愛玩の動物
静人は窮地に追い込まれていた。
突如飛ばされた異世界で、迫りくる脅威に――。そう、貞操の危機というやつに。
「ちょ、ちょっとまって、まってぇぇぇ!?」
『あっ、ちょっともー! 逃げちゃダメ!』
静人はその大きな屋敷のバスルームの隅で身を丸めて迫ってくる悪魔娘――ルルモに悲鳴を上げるのだが、まるで言葉が通じないので、何がどうしてこうなったのか分からない。
風呂場に連れてこられたと思ったら、ルルモに衣服を脱がされ始めたのである。
静人はシャツのボタンをプチプチと細い指先で外されるのをぼけっと見ながら、何が行われているのか理解できなかったが、悪魔少女が静人のズボンにまで手をかけたのを見て、いよいよ分かってしまった。
この美少女悪魔娘は、静人を裸にしようとしているのである。
その途端、弾けるように逃げ出して、半裸の状態で風呂場の隅にうずくまるような状況になっていた。
『ほら! ちゃんと服を脱がないと洗えないでしょっ』
「な、何かヤバイぞ! 言葉が通じないとかそういうレベルじゃぁないッ! 僕は今、自分の中の常識とこの世界の常識が理解できてないッ! それは凄く、マズいッ!」
言葉が通じないだけならまだ良い。ジェスチャーや感情の表現で、相手に意思を伝えることができるはずだからだ。
しかし、今、静人は明確に服を脱がすことを拒否しているのに、この悪魔の少女は、無理やりに脱がそうとしてくる。
問題は二つある。
ひとつは、この少女が、こちらの意思を汲み取ってくれないことだ。
嫌がっても、関係ないとばかりに、無理やり服をはぎ取ろうと迫ってくる。つまり、静人の意思など考慮していないと言うことだ。
二つ目は、そんな少女が自分とたいして歳が変わらないように見えること。
普通なら、同年代の異性の服を脱がせようとするなんて、羞恥心が働くものだ。なのに、この悪魔っ娘はそれがない。
静人の裸を見ることを何とも思っていない――。静人が男性だからだろうか? いやいや、そうではない。なにせ、この風呂場に連れ込まれて狼狽えている間に、少女は身に纏っていた服を脱ぎ、白い肌を惜しげもなく静人に晒したのだ。
そんなことをする女の子を、自分の中の常識のなかには想像ができなかった。
この異世界がそういう常識をもった世界観なのかもしれないが、異文化交流にしたっていきなり過激だ。
「いやあっ、やめてえっ」
まるで暴漢に襲われる乙女みたいな声を上げてしまった静人だが、そんな悲鳴もお構いなしに、少女は隅に追い詰めた静人のズボンを掴んで引きずりおろそうとした。
『ごめんね、すぐ終わるから』
声は優しく聞こえるが、行為は全く遠慮がない。
憐れ――静人は甲高い悲鳴を上げ、少女の成すがまま、生まれたままの姿を晒してしまうことになるのであった。
「……ひっく、ひっく……、ひどいよ、もうお嫁にいけない」
もとより行く当てもないが。
どうにか両手で股間を隠すことは許されたが、人生最大の羞恥心に、ほろほろと涙を零す。まさか同年代の美少女に無理やりすっぽんぽんにされるなんて。
男の子のプライドは、無慈悲に打ち砕かれた。
『んー、ちょっと擦り傷があるかな……。痛かったね……。もう大丈夫だからね』
静人の身体をまじまじと観察して、悲しみの色が滲んだ声を上げる少女は、慈しむようによしよしと撫でてくれた。
静人は、今何が行われているのかさっぱり分からない。
なんとなく予想できるのは、今からお風呂に入るんだと言うことだ。この部屋はどう見てもバスルームだし、裸にされたのはそう言うことだろう。湯船には温かい湯が張られている。
ルルモが備え付けてあったボトルを手に取り、そこから綺麗な色をした液体を掌に落とすと、そのままシャワシャワと柔らかい手を擦り合わせて泡立て始めた。
「あ、あの、自分で洗えますので……」
『沁みるかもしれないけど、我慢してね』
「流石に、倫理的にですね、それは色々と……」
『暴れないでね。わ、私もペットのお風呂なんて初めてだから……』
言葉が通じないということは、悲劇であり、喜劇である。なんて、格言が出来そうなシチュエーションであった。
しゃわ……。
「う……!」
ルルモの泡立った掌が、そうっと優しく静人の背中に触れ、撫でつけられた。
すべすべとした肌触りと泡の心地よさが、静人を小さく跳ねさせる。
(きもち、いいな)
なんだか、いけないことをしているような気分もあったが、そういう厭らしい気持ちなんかよりも、純粋に心地よい感触に、強張っていた静人の身体が脱力した。
(この子……、良く分からないけど、優しい子なんだっていうのは、間違いない)
とても、優しい気遣いを感じるその洗い方に、静人はそのまま身体を明け渡した。変に拒否して暴れて、彼女に傷つけてしまうのが嫌だった。
変な気持ちにならないように、きゅっと目をつぶって少女をみないようにすることで、やましさからの解放を考えた。
しゃわしゃわと、マッサージをするように揉みこみ洗ってくれる少女の手が背中から肩、腕と延び、極上の心地よさにとろんと蕩けてしまいそうにもなった。
『あはっ、良かった。気持ちよさそう。いい子いい子』
頭を撫でて、そしてそのまま、シャンプーをしてくれた。美容室のシャンプーみたいに、丁寧に洗ってくれる小さな掌が、甲斐甲斐しい。
(人に身体を洗ってもらうなんて、初めてだけど……こんなに心地いいんだ……)
『お腹と脚も洗わないと……』
ボトルからまた洗剤を追加して、しゃわしゃわと泡立てるルルモは、クロと名付けたペットが大人しくしてくれているので、ほっとしてそのまま全身を洗っていこうと、胸に手を付けて撫でつけていく。
そのまま、お腹の方に手を滑らせて行こうとした時だ。
がしり、と手を掴まれた。
クロが、嫌がっているように、手を抑え込んでいた。
「流石にそれ以上は、ヤバイです。色々ヤバイです」
『お腹、触られるの嫌いなのかな……。でも、ちゃんと洗わないとだし。……怖くないよー。大丈夫だから、大人しくしてね』
「ホントだめだって! そ、そこは自分で洗うからぁっ!!」
せっかく大人しくしていたのに、急にクロが激しく抵抗し始めた。
やっぱりまだ悪魔に対して、警戒心が強く残っているんだろう。そんな風にルルモは思って、困った。
多分、この『ヒト』は、捨てられたのだろう。『服』を着ていたから、どこかで飼われていた『ヒト』だと思うけれど、きっと酷い目に遭ったに違いない。
こんなに怯えてしまって、可哀そうだ――。
こんなに可愛いのに、どうして捨ててしまうんだろう。ペットを飼うのなら、きちんと責任感をもって世話をしてほしいと、この『クロ』を捨てた飼い主に小さな怒りが浮かんだ。
『ねえ、クロ。私がちゃんとお世話してあげるから、これからはここがあなたのお家なんだよ』
そう言って、クロのおでこをヨシヨシと撫でてあげた。その時のクロの顔はきょとんとしていて、本当に可愛いと思った。
『私たち、家族になるんだよ。よろしくね、クロ』
「あ、あのう……?」
言葉は通じないが、クロが戸惑っているのは分かる。か細く、鳴くその声はとても弱々しい。
『綺麗にしないと、病気になっちゃうから、お願い。嫌かもしれないけど、我慢して?』
「…………」
静人は、悪魔少女の顔を正面から見据えて、その穏やかな瞳に、心を奪われてしまいそうになっていた。
人の精神を惑わす悪魔の魔力なのだろうか。
この少女に、命令をされると、従いたくなってしまうのが不思議だった。そうしてもいいような相手だと、信じそうだった。
まるで、そう。自分がこの悪魔少女のペットになったような気分だった。愛玩動物、としてお世話をされている……ようだ……?
「えっ」
静人は、その時やっと気が付いた。
そうだ。
まるでペット――。
ベッドで手当てされ、食事を提供され、お風呂に入れられる――。
それは客をもてなす対応とは違って見えていた。
それは、つまり――。
「まさか……まさか僕は……ペットになっているのか!?」
そう考えると、つじつまが合う。同年代の少女が、こちらを見ても恥じらうこともなく、乙女の肌で撫でつけてくれる理由。
静人を、対等な異性と見ていない。つまり――犬や猫みたいに見えているのだ。
(この世界では、悪魔が人間を愛玩動物として飼っている世界なんじゃぁないかッ――!?)
確かめなくてはならない!
この世界の状況を。自分以外の悪魔ではない『人間』がどんな生活をしているのか――。
もし、自分がペットになってしまっているとしたら、どうにかしなくては……。
『じゃあ、洗うね』
ぴと、と静人のお腹に女の子の掌が触れる。そのままゆっくりと撫でて優しく揉みこむ――。
『あっ、この子、男の子……、やだぁ。くすくす』
幸か不幸か、ルルモの手はすんでのところで触れられると色々危ないところを逸れてくれた。
なんだか恥ずかしそうな声を上げた少女の反応に、静人は「あぁ」と思い知った。
年頃の女の子なら、オスの犬や猫の股間を見て、恥ずかしく笑うのもうなずける。
自分の股間をしっかりとみられた時の反応で、静人はついに確信した。
自分は、紛れもなく、愛玩動物になっているのだ、と。
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