2.
ぶくぶくぶく。
丸いフラスコのなかで泡が踊る。
バンバルバッケは加工済みの蜜ランプで温められているフラスコから目を離さずに、用件を切り出した。
「イフリージャまで行ってもらいたい」
イフリージャとは機工都市連合とは南の国境で接する砂漠の国だ。
「そこで古代遺跡が発見されたので、そこにある書状とともに一刻も早く、鉄道建設現場へ向かうのだ」
「鉄道建設現場?」エスレイが不思議そうな顔をする。
「蒸気機関をつかった機関車のことは存じているだろう? 鉄道は機工都市連合の主要都市をつないでいるが、外国の都市とつながったことはなかった。だが、今、鉄道はこのガーディッチとイフリージャの首都カラキラートを結ぼうとしている。イフリージャは商政国家だ。鉄道が開通すれば、イフリージャの過酷な砂漠をオアシス頼りに渡らずに済む。両国の経済と技術の発展に必ずや貢献するだろう。そして、鉄道はもうカラキラートから一ラグナ(約五・六キロメートル)のところまで敷設されているのだが、そこで問題が起きた。古王国時代の遺跡が見つかったのだ。それ自体は好ましいことだ。調査をすれば、非常に貴重な技術や錬成材料を発見できる。問題は鉄道にある。鉄道公エヴァーソン・リード。名前くらいはきいたことがあるだろう? 鉄道敷設を一手に担う産業界の大物だ。まあ、優秀な人物であるのは間違いないだろうが、この男、鉄道敷設以外には何の興味もない。新発見の宝庫たる古王国時代の遺跡も、このエヴァーソン・リードにかかれば、鉄道敷設を邪魔する埋めるべき穴くらいにしか見えぬ。このまま、せっかく発見した貴重な遺跡がむざむざ失われるのは我々碩学の本位ではない。そこで機工都市連合の碩学二百名から代表を選んで、鉄道公のもとに派遣し、遺跡の保全、それが不可能なら調査する時間の猶予を取り付けることになった。そして、その代表に我輩が選ばれた。当然だ。集まった碩学で最も優秀なものはこの我輩なのだから」
「わかんねえ」と、コルネリス。「それなら、じいさん、なんであんたが行かねえんだ?」
「見て分かる通り、我輩は霊薬蒸留で手が離せぬ。それに暑いのは苦手だし、そもそも我輩は使い走りではない。そこできみたち三人を我輩の名代として、現地に送ることにした。機工都市連合の指折りの碩学二百名が選んだ碩学のなかの碩学である、この我輩の代理として派遣されることほど名誉なことは存在しない。きみたちもさぞ喜びに体はふるえることだろう」
「まあ、こっちはカネさえもらえれば、文句はねえさ」
「――って言ってたら、このザマだよ!」
コルネリス怒りの絶叫がほとばしる。
三人は涼しいオアシスに未練を残しつつ砂漠へ出発、実りある会話をしながら、旅の道を取っていた。
「あち、あち、あちち。あちちちちち」
「太陽が二つあるみたいです」
「おれには四つに見えます」
「よし、お前ら。オアシスだ。心に思い描け」
「なんですか、それ?」
「心にオアシスがあれば、暑さなどいかようにもしのげる……たぶん」
「また、いい加減なことを」
「まあまあ、シンザさん。試しにやってみましょうよ」
「じゃあ、始めるぞ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「駄目です。おれには暴力吟遊詩人の兄弟が暴れている姿しか想像できません」
「なんだよ、暴力吟遊詩人って?」
「おれにもよく分からないんですが、先日、ガーディッチの居酒屋街で見かけたんです。悪魔のような凄味のある声で、悪魔が書いたらしい歌詞を謳うのですが、歌で神、国王、馬、剣、金持ち、穀倉地帯、
「シンザ、お前、ガーディッチでも蜃気楼見てんのか?」
「違いますよ。あれは実際にあったことです」
「その暴力吟遊詩人さんたちとオアシスがどう関係あるんですか?」
「おれにはさっぱり分かりません。ん? 太鼓の音がきこえる」
「
丘を越えて見つけたそれは地平線の一方から一方まで続いている長大な行列だった。
コルネリスの言葉を借りれば、カネに足が生えて歩いているということになる。
それほど豪華な行列だったのだ。
ゆったりとした長衣に天鵞絨の帯を締めた長身の召使いたちがルビーと黄金の旗や精緻に作られた武装商船の模型を掲げている。ラクダに乗った楽士が太鼓をたたき、行列全体の歩調を取る。屈強な男たちが宝石をちりばめた櫃を担い、したたる汗が砂漠に小さな黒い点をつくる。
天蓋を差し掛けられた八人掛きの輿の上で小太りの老人がほっと息をついていた。金糸銀糸に宝石まで縫い込んだ衣装からさぞかし身分のある人物に違いないと思っていたら、「マリドバール太守さまの
「はあ、カネってのはあるところにはあるんだな」
コルネリスはどこまでも続く行列を見て、ため息をついた。
マリドバール、というのはイフリージャ国の南にある港湾都市のことだ。首都カラキラートに次ぐ商業の都でもあり、カラヒル湖につながるマリ=イド川の河口にある。大陸南岸沿いの貿易の中心港であり、その繁栄ぶりはこの行列を見れば分かる。そのマリドバールを越えるといわれるカラキラートとなると、どのくらい繁栄しているのか、見当もつかない。
「わたし、マリドバールの太守さんに会ってみたいです」
「はあ? なに、言ってんだ、トンマ。おれらが会えるわけねーだろ」
「おれもコルネリスに賛成です。萎縮するわけではないですが、徒労に終わる可能性が高いです」
だが、どうしても会ってみたかった。
ヴィルブレフは騎士文化が強く、槍試合や騎士文学など尚武な文化が盛んな反面、商業を所詮金儲けと軽く見ているところがある。他ならぬエスレイですら、国防が第一で商業をどのように戦略に利用するかを考えていたのだ。
マリドバール太守と会えたら、そんな自分の目を覚ましてくれる素晴らしい知識に触れられる。
そう思うと、どうしても会いたい。
かといっても、太守さんはどこにいますかと召使いやラクダ騎兵にたずねるわけにもいかない。
どうしたものかと考えていると、
「マリドバール太守さまの御なりぃ!」
と、いう高い声が響いてきた。
見ると、弓を携えた召使いとラクダの楽士が左右に百人ずつ付いた天蓋車がやってくるところだった。
その天蓋車はこれまで見たものよりも二回り大きく、純金製で葡萄酒色の天鵞絨が分厚く垂れこめていて、その巨大な乗り物は裸の肩に金の鎖をかけた一人の怪力男によって引っぱられていた。
馬鹿、やめろ、生皮剥がれるぞ、と制止するコルネリスをふりきって、
「あ、あの! すいません!」
と、豪壮大行列の主の車の前へ走り込み、その行列を止めるという大胆な行動に出た。
「止まれえ!」
怪力男が号令をすると、行列はピタリと止まった。移動に伴う足音や車輪の音も同時にぴたりと止み、砂漠の静寂があっという間に世界を飲み込んだ。
だが、エスレイは気圧されることなく天蓋車のなかにいる太守に呼びかけた。
「商業を尊び、国の栄えの礎にせんとするその治世について、お話をお聞きしたく推参しました! 無礼は承知の上です。どうか、この願いききとどけられたし!」
「うむ! 何も無礼なものか!」
と、きこえたのは天蓋車ではなく、エスレイの後ろ――怪力男の喉からほとばしった。
振り向くと、天蓋車を曳いていた怪力男が腕組みをして、ガハハと笑う。
「マリドバール太守バラキフ。喜んで、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます