悪魔っ娘のペットになったがキスに添い寝に楽じゃない

花井有人

悪魔と僕 ボーイミーツデビル

 茜色の空の下、途方に暮れていた城島静人(じょうじまじょうと)は抱え込んだダンボール箱に哀しい目を向けた。


 高校の部活帰りの途中、雑木林の中でその薄汚い箱を見付けた。

 本来ならそんなものに目を向けることなんてしないのだが、その箱から「ミー」と可憐な鳴き声がした時、静人は直ぐに駆け付けた。

 まるでフィクションみたいな光景だったが、それは紛れもなくリアルだった。


「捨て猫じゃん」


 とても小さい子猫だった。毛がボサボサで手入れされていない。小さすぎるその身体は、ダンボール箱すら乗り越えられないようで、汚れた箱の中で健気に鳴いていた。

 一目見ただけで随分とやせ細っているのが分かる。ダンボールの状態を見ても、長い時間、ここにほっとかれていたのだろう。

 ここはあんまり人が通らないし、静人だって、この子猫が鳴いていなかったらゴミだと思って目を向けなかったはずだ。


 ここで静人が拾わなかったら、この子は飢え死にしてしまうだろう。

 静人は汚く湿ったダンボールをしっかりと抱きかかえた。別に自分の制服が汚れることなんて気にしなかった。

 頭にあったのは、早くなんとかしてやらないとという使命感だけだった。


 とにかく、家に連れ帰ろうと真っすぐ帰宅したのだが、そのダンボール箱を持って帰って来た母親の顔は露骨に曇った。


「もといたところに戻してきなさい」


 反論はしたが、城島家はアパート暮しでペットは禁止だ。静人も分かっていて連れ帰って来た。せめて、何か食べ物だけでもやりたいと、母にせがんだが、魚肉ソーセージしかないと手渡された。


「ごめんな、ウチじゃ飼えないんだよ」

「ミー」


 魚肉ソーセージをそのまま上げても食べられないだろうと、静人は自分の口で細かく咀嚼したソーセージを吐き出して、掌に乗せ、子猫に食べさせてやった。

 なんとか食べてくれてほっとしたが、母親が暗くなる前に戻してこいと言うので、静人はしぶしぶダンボール箱を抱えて、また夕闇の道路を歩いていた。


「……ミー」

 寂しそうに鳴く子猫の顔を見ていると、心臓を抉られるような痛みを感じた。

 救ってやりたいのに、今の自分ではこの猫にしてやれることが何もないのだ。必死に鳴いて救いを求める子猫を護りたいが――現実はあまりにも世知辛い。


 雑木林までまた戻って来た。

 ダンボールが置かれていたところまで来て、自分の無力さを子猫に詫び続けた。


「ごめんな、ごめんな……」

「ミィ」


 罪悪感に胸を圧し潰されそうになった。可愛らしくも弱々しい猫の声は、おいて行かないで、と言っているみたいだった。

 静人は、もうその猫の無垢な瞳を真っすぐに見ていられなかった。

 ダンボール箱を置いて、くるりと背を向けると、一気に駆け出した。悔しくて歯軋りをしながら、我武者羅に駆けた。逃げ出した、というべきだったかもしれない。


 ぎきぃいいいいいいっ――!


 けたたましい音がどこかからした。

 その音が、凄く近くでしているなぁと他人事のように感じていた静人は、続く鈍い衝撃に自分が宙を舞っていることにも気が付かなかった。


 道路に飛び出した静人は、スピードを出していた真っ赤なレクサスに撥ねられたのだ。

 痛みも驚きも感じなかった。理解が追い付かず、頭の中には猫のことばかりが浮かんでいて、それで静人の意識は闇に落ちた――。



 ※※※※※



「えッ――?」


 がばりと身体を起こして疑問の声を上げた。

 いつの間にか寝ていたらしい。

 長い夢から覚めたみたいな奇妙な感覚と共に、周囲の光景に驚いていた。


「なんだ、ここ」


 周囲は見たこともない景色だった。うっそうと茂る木々、濃い植物の匂いと泥の臭さ。

 辺りには奇妙な植物が生えていて、空が見たこともない色をしている。青や橙と言った色味ではなく、エメラルドグリーンの空だった。そして、そこには真っ黒な太陽が浮かんでいる。


「な、なんだ、ここッ!?」


 今度こそ、驚愕の声と共に、慌てふためく静人。

 明らかに異様な空間で、現実味がない。まるでファンタジーの世界だ。


「お、おちつけ、僕……。僕の名前は、城島静人……。父親がジョ〇ョ好きで名付けられた、十六歳の、高校一年……」

 混乱している頭をどうにか冷静にしようと、自分のことを確認するように呟いて、自分の中にその言葉を飲み込んでいく。

 頭がおかしくなったわけじゃないらしい。

 どうやら、ここは自分の知っているご近所ではない。それは確実に分かった。


「と、とにかく、状況を確かめるために、情報がいるぞ」

 嫌な汗が伝わり、悪寒が走る。

 得体のしれない空間に、危険信号が発している。

 これはヤバイぞ、と動物的な本能で、警戒心が膨れ上がっていた。


 静人は、とにかく移動を開始した。周りを見ても、木しかない。どうやら森のような場所にいると分かった。

 どっちに進めばいいかも分からず、道らしい道もない。

 とにかく、明るい方向に進もうと決めて、脚を動かした。


 しかし、歩けどもまるでその景色は変わらなかった。まるで迷いの森のように、同じところをぐるぐると回っているような錯覚に陥り、静人は焦り始めていた。


「なんなんだよ、これ。誰かいないの……?」


 思えば、部活の後でクタクタだった。身体がとても怠いし、空腹感が大きい。

 不安で一杯なのに、しっかりと空腹が主張してくる肉体にイライラした。

 大きな声を出して、救助を求めたほうが良いのだろうか。しかし、こんな良く分からない場所で音を立てて、得体のしれないモノに襲われでもしたらと想像すると声なんて出せなかった。


 やがて――。


 必死に歩いた静人は、疲労に倒れた。

 辺りから伸びたトゲ付きの茎なんかで身体や制服をボロボロにしながら、ぐちゃりと汚れた地面に突っ伏した。

 どれだけ歩いたのだろう。

 真っ黒な太陽が沈み、変わりに真っ白な月が浮かび上がっていた。


(もう、歩けない――、ハラ、減った……)


 霞む意識のなか、これが夢ならもうすぐ目が覚めるのかな、とぼんやり考えていた。

 もう、限界だ。

 意識が、どろりとした泥のなかに沈む様に落ちていく。


 その時だ。

 薄れる意識の中で、何かの声が聞こえた。

 柔らかく、優しい声だと感じたが、もう気力が持ちそうにない。

 目も開くことができない。誰かが、静人の身体を抱きかかえてくれた。

 良い匂いがした気がした――。



 ※※※※※



 暖かいぬくもりに包まれていると分かって、少しだけ寝返りをうつ。

 何かが、自分の頭を撫でているのが分かった。とても優しく撫でつけてくるその感触は、心地よかった。


 暫くそのまどろみに甘えていたいと願いながら、急速に理性が覚醒に向かう。


「はっ――」


 びく、と跳ね上がるように目を開いた。

 すると、頭を撫でていた手も驚いたようでひゅっと引き下がった。


『起きた! 起きたよ、パパ! ママ!』


 傍で慌てたような少女の声がした――ように感じ取れた。

 ――静人には、その声の音を耳にできても、なんと喋ったのか、言語が理解できなかった。まるで異国の言葉みたいに、意味不明な言葉がして、静人は困惑に周囲を確認する。

 どうも、自分はベッドに寝かされていたらしい。柔らかい布団と心地よい毛布に包まれていた。顔を上げると、心配そうな顔をしている少女がいた。

 ベッドの縁からこちらを覗き込んでいる。


「だ、だれ?」

 静人は少女に訊ねた。少女の見た目は、多分自分と同じくらいの年齢じゃないだろうか? 十五、六歳くらいに見える。

 しかし、その顔立ちは、あまり見慣れない造りをしている。整った鼻すじと、大きな瞳。肌は色白で、煌めく可憐な目は、エメラルドみたいに美しい。そして、髪が抜けるように真っ白なのだ。

 白髪(しらが)の老婆、というわけではない。そういう髪の色をしているのだろう。若々しく艶やかで、ふわりと女の子らしい柔らかさが見て取れた。

 黒いカチューシャをつけていて、よく似合っている。正直言って美少女だった。日本人ではないだろうと一目でわかる――。


「えっ、角があるッ?」


 日本人、どころではないようだ。

 その美少女は、頭に二つ、黒い角が伸びていた。羊の角のように左右に二本。くりんとカールを描いていて、左の角には紅いリボンが結わえていて可愛らしい。

 そして、その少女の背後に、羽も見付けた。それはコウモリのような羽で、極めつけは尻尾だった。にょきりと延びた尻尾は細く、黒い。先がスペードみたいな形をしているのを見て、確信した。


 この姿は、ファンタジーものに出てくる『悪魔』の造形そのままだと思ったのだ。


『大丈夫? 怪我は……多分してないと思うけど、お腹減ってるかな』


 少女が聞いたこともない音色の言葉を口にした。何を言っているのか分からない悪魔娘は、まじまじと静人の身体を見つめていた。

 どういう状況なのだろうか、まるで理解が追い付かない静人に、そっと悪魔少女が手を伸ばして来た。


「うわっ」

 相手が悪魔だと思った静人は、奇妙な言語で語り掛け、手を伸ばして来た少女からさっと身を引いて、ベッドの隅で丸くなった。

『お、怯えないでいいよー、ヒトちゃん』

 静人が素早く動いたからだろうか、少女もおっかなびっくりという様子で、静かに声をかけてきた。


 ガチャン。

 扉が開く音がしたと思って、そちらに視線を向けた静人は、「うわあ!」と悲鳴を上げてしまった。


 そこに立っていたのは、厳つい顔をした男の悪魔だった。少女同様に大きな角があり、顔色は紫だった。


(な、なんなんだ!? ここは悪魔の世界なのか!?)


『パパ、静かに入ってこないと、ヒトちゃんが怯えるでしょ!』

『ああ、すまん……。ちょっと見せてみなさい』


 低くどっしりとした男の悪魔の声と共に、静人に向かってくる、太い腕――。

 男の悪魔が静人を押さえつけて、首筋だとか脚を観察し始めたことに、半狂乱になって騒ぎ出した。


「うわああああっ! や、やめろおっ! くるなあ! 離せえぇぇッ!」

『うわ、元気なヤツだな。これなら、怪我は大丈夫かな……?』

『ホント? 良かった』


 バタバタ暴れる静人から腕を引いて、やれやれと息をつく悪魔の男から逃れた静人は、ガタガタと怯えて震えるしかなかった。

 食われると思ったのだ。どうも自分は異世界に転生して、いきなり魔物の住処に誘拐されてしまったらしい。

 なんて開始だと運命を呪いたくなった。


 と、不意に鼻に良い香りがした。

 匂いのほうを確認すると、男の悪魔が入って来た扉の向こうに、木皿をお盆にのせて立っている女性の悪魔が居た。


『早速だけど、食べるかしらね? ヒト用のエサなんてなかったから、適当に煮込んだスープだけど』

 女性の悪魔が口を利いたが、やはり静人には理解ができない。どこか困った様な表情をしているが、やっぱり角と尻尾がある。恐らくだが、悪魔娘の母親だろうと察した。

(じゃあ、さっき僕を捕まえようとした悪魔は……この子の父親か?)


『あたしが食べさせたい』

『大丈夫? 噛みついたりしない?』

『怯えてるし、興奮気味だから、そっとしてやりなさい』

『えぇ~? 大丈夫だよ、ヒトちゃん』


 悪魔娘がお盆を受け取って、静人の方に接近してきたが、それを父親が止めたようだった。

 それに対して、娘は口をとがらせてから、静人のほうに、慈愛に満ちた笑顔を向けた――。

 そして、お盆の上の木皿をそっと静人の前に差し出した……。空腹を思い出した静人にとって、その香りは、唾が噴き出してしまうほどに香しかった。


「な、なんだ、これ……。スープか? ぼ、僕にくれるのか?」

『おいしいよー? あ、熱いのかな? ふぅーふぅー』


 悪魔娘が唇を寄せて、湯気立つスープに息を吹きかけた。

 なんというか、同じくらいの年頃の少女が、そんな風にして自分にスープを飲ませようとしてくるのは、ドキドキとしてしまう。


『はい、どうぞ』

「ゴクッ」


 悪魔のスープだぞ、口にしてもいいのか? そんな警戒心もあったが、空腹とその美味そうな香り、そしてなにより、悪魔の娘の優しげな様子に、頑なな心はすぐに絆(ほだ)された。

 ゆっくりと、木皿を受け取り、静人は、その皿に口を付け、温かいスープを啜った。塩味がしっかりしていて、美味しい。十分、味わえるスープだと分かってからは、一気にガブガブと飲み干した。


『あはっ、食べた!』

『良かった。しかし、随分汚れているから、後でお風呂に入れてやらんとな』

『ねえ、あたしがお世話するから、飼っていいよね? ヒトちゃん』

『うーん。しょうがないな。しっかり世話するんだよ?』

『ありがとう、パパ!』


 夢中でスープを啜る静人の傍で、三人の悪魔は談笑を交えて何やら語り合っていた。何を話しているのかさっぱりだが、敵意はないようだった。

 悪魔のように見えるけれど、これがこの世界の住人の姿なのかもしれない。意思疎通ができないのが問題だが、とりあえず、命の危険はないだろうと、静人は、気持ちを落ち着かせることができた。


『名前、どうするの?』

 母親の悪魔が、娘に訊ねた。

『うーん。……毛が黒いから、クロ』

『安直だなー』

『いいじゃん、可愛いし』

『ね、クロでいいよね。あなたの名前。ね、クロ?』


 なにやら、娘の悪魔が笑顔で語り掛けてくる。静人は、口を拭って、お礼を述べた。


「ありがとう……、助かりました。ええっと、僕は静人って言います」

『ほら喜んでる! クロで決まりだよ!』

「ええと、分かりますか? 静人です、僕。ジョ・ウ・ト」

『クロ! 今日からあなたは、クロだよー! よろしくね!! あたしは、ルルモ!』

「う、うわっ」


 不意に、ぎゅうっと少女から抱きしめられた。

 柔らかいものがぷに、と押し付けられて、いい匂いが、彼女の髪の毛からする。

 急に女の子から抱きしめられて、静人は真っ赤になって固まった。

 悪魔、みたいにも見えるが、こうして抱き締められると完全に普通の女の子だった。ぱたぱたと背中の羽が動き、尻尾がふりふりと揺れているのを除けば。


 静人は、とりあえず、状況を確認するためにもどうにかこの悪魔たちと交流をしなくてはならない。

 幸い、とても友好的に接してくれているし、ほっとしたが、どうにも押し付けられる少女の膨らみには、ドキドキと胸を鳴らせてしまう健康的な十六歳であった。

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