第7話『美少女JCの家庭教師になったけど何か質問ある?』前篇

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 六原豪(ろくはら・ごう)が、そのバイトを見つけたのは、一般的なアルバイト情報誌などではなく、大学生協の脇に設けられている掲示板の一角だった。

 中学生に対する家庭教師の依頼で、「大学1・2回生の男子」という条件は割と普通だが、それ以外に「身長165センチ以下、体重52キロ以下」という条件が付加されていたのが目を惹いたのだ。

 少々不思議な条件だが、週2回ペースで1回につき2時間程度で5000円というのは、なかなかおいしいバイトのように思えた。

 幸い(?)にして豪の身長は現在164センチで、すでに18歳だしこれ以上伸びることも(遺憾ながら)あるまい。体重もたぶん制限ギリギリくらいだったはずだ。

 大学入学を果たしてひと月余りが経過し、そろそろキャンパスライフにも慣れてきた豪だったが、友人達との付き合いで大学生は色々と物入りだということを痛感していた。

 事情があってひとり暮らしており、つつましく暮らせば大学卒業くらいまでは無理せずとも食っていけるだけの貯蓄は充分あるが、同時に裕福とかたっぷり余裕があるというわけでもない。

 せっかく大学生にもなったことだしちょっとバイトでもしてみるか……と、割のいい仕事を探していたところで、ある意味、渡りに船だったのだ。


 大学の生活課で聞いた連絡先に電話すると、すぐに面接して決めるという流れになり、翌日、入学式に着ていった一張羅のブレザー姿で、くだんの家を訪ねた。

 多少はお金持ちだろうと予測していたが、その家がお屋敷・豪邸と言っていい規模の大きさ(庭も含めた敷地面積は高校のグラウンドくらいありそうだ)というのは、さすがに予想を超えていた。

 外見は白塗り壁と瓦屋根のいかにも昭和な雰囲気の和風建築だが、中身は純和風というよりは和洋折衷式で、和室の他に洋室もあるようだ。

 豪が最初に通されたのも洋風の応接室で、ローテーブルとソファを組み合わせた応接セットが置いてある。


 「キミが六原くんかね。私が、この家の主の朝倉宗治郎(さくら・そうじろう)だ」

 ──さらに、その家の当主にして雇い主(予定)が、某任侠ゲーの主役をリアル化したような威厳と威圧感を兼ね備えた強面ようぼうだというのも、予想の斜め上をいった。

 「は、はい、初めまして。よろしくお願いします」

 内心びびりつつも、懸命に自制心を発揮して挨拶する豪。

 「あら、今どきの学生にしては礼儀正しいのね」

 当主の奥さんらしき30過ぎの女性も、上品で綺麗だが、凛とした雰囲気と鮮やかな緋牡丹柄の着物を着ているせいか、どうも極妻っぽく見えてしまう。

 「──すみません、六原さん。お父様もお母様も、初対面の方を威圧するのは止めてくださいまし」

 豪の顔色が良くないことを見てとったのか、当主の斜め後ろに立っていた、12、3歳くらいの少女が、申し訳なさそうに頭を軽く下げた。

 この少女がおそらく、豪が(採用されれば)教えることになるこの家のひとり娘だろう。

 僅かにウェーブのかかったダークブラウンの髪を背の半ばまで伸ばし、目力の強い黒い瞳が印象的な娘だった。色白で母とよく似た容貌の美少女だが、中学1年生の女子にしては背が高く、小柄な豪とほとんど目線が変わりない。

 薄桃色で小花模様を散らした膝丈のスリップドレスの上にピンクのカーディガンを羽織っており、清楚なお嬢さんといった趣きだ。

 (──いや、実際、本物のお嬢様だから当然か)

 頭の片隅でそんなことを考えていると、少女本人が豪に向かって挨拶してきた。

 「初めまして、六原豪さん。わたくし、朝倉家の長女の花梨(かりん)です。私立逢坂聖神女学院の中等部に通っております」

 背丈や顔つきもそうだが、態度や雰囲気も大人びており、とても中一とは思えない。

 「これは、どうもご丁寧に。すでにご存じのようですが、六原豪と言います。この春から坂大文学部に入った一回生です」

 あまり女性慣れしていない(無論、恋人ができたこともない!)豪としては、“年下の女の子”とどういう風に接していいかよくわからなかったので、無難によそ行きの言葉遣いで丁寧に応対する。

 それが逆に良かったのだろうか。花梨や宗治郎といくつか言葉を交わした結果、その場で採用が決まり、2日後から授業を始めることになった。

 ちょっと気になっていた例の“条件”も「女子校育ちの娘が男性の家庭教師を望んだが、あまりにマッチョでむくつけき男だと娘が心配」という朝倉夫妻の妥協の産物だったらしい。

 その意味でも、豪はお眼鏡に適ったようだ。

 (これ、人畜無害と思われたのかなぁ……いや、信頼されたんだと思おう、うん)



-02-


 そうして始まった豪の家庭教師アルバイト生活だったが、名家(朝倉家は元華族の流れを汲む家系で現在も大地主だ)の子女を教えるということで、最初は色々緊張していたものの、さほど時間をおかずに慣れた。

 これは、教え子の花梨がよくできた子で指導がスムーズに進んだということと、豪の(名前に反してやや小心ながら)礼儀正しいところが朝倉夫妻に評価されたという2点が大きいだろう。

 初顔合わせから2ヵ月あまりが経過した現在──7月半ばともなると、花梨からは親戚のお兄ちゃん、佐原夫妻からは甥っ子のような扱いを受けるほどフランクな関係になっていた。

 そこで豪が調子に乗るようなら台無しだったろうが、彼はよく言えば律儀、悪く言うと小市民な性格だったため、ある程度打ち解けた言葉遣いや態度にはなりつつも、決して家庭教師としての本分は疎かにしなかった。

 そこがまた佐原夫妻からの高評価を得るという正の循環が起き、最近では子煩悩な宗治郎氏が「ふむ、豪くんなら花梨の婿に迎えるのも悪くないな」と密かに漏らすほどで、妻の華蓮(かれん)夫人などは既に半ば義息(ないし娘の許婚)扱いである。

 周囲の思惑はともかく、本人達──豪と花梨の関係はどうだったのかと言えば、これはなかなか一言で表すのは難しい。

 「家庭教師と教え子」であることは確かだが、それだけで完結するほど他人行儀ではなく、さりとて「兄と妹」というには未だ少し距離が遠い。

 花梨が大人びた美少女で、豪もそれなりに整った顔立ちをしているので、並んで歩いていれば傍目からは(豪が童顔気味なこともあいまって)“お似合いの高校生カップル”に見えるのかもしれないが、現時点ではどちらも恋愛や愛慕と呼べる感情を持ってはいなかった。

 とは言え、両者間の距離が徐々に縮んでいることは確かで、そんな中で豪も花梨の本性……と言うか被っている猫の大きさについては、おおよそ理解するに至っていた。


 「──ホント、初めて会った時は、「これが真性ほんもののお嬢様か!」って、ちょっと感動したんだけどなぁ」

 勉強の合間の休憩ティータイムに、華蓮夫人が持って来てくれた紅茶とモンブランを有り難くいただきつつ、わざとらしく豪は溜息をつく。

 「あらあら、もしかしてぇ、豪センセの夢、壊しちゃったかしらぁ?」

 こちらも芝居気たっぷりにファサァと髪をかき上げつつ、ニハハと茶目っ気たっぷりに笑って見せる花梨。

 そう、清楚可憐なお嬢様というのは表向きの姿、実際は意外にアクティブなおてんば娘だったりするのだ。

 無論、家の躾の御蔭もあって、その気になれば「非の打ちどころのない良家のお嬢さん」としての言動を演じることはできる。

 できるが……それは虎かライオンなみに巨大な猫をカブっているが故で、本人の本来の嗜好は、恋愛系少女漫画よりバトル物の少年漫画、枕草子や万葉集などの古典文学より異世界チート系ラノベやアニメ、乙女ゲーより格闘ゲームなんかを好むタイプだったりする。

 「服装ファッションもねー、ホントはアポロキャップにヘソ出しタンクトップ&ショートパンツとかのラフな格好がしたいんだけど……」

 両親が喜々として買ってくるヒラヒラ&ふわふわのフリルとレースがてんこ盛りの少女趣味な衣装は、彼女の好みから120度くらい違うらしい。

 「それ、華蓮さんとか宗治郎さんに言ったらひっくり返るからね」

 「わかってるって。お父さん達の夢を壊すような真似は──少なくとも高校卒業するまでは──大っぴらにはしないつもりだし」

 せめて髪の毛くらいはショートにしたいんだけど、とボヤく花梨。

 「せっかく綺麗な髪なのにもったいない。僕が花梨くんの立場だったら、多少大変でも絶対切らないと思うけどなぁ」

 男目線でつい、そんなことを言ってしまう豪だったが……。

 「ふぅん……豪センセ、ロングヘアな女の子が好みなんだぁ」

 いつになく艶っぽい流し目で視線を向けられて、内心焦る豪。

 「あー、まー、その、なんだ。やっぱメインヒロイン系の黒髪ロングストレートは男の憧れだろ?」

 とりあえず無難な一般論に逃げる豪(本当はそれだけでもないのだが)。この程度の馬鹿話ができるくらいには、親しくなっているのだ。

 「あたしは黒っていうより焦げ茶だし、完全にストレートってわけでもないけどねぇ」

 「メインヒロインというより隠れボーイッシュ属性だと思うし」と、微妙にヲタっぽい自己評価を、花梨は下す。


 「ところで豪センセ、ちょっと提案があるんだけどぉ……」

 花梨いわく、今度の期末試験でどれかひとつでも満点を取ったら、ある“お願い”を聞いてほしいというのだ。

 「いや、それ、僕にメリットなくない?」

 「じゃあ、もしひとつも取れなかったら、あたしの学校の友達を紹介してあげるってのは、どぉ?」

 お嬢様学校として名高い逢坂聖神女学園の生徒とお知り合いになれるというのは、文言だけ聞けば魅力的だが……。

 「花梨くんの学友ってことは中学生だろ? 僕、さすがにロリコン呼ばわりされたくはないからなぁ」

 あまり良い餌にはならなかったようだ。

 「えーっ、残念……」

 そう言う花梨の顔が本当に残念そうだったので、(密かに妹分に大甘な)豪は「仕方ないなぁ」と苦笑して花梨の提案を受け入れる。

 「いいよ、その代わりひとつじゃなくてふたつだ」

 「へ?」

 「ふたつの教科で100点取れたら、僕にできる範囲で花梨くんのお願いを聞いてあげるよ」

 あくまでできる範囲でね、と釘を刺しておくことも忘れない。

 「だーいじょーぶ、お願いしたいのは、ちゃんと先生にできるコトだから♪」

 マンガならルンルンという擬態語が書き込まれていそうなほど上機嫌になった花梨を見て、「こりゃ、早まったかな」と頭をかく豪。


 とは言え、それ以降も花梨に特に変わった様子(寝食や雑談の時間も惜しんでガリ勉するとか)は見受けられなかったので、豪も油断していたのだが……。

 「えっへん、どうよ!」

 花梨が見せるテストの回答用紙2枚には、確かに赤で100と記されている。もちろん、解答欄にもすべて〇がついていた。

 「う、うーん、教え子が頑張ったことは素直に褒めるべきなんだろうけど、欲望モノで釣ったみたいで、家庭教師としては複雑な気分」

 とは言え、豪も今更「やっぱアレなしね」と言う気はない。

 (さぁ、何が望みだ。お金とか物ってことはないと思うけど……)

 どこか(ご令嬢にはあまり似つかわしくない場所)に連れて行けというおねだりや、あるいは豪に女装とかの恥ずかしい格好をしろとかいう羞恥系とかを予想していた彼の予想は、残念ながら外れることになる。

 ──いや、ある意味、当たっていたとも言えるのだが。


 花梨の“お願い”は、意外にも(と言うと失礼だが)この年頃の女の子らしいとも言える、かわいらしいモノだった。

 「あのね、ネットで見つけたあるおまじないグッズを、一緒に試してほしいんだぁ」

 上目遣いにそう言われて、「まぁ、そのくらいなら」と軽くOKしたことが、まさかその後の己の人生観を左右するような一大事になろうとは、その時の豪は知る由もなかったのだった。



-03-


 「じゃあ、センセ、これに自分の名前を書いてくれる?」

 渡された小学生が胸に付けるような名札にサインペンで「六原豪」と記入すると、花梨はそれを受け取り、代りに彼女の手で「朝倉花梨」と書かれた名札を渡してきた。

 「で、お互いが書いた名札を胸に着けたら、おまじない完了ね」

 「結構簡単だね。で、何が起こるの?」

 「ふふっ、それはぁ……ヒ・ミ・ツ♪」

 はぐらかされたが、まぁ、たかがおまじない、たいしたことは起こらないだろう──と、豪はさほど気にもとめず、安全ピンで胸に「朝倉花梨」名義の名札を留める。

 (もしかして、これ、お互いが両想いになるとかかな?)

 アイドルのファンがアイドルの名前+命と書かれたTシャツやハッピを着る、みたいなものなのだろうか?

 (うーん、花梨くんのことは確かに嫌いじゃないけど、恋人と言うより妹なんだよね。さすがに中1じゃなぁ)

 などと、豪は見当違いな想像を巡らせていたが、花梨が豪の書いた名札を感慨深げに自分の胸に留めた瞬間、突然、強烈な睡魔が襲ってくる。

 (え……これ、まさか、ほんも……)

 そんな思いが浮かびかけたものの、そのまま豪、そして花梨は意識を失ったのだった。


……

…………

………………


 「すごーい、この「魔法の名札」、本物だったんだ!」

 聞き慣れた──しかしどこか響きの異なる、そんな声を耳にして、急速に意識が覚醒する。

 「ぅ……あれ?」

 目を開けると“見覚えのある”部屋の天井が視界に入る。

 どうやら“自室”のベッドの上に寝かされていたようだ。

 (何があったんだっけ……?)

 幸いにして、特に体の不調等は感じられず、眠気(?)も収まっていたので、ゆっくりと起き上がる。

 「あ、気が付いたんだね、“花梨ちゃん”」

 ホッとしたような声をかけられてそちらを向けば、最近見慣れた相手──家庭教師の大学生がベッド脇に膝をついて寄り添ってくれていた。

 「──“豪”、先生」

 まだはっきりしない頭のまま、“覗き込む相手の名前”を呼ぶ……と同時に、微妙な違和感に襲われる。

 (あれ?)

 目の前にいるのは、「やや小柄だが、ダークブラウンの髪を短めのアップバングマッシュにして、うっすら陽に灼けた肌をした健康的な18歳の男性」という“よく知っている相手”だ。

 夏らしく白ベースで胸元に英字ロゴの入ったTシャツの上に、ライトグレーの半袖開襟シャツを羽織り、ライトカーキのチノパンを履いているのも、さっき意識を失う前までと“まったく変わりはない”。

 (──うん、“いつも通りの豪先生”ですね)

 ベッドから降りると、すぐ横に置かれた化粧台ドレッサーの鏡に“自分”の姿が映っているのが見える。

 鏡の中には「ストレートで艶やかな漆黒の髪を腰近くまで伸ばし、セーラーカラーの白いパフスリーブワンピを着た色白な少女」の姿があった。

 “先日13歳になったばかりの女子中学生”としては、かなり背が高い反面、スレンダーで女らしい曲線美がまだほとんど見られないのが密かに悩みの種だったりする“見慣れた自分の姿”──のはずだった。


 しかし、何かおかしい。どこか不自然な気がする。


 再度、鏡の中を見返し、“自分”と“家庭教師”の姿を同時に視界に入れた瞬間、起き抜けにも感じたその違和感の正体が判明した。


 「えぇっ、なんだ、コレ!?」

 素っ頓狂な声をあげる少女……の格好をした六原豪。

 「あはは、やっと気づいた?」

 そしてお気楽に笑っているのが、言うまでもなく朝倉花梨だった。


……

…………

………………


 「──つまり、この「魔法の名札」とやらはホンモノで、使用したふたりの“立場”を入れ替える効果がある、と?」

 花梨の説明を聞いて、豪は頭が痛くなってきた。

 「そんなバカな!」と否定したいのは山々だが、自分達の格好……のみならず、髪型や肌の日焼け具合などまでが入れ替わっているのは紛れもない事実だし、先ほど意識を取り戻した際は、自分が「朝倉花梨」で、目の前の短髪の少女を「六原豪」だと思い込んでいた。

 さらには、大学から直行したため鞄に入っていた英文読解の教科書の内容が半分も理解できず、逆に“豪”の立場になっている花梨がスラスラと訳してみせたのも、その立場交換とやらの傍証となるだろう。

 「この際、その魔法の名札の効果はひとまず認めるとしよう。で、花梨くんはこれからどうしたいんだい?」

 この上なく上機嫌な花梨の表情を見ていると非常に悪い予感がするものの、豪としてはそう聞かざるを得ない。

 「もちろん、このまましばらく豪センセの立場を貸してほしいな♪」

 (やっぱりそうきたかー)

 予想通りの花梨の言葉に再び頭を抱える豪。

 確かに、100点のご褒美に自分にできるコトは何でもするとは言った。言ったが、流石にこれは想定外の事態だ。

 (花梨くん、「男子大学生のひとり暮らしの気ままな毎日」に憧れてたみたいだからなぁ)

 当事者としては、親元で暮らす中高生と比べれば確かに自由度は高いものの、同時に大変だったり面倒だったりすることも多々あるのだが、“良家のお嬢様”として、やや過保護かつ厳しめに育てられた女の子が憧憬を抱くのもわからないではない。

 「──しばらく、ってどれくらい?」

 「うーん、そうねぇ。センセのトコロはもう夏休みに入ってるんでしょ? さすがに学校が始まると大変そうだから、夏休みが終わる直前の、ちょうど1ヵ月後というのはどう?」

 今日が7月20日だから、つまりは8月20日までか。

 確かに、夏季休暇中だから、学校の授業を受けたり、学校の友人と会ったりすることで発生するだろうトラブルは未然に防げるだろうが……。

 「ひとり暮らしになる花梨くんの方はいいとしても、この家に残る僕の方がボロを出さないか心配なんだけど……」

 「それなら大丈夫みたいだよ。ほら、コレ!」

 花梨が差し出す紙片は、どうやら先ほど使用した「魔法の名札」とやらの説明書らしい。

 ザッと読んでみたところ、先程聞いた「立場を入れ換える」という効果のほかに──


・立場交換時に、日常生活に最低限必要な知識は即座にインストールされる

・立場交換中は、徐々に現在の立場にふさわしく言動などが矯正されていく

・言動の矯正に要する期間は半日~2、3日。立場交換に積極的であるほど、馴染むのが早い

・元に戻るには最初に使った名札を逆に(本来の名前の通りに)付ければよい


 ──といった説明が記されていた。


 「なるほど、この説明書を信じるなら、丸一日くらい乗り切れば、後はまぁ、なんとかなるんだね。それに戻るための方法もちゃんと明示されてる」

 「そーそー。だからさー、あんまり深刻にならないで、気軽にいこーよ。名門女学園に通う美少女JCになれる機会なんて、滅多にないんだからさ♪」

 「自分で“美少女”って言っちゃう!? いや、否定はしないけどね」

 あまりの花梨のお気楽ぶりに辟易しつつ、豪も男だ。“名門女子校”に大手を振って入れるというのは確かに魅力的……。

 「ちょっと待った! 夏休みだから学校に行く必要はないんじゃないの?」

 「あ、気づいたか。実は、ウチの学校の終業式は明後日の土曜日だから、明日の授業はよろしく~。だーいじょーぶ、“日常生活に最低限必要な知識”はすでに備わっているはずだからさ」

 そんな風にいなされた結果、結局、豪はこのまま「花梨」としての暮らしを1ヵ月送ること了承させられたのだった。



-04-


──パタン!


 “自室”のドアを開け、空になったグラスやケーキ皿の載ったトレイを手に、おっかなビックリ部屋の外に出て、台所へ向かう花梨──の格好をした豪。

 サテンの薄くつやつやした布地でできた白いワンピース、特に膝のすぐ下で揺れるスカート裾の感触が、慣れないためにどうにも落ち着かない。

 (ていうか、そもそもスカート履いたこと自体、生まれて初めてなんですけど!)

 心の中でボヤきながらも、極力それを顔に出さないよう心掛けつつ、台所へと向かう。


 「あら、花梨、まだお勉強時間じゃないの? 先生は?」

 厨房では、着物の上に割烹着を着た、いかにも「古き良き日本の母」といった趣きの華蓮夫人が、野菜を切って下拵えをしている最中だった。

 この家には清掃や洗濯などの雑事をする使用人も数人いるのだが、華蓮は普段家族が食べる分の朝夕の食事は自分が手作りする主義で、今日もその腕を振るっているのだ。

 「いえ……その、飲み物のお代わりが欲しくて。先生は、小テストの採点をされてます」

 無難にそう答える、花梨の立場になっている豪(以下、面倒なので“カリン”と表記しよう)。

 なお、たいした用でないのにわざわざこんなことをしたのは、ふたりの立場交換が、ちゃんと他の人の認識にも影響を及ぼしているか確認するためだ。

 (万が一、このヘンテコ現象の影響が及ぶ範囲が僕らふたりだけだったりすると、悲惨だからなぁ)


 「そう。それじゃあ、アイスティを作って持っていってあげるから、先にお部屋に戻ってなさいな。お菓子は……もうすぐお夕飯だからいらないわよね?」

 しかし、華蓮夫人の対応を見る限りそれは杞憂で、どうやら無事(?)に交換した立場(即ち花梨)に見られているらしい。

 ちなみに、万が一「花梨の服を着た豪」と見なされた場合は、「テストで満点取る賭けで負けたので、コレを着ろと花梨に言われた」と言い訳する予定だった。

 その醜態をさらさずに済んで安心したような、それを理由にこの茶番を止められなくて残念なような……カリンは複雑な気分だった。


 何事もなく華蓮夫人との雑談を終えて“自室”に戻ると、豪の服を着た花梨(以下、ゴウと記そう)がニヤニヤしながら待っていた。

 「な、何? 何かおかしなトコロでもありましたか?」

 「いえ別にぃ~(むしろ、さっき部屋を出る前より、女の子らしい仕草になってるけど……これは言わない方がおもしろそうだよね♪)」

 ゴウの内心の言葉が聞こえたわけでもないだろうが、抑えきれない“彼”のニヤケ顔を見て、頭上に「?」マークが飛び出たような表情になるカリン。

 ちなみにゴウの見立ては気のせいではなく、カリン自身の「怪しまれたくない」という心理に基づく努力に加えて、ふたりを現在の立場に馴染ませるべく“お呪い”が本格的に効力を発揮し始めたから、という理由もある。


 その後、しばらく入れ替わった現在の立場に必要そうな知識などを互いに口にして、メモなどをとって確認してみたりもしたが、例の説明書にあった通り、カリンが「朝倉花梨」、ゴウが「六原豪」として振る舞うために最低限必要な知識は、すでに備わっているようだった。

 「さてと。じゃあ、そろそろお暇しようかな♪」

 それがわかったところで、ゴウがテーブルから立ち上がって、上着と鞄(もちろん豪のものだ)を手に取る。

 「ええっ、もう?」

 一気に不安げな表情になるカリン。

 元々、“豪”という厳つい印象の名前に反して、彼の見かけは線の細い文学少女ならぬ文学少年風のルックスだ。普段から女に間違われるほどではないが、それは年齢相応の“男”の格好をしていればこそ。

 そもそもが中性的と言ってよい容貌なので、今はローティーンの娘らしい髪型や装いもあいまって、傍目にはなんとも保護欲をそそられる“可憐な少女”といった風情に仕上がっている。

 「と言っても、それこそもう7時前だよ?」

 内心「先生、グッジョブ!」と心の中で親指をピンと立てたゴウだが、そんな気配はおくびにも出さず、事実を淡々と告げるにとどめる。

 「あ……確かに、そう、ですね」

 これ以上留まれば、華蓮(はは)が「豪先生もおゆはん食べて行かれてはどうですか」と言い出すだろうことは目に見えている。

 本来の豪としては、華蓮夫人の手料理は美味しいので頂くことも大歓迎なのだが、さすがに毎回のように夕飯をタカるのは申し訳ない気がして、週1回に自制しているのだ。

 逆に(元花梨の)今のゴウにとっては、「今更、食べ慣れたウチのご飯なんかに興味ないし……」というコトなのだろう。むしろ、それより話でしか聞いたことのない(そして本物の豪なら食べ飽きている)「吉●家の牛丼」の方に興味津々だった。

 結局、カリン側としてもそれ以上引き留める理由は思いつかず、ゴウは彼女と彼女の母・華蓮に見送られて、朝倉家から“帰って”いったのだった。

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