福寿草を摘んで
@Uraniwa_Rion
福寿草を摘んで
わたし、吉原ことりは中学1年生。中学デビューにあやかって、髪を短くしてみました。いろいろと憂鬱な気分も髪と一緒に吹き飛んじゃった。
運動は好きだったけど、最近ちょっと、その…、飽きちゃって。今は他のことに挑戦中!挑戦中なんていっても、実際には字がいっぱい並んだ本を読んでるだけ。外で遊んでばっかだった、わたしにとって知らない人の物語って新鮮でとっても楽しい!
だから、今日も学校帰りに図書館に寄って新しい冒険を探しに行くの。
『新しい冒険を探しに行く』だなんて、とっても文学的でしょ。今のはわたしが実際に地図を持って冒険に行くって意味じゃなくて、何かよさそうな物語小説を探しに行くって意味なんだ。説明しなくてもなんとなく分かるかな。こういうの「比喩」っていうんだよ。これは知らなかったんじゃない?
とにかく、わたしはずらーっと並んだ本を指で追いながら、面白そうな本を探す。面白そうな本っていっても、本の中身なんか知らないから、題名だけで判断する。題名でびびっときたものが、やっぱり面白い本なことが多いんだ。難しい漢字の題名のは中身も分からない漢字だらけだったりするし。
指先にある本のタイトルに集中しながら、蟹さん歩きで本棚の中を移動する。
するとどうだろう。おおっと、びびっと来る本のタイトル発見!本のタイトルは『柿ぴー王子とめでかい人魚姫』。これだ、絶対面白い!
その本は棚の上の方にある本で、私が手を伸ばしたくらいじゃ届かない。でも、持ち前の運動神経で、跳ぶっ。
「「あっ」」
わたしの手は勢いよく飛び出したものの、それは本にはととかず。誰かさんの手をビシッと叩いてしまった。ずっと、本棚ばかり見ていたから、周りに気づかなかったんだ。
わたしは相手の方が怒っていないかとおそるおそる顔色を伺う。
「ごめんね。この本が欲しかったのかな」
すると相手のおにいさんが話しかけてきた。イケボ!
ああ、ナニコレ。今、体の中でなんかトクンときた。
それにその顔は、イケメン!
どことなく中性的な顔立ちのその背の高い男性は、長髪を頭のまんなか辺りで結んでいる。真っ黒な髪の色と相俟って逆に日本男児って感じがする。
……ってちょっと待って!本を探してて同じ本を手に取るこのシチュエーション。恋に発展する奴じゃん!
思ってたのより優しく接してくれて安堵したのは一瞬で、イケメンのおにいさんに話しかけられて頭が真っ白になっちゃった!
「あわわ。えっと、その」
「あれ、こっちの本だったかな」
そういって、おにいさんは隣の本に手を伸ばす。
「あ、いえ。さっきのであってます」
「そうか、でもそれは困ったな…」
横から見るおにいさんの思案顔は、わたしの背だと見上げる格好になるけど、ファッションモデルがポーズしているみたいでとってもかっこいい。
おにいさんは『柿ピー王子とめでかい金魚姫』を手に取ったまま、なにやら訳ありな感じで、渡してくれない。そうだった。おにいさんもこの本が読みたくて、わたしと手がぶつかっちゃったんだよね。
「あの。おにいさんが先に見つけたみたいですし、おにいさん先に借りてください」
――あ、私この人のこと自然におにいさんって呼んじゃった。
おにいさんもなんだか怪訝そうな顔してるし。わたしってば、どうしよう。
「ありがとう。君の言葉に甘えさせてもらうよ」
そして、おにいさんは言おうかどうか迷うそぶりを見せてから、
「初対面の君に、こんなことをお願いするのもどうかと思うんだけど、これから行く
ところがあるんだ。それに付き合ってくれないかな」
やっぱりこれって運命かも!?わたしは二つ返事で了承した。
そして現在、わたしはおにいさんの運転する車でとある場所へと向かっている。結論からいうと、おにいさんはわたしに惚れてデートに誘ってくれたわけではないみたい。
「僕には妹がいてね。だけど病気がちで、今は入院しているんだ。そんなんだから、
学校にも行けずに友達もできないみたいでね。この本も妹がネットで調べて読みた
いって言っていたから、僕が借りにきたんだ。そこで妹と同い年くらいの君に偶然
出会って。もしよかったら、お見舞いに付き合ってくれないかな」
さっきの図書館でおにいさんはこうに説明した。とにかくデートのお誘いって訳じゃないのはとても残念だったけど、イケメンおにいさんとお近づきになれるってところと、その妹さんとは趣味が合いそうなのでお話してみたいなって思う。
そしてなにより、兄が妹を想う気持ちを私はどうしても邪険にできなかった。
車内でそれとなく話を伺ったところ、おにいさんは現在大学三生で一人暮らし中なんだそうだ。どうせ妹の傍にいられないのなら、早く一人立ちしたいんだって。そういう意識の高いところもカッコいいなぁ。
そして、妹さんの病室。
「おにいさん。やっぱりわたし、ここにいていいんですかね」
いくらイケメンおにいさんのお誘いとはいえ、ほとんど部外者の私がこんなとこにお邪魔してもいいのだろうかと。少し怖気づいてしまう。
「ああ、もちろん。そのためにここまで来てもらったんだから」
おにいさんはそう言って微笑むと、部屋のドアをノックしてから、中に入った。
「おはよう、キイロ。お見舞いに来たよ」
妹さんの名前はキイロというらしい。おにいさんが病室に入ったので私もおずおずとついていく。
「こ、こんにちは…」
「お兄ちゃん。もうとっくに夕方でしょ……。って、え!?お兄ちゃんが彼女を連れて
きたぁ!?」
キイロちゃんは、おにいさんの発言に突っ込みを入れたもののわたしの登場に驚いたみたい。まぁそうだよね。自分の兄が女の人連れてきたら普通驚くし、彼女かもって思うよね。
私もそう思うだろうし。
「この子はさっき図書館で偶然であった子でね。キイロが読みたがってた本を譲って
くれたんだ。特に彼女とかじゃないよ」
彼女とかじゃないよ。だって、分かってはいたけど傷つくなぁ。しょんぼり。
「あ!お兄ちゃんったら。もう!二人で話すから出て行って!」
おにいさんは後ろ髪を引かれながらも言われた通りに出て行った。やっぱお兄ちゃんって妹には逆らえないよね。
おにいさんが部屋のドアを閉めた途端、キイロちゃんは咽た。
「大丈夫!?」
慌てて駆け寄ったけどキイロちゃんは澄ました顔で返事をした。
「ああ。大丈夫大丈夫、心配しないで。よくあることだから」
「でも…」
ナースコールとかした方がいいのかな。まずはお兄さんを呼ぶのが先?
「本当に大丈夫だから心配しないで!それよりさ。ほら、私こんなんだから同年代の
子とはほとんど話したこと無いんだよね。だからさ、学校の話とか聞かせてよ!」
「えと…」
なんだかうまく話をはぐらかされた気がするけど…。おにいさんに話し相手になってって頼まれたんだからちゃんと答えてあげなきゃ!
学校の話ね。何から話そう。
「そうだ。まだ名前聞いてないね。君、名前は?私はキイロ。福寿院キイロっていい
ます」
そういえば自己紹介してなかった。部屋のネームプレートで知ってたけど名字は吉福寿院っていうんだ。ということはおにいさんの名字も福寿院なわけで…、っておにいさんの名前まだ聞いてないや。後で聞こっと。
「吉原ことりです。今年中学1年生になりました」
「えっ中1!?タメじゃん。ことりちゃん少し大人びた雰囲気だったから年上かと思っ
てたよ」
大人びた雰囲気ね。去年の私を見たらこの子はどう思うのだろう。
そこから、わたしとキイロちゃんはどんな本が好きかを話しあったり、わたしの普段の学校生活を話したりした。どれだけあたりまえの日常でもこの子にとっては珍しかったみたいでとても喜んでくれた。だからかな。
私は調子に乗ってつい兄のことを語ってしまった。
終始明るかった彼女もその話をしている間はずっと黙って聞いてくれた。
話が終わる頃には日もだいぶ落ちていた。
「あ、ごめんね。なんか私ばっかり喋っちゃって…」
「いや、いいってことよ。健康な奴はみんながみんな何不自由無く暮らしてるわけじ
ゃないって知れたしさ。ふふ。じゃあ交換だね。私のお兄ちゃんをあげるから、こ
とりのお兄ちゃんは私がもらうよ」
「……!!そんなこと言っちゃダメ!」
「あーあー。欲張りなこって、私のお兄ちゃんに近づいておきながら自分の兄は手放
したくないーなんて」
この子、自分が何を言っているか分かってるの?私のお兄ちゃんとってそれって……。そんなのないよ!
「もっと自分のこと大事にしてよ!一番悲しい思いをするのはキイロのお兄さんなん
だよ」
私が大きな声を出したもんだから、キイロがビクってしちゃった。
「……そうだね。うん」
キイロは素直に頷くと
「っはー。っしゃ!恋愛とかは本の中だけって諦めてたけど、こんな病気治していい
男見つけるぞォ!!」
さっき初めて会ったときには分からなかった痛々しいほどの空元気を見せてくれた。
「その意気だ」
「おう」
私が拳を近づけるとキイロは力強く答えてくれた。
「そろそろ暗いし、お開きにしようか。ことり、今日は来てくれてありがと。いくら
うちの兄貴がカッコいいからって知らない人にほいほい付いて行くんじゃねーぞ」
気づけば私たちは気軽に下の名前で呼び合っていた。
「うん。わかった」
私が出口のドアを開ける直前、キイロはポツリと
「さいごにできた友達がことりでよかったよ」
とか私に聞こえるか聞こえないかギリギリの声で言ってきた。だから私はキイロに聞かれないように
「ばか」
と答えてから、病室を出た。
病室を出たらおにいさんがうずくまってた。
「キイロ…僕が嫌いになったのかい?僕おせっかいすぎるのかな。キイロももう中学
生だしそういうお年頃なのかも…」
イケメンで、なんでもできそうなおにいさんでも妹に嫌われるのは怖いみたい。
「おにいさん。もうお話終わりましたよ」
「あ、いやぁ恥ずかしいところを見せてしまったね。キイロとは、仲良くできたか
な」
「はい。それはもう」
「じゃあ、また僕とお見舞いに来てくれるかな」
やったー。もしかして、おにいさんとの次のデート決定!?
だけど、嬉しい反面、それはキイロちゃんが苦しんでいるのを利用しているみたいで胸が少しチクリとする。
「もちろんです!」
連絡先を交換した後、わたしはおにいさんに図書館まで送ってもらって帰った。
それからというもの、わたしは時間があるときはキイロのお見舞いに行くようになった。おにいさんが暇なときは車で送ってもらったりしたけど、基本的にはバスを使ったりして自分で行った。最初に会ったときは聞きそびれたけどキイロの連絡先を教えてもらって読んだ本の感想とかをメールでやりとりしたりしていた。
そんな新しい日常にも慣れてきたある日、おにいさんからメールがあった。
『今度の日曜日。日ごろの感謝を込めて二人で行きたいところがあるんだけど。どうかな』
おにいさんからデートのお誘い!?嬉しすぎる!
どうせ土曜日にもお見舞いに行くつもりだったから、細かいことはキイロの病室ですることになった。相手方の妹の部屋で堂々とデートの会議をするのは少々気が引けたけど、おにいさんが提案してきたことだし、たぶんキイロが気を遣ってくれたんだと思う。お礼しとかないと。
『土曜日、またお見舞いに行くね。走馬さんのことありがとう』
『なんのことかな?そういえば日曜日に兄貴とどこか行くって?がんばれよ』
『押忍』
おにいさんと二人きりでデート……。
この前までみたいに、また優しくしてくれる?
いや、おにいさんはおにいさんだ。だから、うん。当日はめいっぱいおしゃれして行かなきゃ。
来てしまったデート当日。今日着ていく服を着て鏡の前で入念にチェック!うん、かわいい。大丈夫……だと思う。メイクはしようかとも思ったけど、普段しないし、わたしまだ中学生だしちょっとまだ早いかなって…、怖気づいてしまった。今度デートするときまでは、練習しておこうかな……。いつもすっぴんだし問題ない問題ない!よし行くぞ!
「行ってきます!!」
今の私の姿を見たら、お兄ちゃんならなんて言ってくれるだろう。「かわいい」って褒めてくれるかなぁ。
昨日の作戦会議で話し合ったのは、今日はキイロの病院の近くの駅で待ち合わせて、それからおにいさんの車で近郊の公園まで行く。という計画だ。
公園といっても近所の子ども達が集まるような公園ではなくて、所謂デートスポット。少女漫画とかでもよくみる、池があってボートがあるところだ。
待ち合わせ場所では先におにいさんが待っていた。
わたしは小走りに駆け寄る。
「あ、待ちました?」
「いや、今来たとこだよ」
そしておにいさんは頬をかきながら、
「今日の服かわいいね。もちろんいつもの服もかわいいけど、今日は一段とおしゃれ
してきてくれたんだね」
こんなことを言ってくれた。
おにいさんの照れの隠せてなさを見て、こっちが恥ずかしくなっちゃう。
「あ、ありがとうございます」
わたしたち二人のデートははなんとなくぎこちなく、そして初々しく始まった。
というわけで、公園ボート。おにいさんがどうしても行きたかったみたい。しかもわざわざ白鳥型のやつまで指定して。おにいさん、たまにこういうかわいいところ見せてくるんだよなぁ。そういうところも素敵。
おにいさんと二人並んでペダルを漕ぐのはとってもドキドキした!一生懸命足をぐるぐるさせてるおにいさんを眺めてるのは最高だった。
「あはは、僕だけ楽しんじゃったかな。ごめんね付き合わせちゃって。休憩しよう
か。なにか食べたいものでもある?」
午前中に待ち合わせて、今はちょうどお昼時。昨日の作戦会議ではここでおにいさんが奢ってくれるっていう事にしておいたけど……。
「おにいさん!わたし、お弁当作って来たんです。お口に合うか分かりませが……」
「本当かい!?ことりちゃんの手料理が食べるなんて嬉しいよ」
昨日の作戦会議の前にキイロとメールで話した打ち合わせの手筈通り。名付けて『相手を射止めるなら、まずは胃袋から作戦』!!
……まんますぎる作戦名は置いといて作戦の内容は、美味しい料理をおにいさんに振舞って一人前のレディとして見てもらうことだ!!おにいさんはどうもわたしのことをもう一人の妹として見ている節がある。ここでバシっと女子力見せ付けて、おにいさんをオトス!お化粧はまだ早いと思って練習しなかったけど、こんなこともあろうかと料理はちょっとずつ練習していたのだ!
料理の練習だなんて、たくさん運動していた頃のわたしじゃ考えられなかっただろうなぁ。
公園の芝生が広がるエリア。わたしたちはそこでシートを広げて食べることにした。
「すごい!僕の好きな料理ばかりじゃないか。もしかしてキイロに聞いておいてくれ
たのかい?」
「はい。キイロもおにいさんに喜んで欲しかったみたいで、喜んで教えてくれまた」
そう。もちろんメニューはキイロが考えてくれたものだ。
『私が親友のデートのための手伝いか…。そんな日が来るなんて夢にも思わなかったなぁ』メニューの話をしていたとき、キイロはそんなことをいっていた。だから、『キイロが元気になったら、絶対彼氏作ってね。そのときは必ずサポートするから』って返しておいた。そうなったら、一緒にお料理とか作れるかな。
「……というわけでおにいさん。口を開けて。はい、あーん」
わたしは、おにいさんが好きだというから揚げを箸で摑みおにいさんの口へと運ぶ。
「もう。僕は子どもじゃないんだから。はい、あーん」
そしたら、おにいさんはひょいと素早く他のから揚げを摑むと、間抜けにも「あーん」って言った拍子に開けっ放しにしていた口に放り込んできた。
「ほげひょごほげもご!?」
あ、ちゃんと美味しい。冷めても美味しいレシピを検索しといてよかった。……じゃなくて!
「なにするんですか!」
「いや、可愛かったからつい。食べてる姿も可愛かったよ。もう一個食べるかい」
むー。わたしが食べさせる側の筈だったのに、悔しい。おにいさんは再びから揚げを差し出すので、わたしは仕方なくたべにいった。
「ふふ。本当の小鳥みたいで可愛いね」
もう!おにいさんったら、からかわないでよ!
とか思いつつ、まんざらでもなかったり。
その後、公園のまだ行ってないところを探索したりしつつ、その中で見つけたクレープ屋さんの屋台に行ったりして。そこからさらに、わたしが学校で必要なものを買わなければいけないことを思い出して、駅近くのショッピングモールに付き合ってもらったりした。
そして今、日もほとんど落ちて、わたしたちは今朝待ち合わせたキイロの病院の近く、川沿いの人通りの少ない道にいる。
「今日はお疲れ。いつもキイロのお見舞いに来てくれてありがとうね」
キイロの病院に近い場所で別れることは昨日のうちから決めていた。そして『気ぃ使って、私に挨拶なんてせんでいいから、めいいいっぱい楽しんでこいや』とのことなので、わたしはこのまま駅に行って自宅に帰る。今日のこと、キイロに報告した方がいいかな。
「いえ、好きできているので。キイロと一緒にいるの楽しいですよ」
新しく始めてみた読書っていう趣味が今でも続いているのは、読んだ物語の感想をキイロと話すのがすごく楽しいからだ。
「そうか、それはよかった」
そう言って微笑んだおにいさんは、すっと私の手をとり、その揺れる結んだ髪を私に見せると、私の手の甲に温かい感触を得た。
「今日は楽しかったですよ。僕のお姫様」
と、おにいさんはこんなことをしておきながら、照れたみたいで急に踵を返して去っていた。
「待って」
ので、呼び止めてから。
「私も、楽しかったですよ!」
私も。と返すのだった。
今のことはキイロには話せないな……。でも、いつか私たちが大きくなった後とかに、あんなことがあったって話せたらな……。
おにいさんに連れられて、初めてキイロの病室に行ったとき。どんな平凡な日常の話をしても喜んでくれるのが嬉しくなって、調子に乗って私の話を聞いてもらった。
「私も少し前まではキイロみたいに明るい子だった……と思う。今まで本なんかあまり読んだこと無かったし……スポーツ少女だったんだ、私」
「へー。なんか意外だね」
「私には2コ上のお兄ちゃんがいてね。とってもサッカーが上手だったんだ。サッカーしてるお兄ちゃんはとってもカッコよくて、私の憧れで……。それで私もお兄ちゃんの背中を追って運動とかすごくやててさ。小学生の頃は男子顔負けのスポーツ少女だったんだよ」
私の言葉の端に何かを察した様子の文学少女キイロは何も口を挟まなかった。
「でも、私、サッカー辞めちゃった」
「……」
話を区切ってキイロの方を見たら、『話したいのなら最後まで聞いてやる』という目をしていた。
「憧れのお兄ちゃんがいなくなって。私、何のためにスポーツやってたのか分からな
くなって。外に出ることもだんだん減っていって。なんとなく家にあった本を読ん
でみたら、面白くってさ。だんだん本が好きになっちゃった。その頃から短かくし
てた髪もスポーツしないなら伸ばそうと思って、結構長くなってきたんだ」
「……」
「……お兄ちゃんはね。死んじゃったんだ。交通事故で、私が小6のとき」
去年、兄が死んでから私は変わった。変わらざるを得なかった。大好きなお兄ちゃんを思い出して泣きそうになるスポーツなんか、もうしたくなかった。
「あ、ごめんね。なんか私ばっかり喋っちゃって…」
「いや、いいってことよ。健康な奴はみんながみんな何不自由無く暮らしてるわけじ
ゃないって知れたしさ。ふふ。じゃあ交換だね。私のお兄ちゃんをあげるから、こ
とりのお兄ちゃんは私がもらうよ」
暗に自分がもうすぐ死ぬと諦めたものいいに私は怒ったけ。残された者の気持ちは痛いほど分かるから。キイロのお兄さんに、こんな思いをして欲しくなかったから。私の気持ちは届いたみたいだったけど、現実はそう甘くなかったみたい。
キイロの訃報が届いたのはお兄さんとデートをしてから数日経った後だった。つい昨日まであんなに楽しくメールしていたのに。
思えば、最近キイロと直接話す時間は減っていたような気がする。『お見舞いに来てくれるのは嬉しいけど、あんまり騒ぐと悪いしさ』とか『あ、電話うるさいって怒られちゃった。もう切るね』とか言って早々に切り上げられることが多くなっていって、だんだんとメールで話す頻度が増えていったような気もする。
確かお兄さんとのデートの作戦会議をしていた時が最近の中では一番長くあの部屋に居た気がする。
初めてキイロに会ったとき、彼女は自分の症状をお兄さんに隠そうとしていた。私はキイロの病室に行く度に、キイロは元気になっていっているって感覚があった。でもそれは、キイロの空元気で、私の前では明るく振舞っていただけだったのかもしれない。でも、お兄さんはそんな事一言も……。
兄妹ぐるみで隠してたってことか。でも、私に元気な姿を見せたかったってことだよね。ありがとう、キイロ。
お葬式での私は、悲しいって気持ちと、裏切られた怒りと、キイロの優しさに討たれて、どう感情を持てばいいか分からなかった。その場所でのお兄さんは、見るからに悲しげで、人を寄せ付けない悲壮感が漂っていた。私も急なことでどう接すればいいか分からなかったから、その日は何も話せずに終わってしまった。
お兄さんと私は『キイロのお見舞い』という名目で会っていた関係だ。だから、もしかしたら、私たちの関係はこれで終わりなのかもしれない。もちろん、私はそれで終わらせるつもりは無かったが、どう話しかければいいか分からない間に、ずるずると一週間も経ってしまった。
キイロが亡くなってから一週間後、お兄さんから連絡があった。『気持ちの整理がついたから、話がしたい』と。
『私もたくさん話したいことがあります』
今度の土曜日、お兄さんと初めて会った図書館で落ち合うことに決めて。
図書館の入り口付近、他のお客さんの邪魔にならないような位置にお兄さんは立っていた。遠くから駆け寄る私のことを見つけるとにこやかに手を振ってくれた。気持ちの整理がついたっていうのは本当みたい。
「すいません。待たせてしまったようで」
「いや、今来たばかりだよ」
そんないつもの挨拶を交わしつつ、本題へ。
「図書館で話すのは迷惑だろうから、どこか喫茶店で話そうか」
「いえ。喫茶店にも人はいますし……。私に考えがあります!」
「ゆっくりしていってよ」
玄関に通されて最初に思ったのは、予想していたよりも綺麗な部屋だな、というものだった。いつも礼儀正しいお兄さんでも、いちようキイロの兄。もしかしたら、汚部屋とは言わないまでも少々散らかってる位の可能性も考えていたけど、杞憂に終わった。突然押しかける形になったから、ちょっと待たされるくらいのことはあると思っていたけど、そんなこともなかった。
「どうかしたの?」
「部屋が綺麗だなーって思って」
お兄さんは納得したように苦笑して
「ちょっと前まではそこそこ散らかってたんだけどね。……キイロが死んだことに向き合わないとって考えてたら、体が勝手に部屋の掃除をしだしてね」
「……」
キイロの話題が出て私たちは沈黙してしまった。見かねたお兄さんは口を開いた。
「キイロのこと、黙っててごめん。僕達とデートしろって言ってたのも、さいごに、安心したかったからって……。そのころにはもう症状の方もだいぶ…」
「もういいです」
死んだ人のことの話なんてもう聞きたくない。
「お兄さんは私のことどう思ってるんですか」
今生きてる私のことを話してほしい。
でもまずは、私のことから。
「私はお兄さんのこと。本当のお兄ちゃんみたいに思えて……。私のお兄ちゃんは去
年、交通事故で死んでしまって。それで、私すごく寂しくて。この心の隙間を小説
で描かれるような恋愛で埋められたらな。って思ってて。それで、あの日お兄さん
に出会って。イケメンのお兄さんに話しかけられるだなんて運命だな、なんて思っ
て。それで、それで……。お兄ちゃんと過ごしていたときのこと思い出して、あっ
たかいなって、思って」
お兄さんの目を真っ直ぐ見て、言う。
「私、相馬さんのこと好きです。これからもずっと一緒にいたいです」
いいいいい、言っちゃった。私言っちゃったよ!?きゃー。
なんて、少女漫画の主人公のように内心うろたえつつも、表には出さず、お兄さんの返事を待つ。
「初めて君に会った日のことを覚えているかな。手が触れたあのとき、僕は君の姿が
キイロに重なって、キイロが元気に過ごせていたら、君みたいに過ごせていたのか
なと思ってね。キイロのことももちろん大事だけど、ことりちゃんのことも……」
お兄さん……。
「僕、君の事、だんだん本当の妹のように思えてきて。それと同時に大切にしなきゃ
と思って、守らないとって、僕はもしかしたら、君をキイロの代わりとしてみてい
るのかもしれなくて」
「お兄さん」
そっか、じゃあお兄さんも私と同じなんだ。兄妹が死んで、お互いをお互いの代わりとして埋めようとしているだけなんだ。
「じゃあ私たち兄妹も同然ですよね」
「……」
「でもお兄ちゃんと私は血の繋がっていない兄妹」
こくりと頷くお兄さん。
「だから、こういうことしてもいいよね」
お兄さんに唇に私の唇を触れさせる。
「キ……ことり、ちゃん」
「今キイロって言おうとしたでしょ?でも嬉しい。私のこと妹として見てくれるんだ。お兄ちゃん」
まだまだ唇を重ね合わせ足りなくて、私は再びお兄さんに触れに行く。そしたら今度はお兄さんの方からもアプローチしてくれた。
あ。キスに2種類あるってこういうことなんだ。
「……」
「……」
心臓がドキドキ鳴る。
「ことり。僕も君のことが好きだよ」
私たちはお互いの全てを確認しあうと、ひとつになっていく様に溶け合った。お兄さんを受け入れるのは、始めは少し怖かったけど、だんだんそれは自然のことのように思えた。少女漫画や恋愛小説などの物語で仄めかされることを私は一気にこの身に受けたんだ。
それから、私とお兄さんは恋人同士として兄妹のように仲良く過ごした。
キイロが繋げてくれたこの幸せがずっと続きますように。
お兄ちゃん、キイロ。天国で見守っててくれますか。ここからも二人が幸せであれるように祈ってるよ。
福寿草を摘んで @Uraniwa_Rion
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