あの日から

「ほら、慶大。早く帰りの準備してよ。デートの時間短くなっちゃうよ」

「わかったって、わかったから、騒がないで。あと、腕、離して、邪魔」

 僕の隣で騒いでいた椎名真帆は、今度は、僕の机の前でぴょんぴょんと飛び跳ねている。

「あらあら、真帆たん。彼氏さんとデートですかー」

「きゃっ」

 急に後ろから現れた柴田は、手をまわしてわしわしと真帆の胸をもんでいた。見ていると何とも言えない気持ちになるので、僕はそっちに目を向けない。

「それにしても、真帆と千葉君のカップルは最強だよね。誰も勝てやしないクラス一のカップルだよ」

「そ、そんなことないよ」

 僕もそう思う。真帆は、容姿も性格も完璧なのは認めるが、僕は何も長所がない。実際のところ、真帆と釣り合っているかどうか聞かれたら、素直にうなずくことができない。

「ほら、準備も終わったし、行くよ真帆」

「う、うん」

「そっか。じゃあ、楽しんで」

「ありがとな、柴田」

 さみしそうな瞳をした柴田に礼を言って、教室を後にする。教室の中から、少し幼いかわいらしい、じゃーねー、が聞こえてきて、数秒後には、真帆が僕の隣に並んで歩いていた。

「今日は、どこかで二人きりでゆっくりしたいね」

「私もそう思ってたところなんだ。じゃあ、家来る?」

「あれ、真帆の家族さん、今日は家にいないんじゃなかったっけ?」

「あ、そうだった。うちも、家族がいないときは友達、いや、彼氏を連れ込んじゃいけませんって固いよね」

「いや、娘の心配をするのは普通じゃない」

 仮に僕が親だったら、娘が自分たちがいないときに男を連れ込んでいると知った日には、どうなるかわからない。

「それじゃ、うちに来る?」

「あれ、珍しいね。慶大が誘ってくれるなんて」

「いや、今日はうちは親いるし、心配ないと思うから」

「そっか。じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 少し複雑そうな表情をしていたが、少し経つと、慶大の家に行くのほんと久しぶりだよね、とスキップをし始めた。道を歩いているおばさんたちがほほえましいようなものを見る目でこちらを見ている。僕と真帆にとってこの町に住んでいる人たちは家族同然だ。おそらくそれは、相手もそうと思う。僕らが付き合った日は、どこから漏れたのかわからないが、商店街を歩くたびに、肉やトマトなどたくさんの贈り物をもらった。

「そういえば、学校の七不思議ってあるじゃん?慶大は、どこまで知ってるの?」

 うちの学校には、創立された当初から受け継がれている、七不思議がある。入学当初の新入生は、この話を先輩や先生から聞き、興味本位で知ろうとするが、七つ全部知ると自分に不幸が訪れると言い伝えられているので、少しは知ろうとしても、追及する生徒はほとんどいない。

「僕は五つまでは把握してるよ。真帆は?」

「私はまだ四つだよ」

 かわいらしく柔らかそうな唇をきゅっと結び、すねているような表情になる。真帆はとにかく負けず嫌いな性格なのだ。

「なら、教えてやろうか?俺の知っている全部」

 カーペットの上に寝転がっていた真帆が勢いよく立ち上がり、こちらを見てきた。

「でも、もしかしたら、本物が全部揃っちゃうかもしれないぞ?そしたら…...」

「全部知って不幸なことが起こるかもしれないとしても、私は知りたいよ」

 そして、真帆は探求心というか、知的好奇心が旺盛なのだ。なんで、と聞いたら、楽しそうじゃん、と答えられる未来が見えている。

「それじゃあ、一つ目。みんなが知っている図書室の飛んでくる本」

 この現象は、棒と真帆が図書室に行ったときに実際に起こっている。この七不思議については二人とも知っている。

「二つ目。夜中の体育館に響き渡るバスケットボールの音」

 これは、バスケ部の複数のやつらから聞いているため本当だと言っていいだろう。

「三つめは、中央廊下にある水槽にいる金魚の数」

 中央廊下の水槽には金魚が十五匹いるはずなのだが、日によっては十四匹、十六匹になったりする。これも、確認済みだ。

「そして、美術室の彫刻が四つ目」

 美術室の後ろにはビーナス像のようなものが四体置かれている。これが、日に日に互いにかぶらない方向に回っているというものだ。

「んで、最後は、重村像の目」

 この学校の外には、創設者の重村建の像が立っている。その目が日によって空いているほうが違うということだ。

 僕が、確実にあっているだろうと思う七不思議を言い終える。終始、真帆は真剣に聞着ながらメモを取っていた。

「ふんふん、なるほど」

 そのメモを見ながら、真帆はうーんとうなっている。

「ねぇ、慶大。ひとつ、七不思議を教えてあげるよ。聞く?」

 真帆が顔を覗き込んでくる。その瞳には有無を言わせぬ力を感じた。

「朝の学校の廊下と教室は、違う世界とこの世界が混ざり合っている」

 思わず笑ってしまった。別世界とこの世界が混ざり合っている? そんなアニメみたいなこと起こるわけないだろ。しかし、それを語っている真帆の青が真剣そのものだったので茶化すのはやめた。

「あとひとつあるんだけど、もしも慶大が全部知っちゃって不幸になったら嫌だから、言わないね」

「ここまで言ってじらすか!」

 その後、どれだけ問い詰めてもその内容についてはかたくなに口に出さなかった。

 そして、別れの時がやってきた。

 そろそろ、遅くなるので真帆は家路についた。真帆がいなくなって少したって、真帆のお気に入りの手帳が部屋におっきぱなしになっているのを見つけた。

 おそらくそこまで遠くまで行ってはいないだろう。ランニングのようなペースで走って七分、信号待ちをしている真帆を発見した。忘れていった手帳を渡すと安どの表情で、ありがとう、とお礼を言った。

 そして、青信号に変わった。

「それじゃ、また明日」

「うん。慶大も気を付けて帰るんだよ」

「こっちのセリフだわ」

 微笑みながらお互いに手を振った。これが、最後の真帆との会話、真帆の笑顔だとは思ってもいなかった。

「ママ! 早く早く、ウルトラマン始まっちゃうよ」

 はしゃぐ声が聞こえるのと同時に少年が駆けだしたのが分かった。

 ワンテンポ遅れて、なぜか真帆は必至な顔をして少年を追いかけた。なぜ? その理由は、ほどなくして明らかになった。

 赤い軽自動車が猛スピードで突っ込んでくる。少年はそれを見て恐怖で固まっている。

「危ない!」

 そう叫んだ時だった。少年の体が不自然に前に突き飛ばされた。不意打ちに少年は地面に転び、泣いていることに気づいたのは少したってからだった。

 一人の少女が、大きな衝突音とともに、ありえない体勢で空を舞った。そして、鈍い音がして地面にたたきつけられると、一面に赤いしみが広がっていく。

「きゅ、救急車だ! 早くしろ!」

 喧噪の中を男性の声が突き抜けた。僕は状況が理解できず、口をパクパクさせていた。隣では、自転車に乗った僕と同じ制服を着た男が救急車の手配をしていた。

(真帆にバイバイして、真帆が走り出して、少年が突き飛ばされて…...〕

 そこに救急隊が到着した。しかし、来ると同時に首を横に振った。そこで、やっと僕和は理解した。

『真帆が死んだ』

 受け止めたくなかった真実が流れ込んでくる。その力は絶大で立っていられなくなり、ひざから崩れ落ちた。救急車を手配していた男に何か言われたが、全く覚えていない。

 真帆は心臓が破裂していて即死だったらしい。真帆の死を受け入れ始めたころに母から聞いた。その頃の僕には、もちろん悲しさはあった。しかし、関係ないような感情も湧き上がってきていた。

『もう、真帆以上に大切な人はできないだろう。男だろうと女だろうと』

 それから、僕は心を閉ざしていった。交友関係が音を立てて崩れていったのが分かった。そのころから、死神という呼び名が広がった。最初は嫌だったものの、心を失っていくとともに何も感じなくなっていった。

 ある時、一人の女に告白された。どうも、真帆と僕が付き合っていて告白することを憚っていたが、枷が外れたため行為に走ったらしい。僕は、その子を一瞬で切り捨てた。  それから、一層、嫌がらせの類が増えた。悪口や陰口から始まったものが、下駄箱に死骸や虫などを入れられるようになった。

 いつしか、死神という言葉が自分のためにあるような気がしてきた。死神だから、皆が嫌がらせしてくるのも仕方ない。みんなに恐れられている存在なのだから。そう思うと優越感に浸ることができた。

 しかし、それは長く続かなかった。いくら思い込んだところで、精神がダメージを受けていることには変わりない。ストレス性の病気にかかり、吐血や血便なんて日常茶飯事だった。

 逃げ道などなかったと気づいた時には学年が変わっていた。彼女の死を見つめなおせば見つめなおすほどに自分の無力感を呪いたくなった。

 そのころからだっただろうか。真帆が座るはずだった空席に花が置かれるようになったのか。新手のいじめだろうと思った。しかし、逃げていてはいけない。僕は、花瓶を持ってきて後ろに飾ることで反旗を翻したのだった。

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