退魔師 ~麻倉ヨシカゲはかく語りき~
KOKUYØ
退魔師
001 退魔師1
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元々乗客の少ないローカル線だったが、目的の駅で降りたのが自分一人だったのには
耳にあてていたヘッドホンをはずしてあたりを見回す。プラットフォームは日曜の午後だというのにガラリとしており、電車が行ってしまうと音もしなくなった。ヘッドホンから漏れ出す若者向けの流行曲だけが、空虚な雰囲気には似合わぬ軽快さで響く。
プラットフォームの駅名は『
空は灰色にぐずっていて今にも雨が降り出しそうだった。来週にはゴールデウィークだというのに風は肌寒く、調子に乗って半袖のシャツを着てきたことを後悔した。着替えは持っているエナメルバッグに入っているが出すのも面倒だった。
駅の改札は有人で、顔色の悪い、三十がらみの男性駅員が切符を確認した。地方鉄道の制服は古めかしく、旧国鉄を思わせる厳しさがあり、男の無表情も相まって百合人は不気味に思った。愛想笑をしてもニコリともしない。マネキンだと言われても信じてしまいそうだった。
逃げるように駅舎を去り、外に出ると広い道を挟んで向かい側に白髪の老人がいた。小さい頃二度ほど見ただけなので記憶に自信はないが、おそらくは祖父だった。
祖父の方でも百合人を認めたのか、嬉しそうに手を降って近づいてくる。左足をえらく窮屈そうに引っ張りながら歩くその姿を、百合人はなぜか直視できない。
「ユリくん、久しぶり。おじいちゃんのこと、覚えてるかな?」
「うん、まあ」
嘘だ。
本当はあちらから話しかけられて安心している。ああ、やっぱりこの人が祖父で合っていた、と。
「さあ、家に行こうか」
少しだけ百合人は安心していた。老人といえばヘミングウェイのような無口で偏屈なイメージが強かった。だが目の前の祖父は笑顔をたやさず、やっかいになる自分に対して優しく話しかけてくれる好々爺だった。
だが、それでも久しぶりに会ったのだ。すぐに打ち解けることはできなかった。よっぽどヘッドホンをつけて音楽を聞こうかと思ったが、祖父の言葉を無視して心を閉ざすのは悪い気がした。中学二年の百合人にだってそれくらいは分かる。それが分かっていながら、今まで家ではそうしていたのだが。
家に行くと言われて、てっきり車でも用意してあるのかと思った。しかし、祖父は田舎特有の駅前のだだっ広い駐車場を素通りして歩いて行く。祖父の歩幅は狭く、びっこをひく特有の歩き方のせいで、百合人が普通に歩けばすぐに追い抜いてしまう。だが百合人は祖父の――今日からは彼の、でもある――家の場所を覚えておらず祖父についていくしかない。
百合人の方から話すことはなく、窮屈な散歩はどれだけ続くかも分からない。
「ユリくんもあっちじゃ大変だっただろう。ここはなにもないけれど、ゆっくり休んでいくといいよ」
「う、うん」
「まったく、お父さんはダメだね。ユリくんを一人でやるなんて」
「まあ、父も忙しいんだと思います」
祖父が目を細めた。百合人は子供らしくない敬語を咎められたように感じた。しかし、祖父と言っても半ば他人のようなものだ。どういった距離感が正しいのか、まだ測りかねている。
「荷物はそれだけかい?」
「着替えと、あとは小物だけ……。ほかはこっちで買うつもり、です」
運動部に所属する学生がよく使うエナメルバッグの中身だけが百合人の荷物だった。後は全ておいてきた。お気に入りの漫画も、ずっと使っていた枕も、気になっていたあの子からもらった手紙も、全部おいてきた。そうしなければ、過去の自分をおいてくることができないような気がしたのだ。
祖父が間をもたせるように一言二言なにかを言うが、会話は続かない。それでも何とか話題をふってくる祖父を、百合人は煩わしいというよりも、哀れに思えた。
駅から十分ほど歩いて、古い洋館が見えた。寂れた大きな家で、庭の手入れはまともにされていなかった。誰も住んでいないのだろうと百合人は思った。
祖父は洋館の前で立ち止まると、まるで拝むように手を合わせた。
「なにしてるの?」
初めて、敬語ではない言葉がでた。
「ああ、これはね……癖みたいなものだよ」
「そう」
何かを隠すように祖父は曖昧に笑い、また歩きだす。
百合人は何度か振り返るが、洋館はひっそりとまるで時を止めたように一切の静寂をたずさえている。ただただ、不気味だった。
「あっちに行けば中学校だけど、見てくるかい?」
「いや、いいよ。後で探検がてら、一人で行ってみますから」
本当のところを言うと、祖父とのこの気まずい散歩をさっさと終わらせたかっただけなのだが。それでも祖父は納得してニッコリと笑ってくれた。
その笑顔の朗らかさに、百合人の心にちらりと影がさした。
――この人は、僕があっちで何をしたのか知っているのだろうか?
たぶん、知っているだろう。
父は僕を捨て、祖父にまかせた。そのときに説明したはずだ。
だからこそ、こんなに笑顔なのだろうか。百合人は何だか自分が腫れ物あつかいされているような気がした。
空のねずみ色はいよいよ濃くなって、今にも雨が降り出しそうだ。と、思っていると鼻頭にポツリと水滴が落ちた。
「おや、雨かいな」
「降ってきたね」
走ろうよ、と言おうとして百合人はやめた。先程からの祖父の歩き方を見るに、たぶん足が悪いのだ。走ることもできないかもしれない。だから百合人は代わりに
「雨宿りでもしていく?」
と、提案した。
そう言ったのはちょうど目前に見慣れたコンビニが見えたからだ。青い看板のコンビニに、百合人は祖父よりも親しさを覚えた。まだ自分はこの町の人間ではないのだと思うと同時に、少しずつ慣れていけばいいという考えと、いや、一生自分は流れ者なのだという考えがせめぎあう。最終的にはコンビニで休もう、そして何かエナジードリンクでも買おうと思った。
百合人が前いた中学校では、男子生徒の間でエナジードリンクを飲むのが流行っていた。それを飲んでいるとなんだか大人になったような気がするのだ。独特な味と刺激、大人の真似をする快感。あと一年もすればこれがタバコやアルコールになるのだが、今はまだエナジードリンクだ。
コンビニならばどんな田舎でも品揃えにそう違いはない。百合人が店内に入って最初に思ったのはそれだ。
「ユリくん、なんでも好きなものを買いなさい」
それはどこか、他人行儀な言い方だった。
「うん」
そうは答えるが、なんだか遠慮してしまう。
いつものエナジードリンクと、小さな箱に入ったガムを一つ。噛みタバコのようなガムだった。ここにも大人への憧れが見え隠れしている。
祖父はコンビニが珍しいのか、店内をウロウロと歩いている。どうやら菓子パンが気に入ったようで、それを買おうとしていた。
外の雨は止むことはなく、いよいよ本降りになってきた。ビニール傘でも買うしかないように思えた。
レジには男が一人並んでいる。買い物カゴを駄菓子でいっぱいにした男だった。黒い服に、焦げ茶色のタイトなパンツをはいている。身長は高く、筋肉は少ない。優男だ。どうしてその男に関心がいったかというと、買いすぎな菓子類もそうだが、その奇抜な髪型が目についたからだ。
男は黒髪だったが、つむじから少しだけ、まるで標高の高い山に傘雲がかかるように白髪がはえていた。
「ああ、カードで」
男は財布からクレジットカードを面倒そうに取り出すと、会計を終えた。百合人の視線に気がついたのか、振り返り冷たい目を向ける。百合人は慌てて目をそらした。
男の目はまるで氷の塊のように無機質だ。
男はコンビニのレジ袋二枚がパンパンになるほど、安っぽい菓子類ばかりを買い込んでいた。
外は雨だ。
どうするのだろう、と百合人は横目で男を見ていた。男は振り始めた外の雨に気がつかなかったようで、自動ドアが開いて外に出てから、呆けたように空を見上げた。
――戻ってビニール傘を買う?
――それとも、そこら辺の傘をパクる?
百合人は興味深そうに男の背中を見ている。
男は、買った品物が入った袋を持ったまま、ポケットに手を突っ込んだ。振り子のようにレジ袋が揺れる。なんでもないように、男は歩きだした。
その足取りはどこか浮世離れした軽薄なもので、歩くというよりもスキップに近かった。
男はどんどん雨の中を進んでいく。百合人はそれを、コンビニの中から眺めていた。
そして時期、男は見えなくなった。
「ユリくん、買うものは決まったかい?」
「あ、うん」
百合人は祖父にエナジードリンクとガムを渡す。祖父の手には小さな菓子パンと、売り物のビニール傘があった。
「降ってきたからね」と、いいわけのように祖父が言う。
「うん、傘はいるよね」
百合人はしかし、雨の中を軽快に歩いていった先程の男のことを思い出していた。
あの男はなんだったのだろうか。最初は雨を忌々しそうに見つめていたのだ。なのに最後は傘もささずに歩いていった。その後ろ姿は楽しそうにすら見えた。
頭の天辺が白い男。
たぶん、高校生か、大学生くらいだと思った。少なくとも百合人よりは大人だった。
百合人はどうしてか知らないが、その男が格好いいと思えた。
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