第一話 人が消える話 1

2030年7月29日。


「暑いな」

 運転をしている半裸の彼が呟いた。

 私はそれを助手席で膝を抱えるようにして座って、窓の外を景色を見ながら聞き流す。

 彼とて私に対して言ったわけでもなく、ただの一人言だと思う。

 人が整備しなくなったため、雑草がコンクリートを割り、空き家になった家々にも侵食しているのか、緑が多い。

 蝉の声が鳴り響いているが、他は私達が立てている風を切る音とエンジン音、そしてまだ見えない遠くから波やウミドリの鳴き声で人の声は一切聞こえてこない。

 彼がそう言うのも無理もない。

 シフトレバーに吊された温度計がついたキーホルダーはおもちゃのようなものであまり信用が出来る代物ではないが、それでも30℃を超えてるのを見るとプラス3℃位で33℃ぐらいの車内温度になる。

窓は運転席、助手席ともに全開なのだが入ってくる風さえ暖かく感じられてしまう。体は汗でぐっしょりと濡れてしまっていて、とても不快に感じる。

 エアコンを付ければ良いと思うのだが、ソーラーカー仕様になっているこのハイエース、一度付ければバッテリーはやたら食う、エアコンの調子が良くないらしく効きが良くないとデメリットが大きい。いや、デメリットしかない。

 そのため、基本的には使用禁止にされている。

 もみ上げの髪を弄りながら、外の景色から自分の髪に視線を動かす。

 美容院に最後に行ったのはいつだったかもう記憶から忘れてしまうほど前のことだ。バッサリと切るのが怖いから、軽く揃えるぐらい切ったりはした。だが、伸びる量の方が多くて、今では肩の下まである長さになってしまった。

 体を傾けて、ドアに身を預けると、サイドミラーに自分の顔が移る。

 前髪ちょっと切りすぎたかな。

 奥二重で、薄い唇、鼻も高いわけではない平凡な顔。

 クラスの中に埋もれてしまってるような特徴の無い詰まらない記憶に残りそうにないこの顔。

 自分の嫌なところを見たような気がして、紛らわすのも含めて彼の言葉に答えることにした。

「……海パン一枚で運転してるのに」

 運転席にいる上半身裸で日に焼けて肌が黒い男が一瞬睨むような目つきでこちらを見てくる。

 しかし、彼は元々目つきが悪いからただ見るだけだけで睨み付けているようにも見えてしまうのだと言うことを彼と長く間生活していく間に学んだ。

「お前だってビキニじゃねーか」

 膝を抱える両手に力が籠もり、体が暑くなるのを感じた。

「わ、悪いですか」

「別に。『こんなの恥ずかしくて着られるわけないです!』なんて、言ってたのに結局持ってきたんだなと思っただけだよ」

 丁寧に私の声真似みたいな物も混ぜてくる。

 自分の体に自信があるわけでもないのに、これを着る身にもなってもらいたい。

「もう少し胸が大きくて、しっかり括れてて、尻も適度な大きさなら似合うんだがなぁ」

 遠回しの全否定、つまり似合ってないということだ。

 そこまで言わなくてもいいのにと心の中で口を尖らせておく。

 膝で隠していた体にスペースを開けて、自分が身に着けている水着と体を見てみる。

 まだまだ小さく膨らみかけだと思う胸。ちょっと太く感じる足やお腹。それに比べて水着は布面積の小さなビキニだ。服とは違って、誤魔化すのが胸の大きさぐらいで、後は隠せない。

 あまり似合っていないと言うのは否定はしないけど、少しぐらい褒めてくれてもいいと思う。

「……セクハラですよ、今年奥さんに会いにいったら言いつけますからね」

 ハッと鼻で笑われた。

「その頃には忘れてるよ」

 この人の奥さんに会いに行くまで、まだ九ヶ月ほどある。

 確かに忘れてるかもしれない。

 会話が途切れてしまったので、また目を外に向ける。

 現在、能登半島の先端を目指して移動をしているらしい。

 この運転手言うこともやることも非常に気まぐれで、気分で色々と変えてしまう。

 移動しているらしいというのは彼がそう言っていたから、であり、これまでの付き合いの経験からすると多分途中で行くのをやめると思う。そして、どこでか休んで、南下するルートに入るんじゃないかと予想する。

 本来の目標は一年かけての日本一周であり、彼の奥さんがいる青森を出て、早三ヶ月。

 雨等の足止めを食らったのもあり、本来の行程よりも大幅に遅れている。だけど、本州の南端まで到達するよりも前に北上するのが続いていたりするから、今年も途中で北上するかもしれない。これも結局は彼の気力次第というわけだ。ちゃんと行き先が決まっているようで、あやふやな旅が私達の旅である。

 海は残念ながらこちらの窓から見えないが、こちらからはかつて街だった風景がよく見える。

 人影はどこにもなく、その代わり人により整理されなくなった植物がその生命を謳歌するように伸び伸びと育っている。

 車の速度が少し落ちて、ゆっくりになったように感じる。

 対向車が来たわけでもないのに、速度が落ちているのは隣の彼も街並みを見ながら運転しているのが原因だった。

「……事故起こさないで下さいね」

 この人の運転技術を信用してないわけでもないが、事故を起こしてもらっては困る。

 私たちの貴重な移動手段を失ってしまうのだ。

 そうなってしまうと母の命日近くに会いに行けなくなってしまうし、この人だって奥さんに会えなくなってしまう。

「わーってるよ。それよりだ、夏実、足りないものってなんかあるのか?」

 車が完全に停止して、彼が外を見るのを止める。ドサッとシートにもたれ掛かり、後部座席を指差す。

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