火の国の商人

1.

 商政イフリージャ国の首都カラキラートへ行くときは北の陸路よりも南の水路でいくことを勧める。

 焼けつく砂漠で滝のように汗を流し、ひとすくいの水のためなら人殺しも辞さないくらいに喉が渇き、挙句、ようやくカラキラートが見えたと狂喜乱舞したら、それは熱が見せた蜃気楼、蜃気楼に十回くらいだまされ、怒髪天を突き太陽を串刺し、といったところでやっと見えたカラキラートはあまりいいものに見えないだろう。

 それよりも、イフリージャの東の美しい南洋で海鳥を友に帆船で下り、砂漠に緑をもたらす慈悲深きマリ=イド川を上り、静かなオアシスのごとき風情のカラヒル湖で一夜を明かしてからみるカラキラートは途方もなく美しい。

 都市を囲む紫の砂漠が日の出とともに波打つ黄金の絨毯のごとく輝き、塩の塊から切り出したような白い建物が次々と薄闇のなかから現れるのもよいだろう。湖に錨を投げたジーベック船のまわりを泳ぐ川鱸かわすずきの群れが黄金の取り分を狙っていっせいに水から飛び上がるのもよい。煙り出しから上がる朝のコーヒーを煮る細々とした煙。朝の祈祷を知らせる塔守の、汽笛のようによく通る声。狭い街路を水のように満たしていく朝の風。砂漠の民の国。商業を貴ぶ国。炎の神を崇める国。他の国にはない風情がもたらすエキゾチックさは冒険の期待をいやが上にも高めるだろう。

 ここまできけば、カラキラートへは是非とも南の水路から行きたくなる。

 そして、エスレイ、コルネリス、シンザの三人は当然のごとく北の陸路で行かされた。

 砂、砂、砂のまた丘の上に砂がある道を太陽の日干し殺しを食らいつつ、三人はとても実りのある会話をしながら、旅の道を取った。

「あ、熱い……。し、死んじゃいそうです……」

「あ、街が、街が見えました」

「どうせ、また蜃気楼に決まってらぁ」

「どうしてわたしたちこんなところを歩いてるんですかね?」

「それはだな、トンマ。バンバルバッケのジジイが船代をケチったからだ」

「どうして博士は船代をケチったのでしょうか?」

「宗教だ」

「宗教?」

「旅行費を一千回ケチったら天国に行けるって信じてる」

「またぁ」

「それに博士は自分は真理にのみを信仰し、それに従うと日ごろから言っているではありませんか」

「その真理が、一千回ケチったら天国行きってことなんだよ」

「今、何回目くらいなんでしょうか?」

「二千五百七十回目だ」

「一千回超えてるじゃないですか」

「街が見えてきました」

「シンザぁ! しっかりしろ、ありゃ蜃気楼だ」

「ああ、街が、街が消えていきます」

「シンザ、恨むならバンバルバッケを恨めよ」

「で、コルネリスさん。今は何回目なんですか?」

「五百二十二回目だ」

「あれ、減ってる。さっきは二千五百七十回って言ってたのに」

「それじゃ一千回超えてるじゃねえか、このトンマ」

「ぶー、納得いかないです」

「世の中の、特に数字はな、トンマの都合なんてきいちゃくれねえんだよ。納得いこうがいくまいが、今は五千八百四回目だ」

「ほら、また一千回を超えた」

「ああ、街が……」

「当たり前だろ、トンマ。五千八百四回ってのは一千回からさらに四千八百四回数えたときの数だ。これでちったあ納得したか?」

「余計分からなくなりましたよ。一千回旅費を吝嗇に支給したのにどうして、まだ吝嗇を続けるのか、さっぱりです」

「そりゃそうだ。だって、天国に行くにはあと四千百九十六回、旅費をケチらないといけない」

「は?」

「だから、あのジジイは一万回ケチったら天国に行けると思ってるんだよ」

「……コルネリスさん。このまま冒険家を続けてくださいね。間違っても商人とか銀行家になったら駄目ですよ。どうしても数字と関わらなきゃいけなくなったら、きちんとした人に契約書を作ってもらうんですよ」

「ああ、盗賊ギルドにバンバルバッケをらせるときの参考にする」

「水臭いですね、コルネリス。暗殺したい人がいるなら、おれを頼ってくださいよ」

「……おい、トンマ。シンザが末期だ」

「……そのようですね」

「シンザ、死ぬな。おれから借りた二十コロナを返すまで死ぬんじゃない」

「コルネリスさんがお金の話をすると全く信じられない不思議」

「あ、オアシス……」

「どうせ、また蜃気楼だ」

「いえ、あれは、本物――本物ですよ!」

 十分後、三人は思う存分、水の冷たさを堪能した。

 エスレイは淑女のたしなみといって、水は飲むのと布を濡らして首筋をぬぐうので我慢しようとしたが、男二人が気持ちよさそうに水のなかをくるくる泳いでいるのを見ているうちに我慢できなくなり、自分も水浴びをすることにした。

 椰子が生えて、落ち着いた影になったところで肌着だけになったが、その前にコルネリスとシンザに覗いたら殺す、とまでは言わなくても、卑劣な覗き屋が石と化したり、化け物に食われたり、牢獄につながれて切ない影になるまで閉じ込められた例をロツェ神話やヴィルブレフの民謡などから引用しておくことは忘れなかった。

 こうして淑女としての面目というか恥じらいというか、そういったものの帳尻を自分は騎士なのだからという謎の理由でごまかして、水に飛び込んだ。

 道連れになった熱い空気が水晶玉のようなあぶくとなって、エスレイの目の前で螺旋を描きながら踊った。

 その泡の不規則な動きが丸い蒸留フラスコに閉じ込められるころ、エスレイは過去の出来事のなかにいた。

 それはちょうど十日前、ガーディッチはバンバルバッケ博士の実験室でのことだった……。

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