んでいる。しかも髪留めは可愛らしい――というよりも不細工な顔をした熊さんだった。


 そのくせ涼し気な鼻の高い顔立ちと、華奢な顎のラインがひどくアンバランスに見えた。彼女の体はもう女性として成長しているのに、彼女の精神の深い部分だけが成長することを拒んでいるような、そんな印象を百合人はうけた。


 百合人はその子を可愛いといえば良いのか、綺麗といえば良いのか判断がつかなかった。


「わたし、黒部フウカよ。よろしくお願いしますね」


「ああ、よろしく」


 フウカはそのガラスのような大きな瞳を百合人に向けたまま、たっぷり一分は動かなかった。


 実は人間ではなく精巧な人形ではないのか、と百合人が疑った瞬間、フウカはその目を半目に歪めた。


「あなた、変な臭いがするんですね」


「変な臭い?」


 そんな、変な臭いがするだろうかと自分の臭いを嗅いでみるが、まったく分からない。どういう意味か問い詰めようとしたところ、フウカは席を立って友人のところへ行ってしまった。一人とりのこされた形になった百合人は、フガフガと鼻を鳴らして自分のにおいを確認したが、何も感じなかった。


 だが、フウカの言った『変な臭い』という言葉は暗示のように百合人の頭の中に残ったのだった。


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