第一話 人が消える話 2
何かあったかなと思い出しながら、足下に置いてあったスケッチブックを拾う。
スケッチブックをパラパラと最初の数ページ捲ると、一昨日の日付にティッシュ、トイレットペーパー、ライター、生理用品等々が数量と一緒に書かれていた。
「歯ブラシがあれば嬉しいかも。彰さん、歯磨くときに力入れすぎるからすぐにダメにしちゃうんですから」
私を初対面の人相手ならビビらせるような目つきの悪さで私を見てくる、彼、御子神彰には何度同じことを言ったのか分からない。
「ブラシが弱いんだよ」
「そんなことありません。だって、私が使ってるのなんて彰さんのに比べて何倍も長持ちしてるんですからね」
言いながら、一つ思い出した。
「あと、自分の歯ブラシがダメになったのか、使いにくいのか知りませんが、私の歯ブラシ使わないでくださいね? 言わなきゃ分からないだろうと思ってるかもしれませんが、ブラシが寝ちゃってるので分かりますから」
私は口を尖らせて軽く睨んでみたが、彰さんにとってはどこ吹く風、全く気にしている様子はない。
「それよりも足りない物はあるのか?」
本当にこの人は、という文句と気持ちは飲み込んだ。
「……今のところはありません」
「そうか、なら急ぐか。今日中には漁港に着いておきたいからな」
南下する予定だったのにこうやって寄り道して能登半島の先端目指しているのはそこが目的だったのだろうか。
だけど、今更行っても誰もいないのは彰さんは知っていると思うけど、どうしてなのかと疑問が浮かぶ。
「どうしてですか?」
「あ? お前、どれだけ一緒にいると思ってんだよ。それぐらい分かるだろう」
長い時間は確かに過ごしてきたわけだけど、それもようやく三年に差し掛かるぐらいだ。
好き嫌いや人となりは理解してきたつもり。
だけど、考えまで分かるほど、この人のことを知っているわけでもない。
私の過去は話したが、彰さんの過去はさっぱり分からない。話してくれる気配もないし、聞いても取り付く島もない。
そんなに信頼されてないのかな、私。
「分かりませんよ。彰さん、気まぐれですから」
窓の外に顔を向けて答えた。
私の気分も知らないだろうに、楽しそうな声で彰さんが言葉を紡ぐ。
「漁港って言ったら、魚だろうが。魚と言ったら、釣りだろ? 朝一から釣りがしてーんだよ、俺は」
呆れて溜息が出てしまった。
そうだった。
この人はそういう人だった。
とても気まぐれで自分の欲望に忠実な人だ。
「ちゃんと釣ってきてくださいよ。期待しないで待ってますけど」
この人の釣りの腕は絶望的に無いなのだ。
ポイントが悪いのか何が悪いのか分からないが、全く成果を上げてこない。
出会った当初は期待して帰りを待っていたのだが、帰ってきてバケツの中身を見てみたら、小さな魚が一匹入っているだけだった。
その時は運が悪かったんだなとかしょうがないとか思っていたのだ。
しかし、それが何回も続いてくると彰さんの方に問題があるんじゃないかと思うようになっていた。
それからと言うもの彼が釣りに行くといえば、自分で夕食に出来そうなものを探しに行く始末である。
それに大きな声では言えないが、以前知り合った人に私もやり方を教えてもらって釣りは出来るようになった。
そして、私の方が彼よりもよく成果を上げている。
だから、彼が釣りに出掛けると言えば、私も違うところで釣りを始めることにした。
「期待しとけって。最近釣りやってなかったからな。今回は釣れそうな気がするんだよ」
そのセリフを何度私は聞いてきたことか。
窓を流れていく景色は人がいた頃とは打って変わって緑色がどこの地域も増えたが、ここら辺は特に浸食されているような気がする。
早い段階で人が消えてしまったのだろうか。
電気はもう供給されていないから、信号機も点いていない。
夜になっても街灯一つ付きはしない。そのため街灯も信号機もただの道路の隅に立っているオブジェの一つに過ぎない。だから、夜になれば外は真っ暗になる。そして、街の中でも満天の星空を眺めることが出来る。この眺めだけは人がいなくなったからこそ拝める光景なんだと思う。
人の生活音もないからこの車のうるさいエンジン音と風を切る音だけが、この世界では私達が奏でる人間の出す音のようにも感じる。
「ここら辺ってまだ人いるんでしょうか?」
「いるだろって言って欲しいのか?」
顔だけ動かして軽く睨み付けておく。
「そんな意地悪な言い方しなくてもいいじゃないですか」
「希望的観測を含んだ言い方したっていないものはいないんだ。だったら、最初からいないって言った方が優しいじゃねーか」
この人は本当にずるい。
さっきまで、釣れもしない釣りに対して希望的観測を持っていたにも関わらず、私には持つなと言ってきているんだ。
だけど、いないのは私だって分かっている。
この三年間でよく分かっている。
それでも私だって女なんだよ。
女の子にぐらい優しくしてくれてもいいんじゃないだろうか。
「それにいないと思ってた方が気が楽だ」
「どういうことですか?」
話の方向が分からない。
「いたとしても明日消えるかもしれないようなもんだ。だったら、出会わないで俺たちの目が届かないところで消えていてもらってた方が何も感じることなくていいってことだよ」
この二年間で数少ない出会いがあり、永遠の別れというのはほぼなかったように思える。
だけど、彰さんの言い分は私としては正面から受け止められるような物ではなかった。
「優しくないですね、彰さんは」
「十分優しいだろ」
どこが優しいのか私には理解出来ない。
言い分だけ聞けば、消えていく人間にわざわざ会って、情を移したくないと受け取れる。
何でこんな人を好きになって結婚した人がいるのか疑問しか浮かばない。
私がそう考えていたら、運転席側の窓に映る景色が急に開けた。
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