はじめのいっぽ

「…………ひまだ…………」


 静人はぼけっと口を開いたまま、窓の外を眺めていた。

 いい天気なのかは良く分からないが、緑の空に暗黒の太陽がさんさんと輝いている。

 ルルモたち家族は、三人で連れ立って、どこかに外出した。

 静人は、置いてけ堀になったのだが、最初はこの家を調べて回るチャンスが来たと意気込んでいた。どこからか脱出することができないかを調べてみたり、何か情報を獲得できないかと探偵みたいに色々と調べようと思ったのに……。


「この部屋から出られないんだもんな……」


 ルルモたちでなければ開けることができない扉や家具。どう利用すればいいのか分からない奇妙な調度品。

 残念ながら、静人にできることは何もなかった。

 だから、ぼんやりとルルモたちが帰ってくるのを待っているしかなかったのだ。


「……ペットって……こんな気分なのか」


 飼い主たちがいなくなれば、何もできることがない。退屈な時間がゆるゆると過ぎていくばかり。

 犬が、飼い主が帰ってくるのと同時に激しく尻尾を振って喜ぶ理由が分かった様な気がした。

 早く、ルルモが帰ってこないかなと、そればかりを考えてしまう。


 おそらくだが、彼女は出かけるときに、こちらに手を振って、『大人しく待っててね』と言ったのだと思う。それとも、『行ってきます』だっただろうか。

 まぁどっちも大して変わらない。問題なのは、これから先、この家で暮らしていくにあたり、家に放置されるのはとてつもなく詰まらないと言うことだ。

 もう三時間以上は経っている。


(……うわ、凄くいやな想像しちゃったぞ)


 静人は、もしかしたら、もうこのまま誰もこの家に戻ってこないのではないかと不安がよぎった。

 いやいや、そんなバカなと思いながらも、悪魔と人間の時間の感覚がずれていたら、どうだか分からないと、嫌な方向に想像が膨らんでいく。

 良く、ファンタジーに出てくる悪魔は、年齢が五千歳だとか、何百歳だとか、人間の寿命の遥か先にある。

 その感覚で置いてけ堀を食らうなんて、勘弁願いたいところだ。


 ぞっとする恐怖と、寂しさ、焦りが静人の心を苛み始めた時だった。

 ガチャ、ガタン。

 と、玄関の戸が開く音がした。静人はすぐさま立ち上がり、閉じられた扉に齧り付く。


「帰って来た!? おおい! 早く出してくれ! ここに置き去りじゃ、退屈で死ぬッ!」

 ダンダンとドアを叩き、こちらの存在をアピールすると、すぐさまドアが開いた。

 そして、静人はすぐに抱きしめられた。


『クロ! お待たせっ! 寂しかったよね、ごめんね!』

「う、うぐ?」

 ぎゅう、と優しくも暖かく抱きしめる少女の身体は、ふかふかと柔らかくて気持ちいい。

 ルルモが、アッという間に静人を抱きしめていたのである。


『いい子にしてた?』

「は、離れてくれよ……」

 と、抗議してみたが、その口調は弱々しかった。別に悪い気分じゃなかったので。

 ルルモは、悪魔の女の子ではあるが、正直なところリアルな世界じゃお目見えできないないような美少女だった。

 まさに異世界のファンタジーに登場する美少女特有の雰囲気と魅力に包み込まれているし、何より、彼女はとても優しい。今だって、お留守番をきちんとしていた静人をよしよしと抱き締めながら撫でてくれるのだ。


「うぅ……」

 恥ずかしさが強かったが、ルルモの肌が密着するのはとても安心できた。

 さっき想像していた不安のせいか、ルルモがきちんと戻って来てくれたことに、ほっと一安心して、油断したのかもしれない。


『ご褒美の、ちゅっ』


 ちゅ。


(へ?)


 柔らかくて、甘い何かが、静人の唇をつっついた。何が行われたのか分からずに、きょとんと惚けた顔をしてしまった静人の目と鼻の位置に、ルルモが可愛らしい笑顔を浮かべて見つめている。


「き、キキキ、キス、されたッ?」

『あー、もう、クロ可愛いよ~! クロ、大好き!』


 ちゅ、ちゅ、ちゅ、とそこから連続のキスの雨が降り注ぐ。柔らかくいい香りがする女の子の唇が、何度も静人の唇をつっついて、静人は頭がすっかり火照ってしまった。


「ちょ、ちょっと! は、はじめて……キス、した……」


 女の子と、こんなに簡単にキスしてしまった――。

 しかも、ちょっとやそっとじゃ出会えないような美少女と……。

 その上ルルモは、本当に嬉しそうに静人にキスをしてくれていた。可愛がってくれているんだと、分かってしまう。


(可愛がられてる……僕が……。お、女の子に……)


 むずむずとした何かが血液を熱くさせていくようだった。恥ずかしさと、気持ち良さ、嬉しさと驚きで、心臓がバクバクと音をたてている。

 ニコニコと笑うルルモは、顔を引いて、そして荷物を持ってくると、その中からなにやら取り出し、静人に、見せびらかした。


『じゃーん! クロ、これなんだと思う? クロのお洋服だよ~!』

「あっ、これ……もしかして、服、かな?」

 ルルモが差し出して来た袋の中には、少々変わったデザインではあったが、服のようなものが包まれていた。

 それをルルモが広げると、いよいよそれは着込むものだと分かった。


「この世界の服、かな。生地がなんだか奇妙だぞ。綿でもないし、皮でもない? ゴムみたいに伸びるし、通気性は良さそうだ……」


 その服は、静人の常識に強引に当てはめるなら、ジャージに近いだろうか。

 しかし、野暮ったいデザインはしておらず、異世界ファンタジーらしく、何やら帯やらラインやらがあしらわれていて、なかなか悪くない見た目をしている。

 触ってみると、さらさらとしていて心地いい手触りをしているし、清潔感もある。

 恐らくだが――この洋裁技術は、リアル世界よりも高度なものではないかと窺えた。


『着せてあげるね』

「ん? あっ、だ、大丈夫だよ! 自分で着れる……あう」


 自分でできると訴えながらも、ルルモの動きが制してくる。がばりと腕を万歳させられてその服を着せられた。

 そして、ズボンだけは自分で穿くと心に誓い、静人はルルモから服を奪い取るみたいにして足を通した。

 これでやっと全裸からオサラバだ。ほっと一安心できた。やはり服を着ているほうが安心する……。静人は文明人なのだから。決して愛玩動物なんかじゃないのだ。


『わぁ、似合う!』


 ぱん、とルルモが手を打った。満面の笑みで静人のその姿を褒めているように見えた。

 女の子から容姿を褒められて悪い気はしないが、気恥ずかしくて、静人は少しだけ俯いた。


「この服、凄い。伸縮性があるのに、通気性もいいし、蒸れない。暖かいけど、暑すぎない。どういう素材なんだ……?」

『大丈夫かな、苦しくない?』

 身動きを確かめるように、身体を捻ったり伸ばしたり、軽く飛び跳ねたりしたが最高の着心地といっても過言ではない。

『良かった。これで一緒に散歩にも行けるね』

 ぱちぱちと手を叩くルルモに、静人は頭を下げて、軽くお辞儀した。一応、服を用意してくれたので、感謝を伝えたかったのだ。


『クロ、やっぱり賢い。前はどこかで飼われてたんだって分かる……』

 静人のその反応を受けて、ルルモは感心しながら、哀しい声を零した。

 静人には、ルルモがなぜ哀しそうな声を出したのか分からなかった。お辞儀が良くなかったのかと悩んだが、ルルモは直ぐに笑顔を取り戻して、悪魔の尻尾をふりふりした。


『私は、絶対にクロのこと、捨てたりしない。これからずっと一緒だからね。クロ』

 静人は、ルルモが嬉しそうな顔に戻ったのが嬉しくて、自分も笑顔になった。

 なんだか、奇妙な信頼関係みたいなものが芽生えた気分だった。


 色々と思うところはあるが、この少女が悲しむ顔はあんまりみたくないと静人は思った。

 こんなに可愛くて、優しい子なんだから、笑っているのが一番だと思えたのだ。


『クロ、お出かけ、してみない?』

「……え? なに? どこかにいくの?」


 ルルモが、静人の手を握って引いていく。どこかに連れ出そうというのだろう。

 正直なところ、不安もあるが、それよりもワクワクがあった。

 ずっとこの部屋に押し込められていたので、外を歩けることがとても新鮮で楽しみだった。


「外に、出るのか? もしや……散歩に行こうってことなんじゃぁないかッ?」

 静人は、いよいよ外の状況を掴める機会が訪れたと全神経を尖らせて、外への渇望をルルモに訴えた。


「外に行くんだろっ? 散歩だよなッ? 頼むッ、散歩に連れて行ってくれッ! 僕はこの世界の状況を知りたいんだッッ!!」

『わっ、はしゃがないでよクロっ。ちゃんと連れて行くから』

 早く外が見たくて、ルルモの手を逆に静人が引きずるみたいに前に歩き出し、少女を催促した。


『パパ、ママ! クロと散歩に行ってくるね!』

『気を付けて行ってくるのよー』

『はーい!』

『きちんと服は着させたか? 魔力のリードはつなげてるかい』

『うん、大丈夫。パパ。じゃあ、行ってくるね』


 ルルモが家族たちと何やら話し込んでいる。何を話しているのか静人には分からないので、その様子がもどかしく感じられた。

 今は、家族の会話に耳を澄ませるよりも、外の状況を早く知りたかった。


「早く行こう、ルルモ!」

『よし、クロと初めての散歩だね! 危ないからはしゃぎ過ぎないでね』


 ルルモが、玄関の大きな扉を開く。静人には開けない重く不思議な扉。それが開かれると待ちに待った外の空気の匂いが鼻孔をくすぐった。


『いくよ、クロ!』

「おう!」


 二人のその言葉は、紛れもなく通じ合っていたと、共にそう思った。

 散歩が始まる――。

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