第一話 人が消える話 9


 〇


 私ね、愛した人を二人失ったの。

 皐月さんの話はそれを皮切りに始まった。

「最初に失ったのは結婚を約束していた彼よ」

「え……」

 その言葉で、私は相槌を打つ言葉さえ忘れてしまったように返すことが出来なかった。

 電気がないため、海の家の中は薄暗い。

 風が吹いたのか、外の木材が音を立てて落ちる音が聞こえる。

「みんなが消え始めてから三ヶ月位だったかな。朝起きたら彼がいなくなってたわ」

 昨日まで普通にそこにいた人がいなくなってしまう。

 今残っている人たちにとっては何度も経験してきて、見てきた光景だ。だけど、これが起き始めたときにはまだまだ何が起きたのか理解することは出来なかったし、戸惑いも大きかった。

 みんな、自分が、または近しい人が明日消えてしまうかもしれないという恐怖を心のどこかに置きながら暮らす日々。どうして消えてしまうのかは未だに分からないが、いつ消えてしまうのか判別出来るようになっても、消えてしまう怖さは変わりない。

「朝、彼を起こすために呼んだけど、返事がなくて見に行ったらもぬけの殻。残されてあるのは、びちょびちょに濡れた布団とパジャマ。彼には悪いんだけど、それを最初に見た時は、大人になっておねしょでもして恥ずかしくなって外に行ったのかと思ったの」

 彼女が口元を隠して小さく笑う。

「それで昼頃には帰ってくるんじゃないかと思って待ってはみたけどいつまで待っても帰ってこない。夜まで帰ってこないのでようやく思い至ったの。あぁ、彼は消えちゃったのかってね」

 言葉を挟むことが出来ずにいた。

 何か言わないといけないと思うのだが、言うべき言葉が出てこない。

「両親は、この現象が起き始めた時にほぼ同時に消えてしまった。けど、その時はそんなにショックは受けなかったんだけどね」

 彼女は俯き、足元では、サンダルの先で地面を掘ったり、埋めたりする動作を繰り返す。

「両親を失う事よりも、彼を失ったことの方が衝撃は大きかった。ううん、両親を失った時もショックは大きかったはず。だけど、彼がいたから大丈夫だったんだって分かった。私は彼を心の支えにしていたんだってその時になってようやく分かったの」

 彼女がそのままの姿勢で顔だけ私の方に向けた。

 その顔には自嘲的な笑みが浮かんでいた。

「それでもね、人間って不思議なのね。生きようとして、お腹は空くし、喉は渇いてくる。この町の人たちはみんなで漁をして、取れたものを分けて食べるコミュニティーを形成していたから、私も知らないうちに参加していたの。そして、夜一人になると毎日のように泣いていた」

 家族を失う悲しみは分かるが、愛する人を失う悲しみは私には分からない。

「それで、去年の夏の終わりに一人の青年がここを訪れた、ううん、正確には違うんだけど」

 皐月さんはまた私から視線を外して、顔を正面に向けた。

「近所に住んでいたおじさんも友達も後輩も小さい頃から知っている子もいなくなって、最後に一人残されていた私が惰性で生きていたときにね」

 目を細めて見つめた先には何が見えているだろうか。

「早朝その日の分のご飯を取りにいこうとしていたときに、貴方達が訪れた海岸に生き倒れていたの、彼」

「え、それ、大丈夫だったんですか……?」

「大丈夫だったか、そうじゃないかと言えば、大丈夫じゃなかったわね」

 からからと愉快そうに彼女は笑った。

「このご時世、生き倒れてても死体だと思うじゃない。それに人に親切にしている余裕もないわけだし、自分自身が今日食べるものにも困る位だからね。その時、私は何を思ったんだろうね。それを木の棒で突いてみた」

 私でもそうするかもしれない。

 彰さんだったらそんなことしないで無視すると思うけど。

「死体だろうなと思って、何やってんだろ、私と思っていたらね、声がするの。『食べ物……水だけでもいいので下さい……』って枯れた声でね。その時は驚いたわ。まさか生きてるなんて思ってもなかったからね」

 懐かしく思い出すように話す皐月さんの表情は楽しそうだった。

「それからはてんやわんやよ。水を大慌てで沸かして、保存用にとって置いた物を食事として出したりしてね。彼ね、余程お腹を空かせていたのか、遠慮なんてどこかに置いてきたみたいに全部食べちゃったのよ。二日分はあったと思う量を全部よ、信じられないでしょ?」

 その人の気持ちが良く分かる。

 私の場合は、自分の意地みたいな物のせいでそうなってしまったわけだが。

「それからね、『あの……全部食べてしまったんですけど、大丈夫でしたか……?』って言うのよ。全部食べられて大丈夫なわけないのに、呆れちゃって何も言えなかったわ」

 彼女は笑っていて気が付かないみたいだが、涙が一筋頬に流れていた。

「その彼と昔の彼は似たような人だったんですか?」

 皐月さんが肩を竦める。

「全然似てないわ。雰囲気位かしら、似ているとしたらね」

 先程のような明るい雰囲気が少しだけ薄れて、顔に影が差す。

「世界がこんな風にならなくて、彼が消えなかったら、多分目にも入ってなかったと思うわ」

 それはとても酷い言われようだ。

 思わず口からは渇いた笑い声が漏れてしまった。

「そうね、けど、彼もいなくなって、この町で私一人になり、転がり込んできた青年がいた」

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