21.
「――というわけで、〈虹の王〉の羽根は持ち帰ることができませんでした」
機工都市ガーディッチ。バンバルバッケの実験室。バンバルバッケはエスレイ、シンザ、そして無事解放されたコルネリスに背を向けて、何か書き込みをしながら報告をきいていた。全ての報告が終っても、しばらく書き込みを続け、エスレイはひょっとすると博士は耳が遠いのかもしれないと思って、大声でもう一度報告をしようと大きく息を吸い込もうとした。突然、バンバルバッケは鵞鳥の羽根のペンを置くと、回転椅子をくるりとまわして、三人に、というより、エスレイと向かい合った。
「それはそうだ。羽を抜いたら、ウィツルアクリは死んでしまう」
「ご存じだったんですか?」
「我輩はフランチェスコ・バンバルバッケ。稀代の錬金術師にして、並ぶものなき碩学だ」
「何だよ、知ってたのか?」コルネリスが不平顔。「なら、初めから教えとけよ」
「試験だ。ウィツルアクリの羽根を平気で抜くような無粋な輩を雇うわけにはいかんからな。命令がされたとしても従っていい命令と悪い命令がある」
「かないませんね」シンザはアハハと笑いながら、人差し指で頬を掻く。
「我輩くらいの錬金術師ともなれば〈虹の王〉の羽根に頼らずとも、〈アリウス水〉の生成は可能だ。魚の星イクシオスと盗人の星トロウルスと氷極星が正三角形を天球に描き出す、流体の上昇に最適の刻限にて、六つの蒸留装置にそれぞれブランデーに溶かした孔雀の羽根の灰を――」
「あー、パス。おれ、その手の話は苦手。それより報酬」
「報酬とな? コルネリスくん、きけば、きみはずっと檻に閉じ込められただけだそうではないか?」
「おれが閉じ込められなかったら、この二人は大活躍できなかったんだぜ。チェッ、おれだけオアズケなんだもんなあ」
「報酬なら、隣の部屋にある。好きに持っていくといい」
「そんじゃ、お言葉に甘えて」
部屋を後にしようとしたとき、バンバルバッケがエスレイを呼び止めた。
「きみだけ、ここに残ってくれ」
「え?」
「きっと二人きりになったところで、エロいことするんだぜ」
「コルネリスくん。人間が他人を測るとき、自身を基準とすることは観察者の陥りやすい落とし穴だ。だからといって、世の中の人間がみな、きみと同じくらい下劣とは限らないものだ」
「んだと、このジジイ! ケツの穴にてめえのガラスフラスコ突っ込んでやろうか、ああ?」
そうはならなかった。隣の部屋から、すごい、報酬がいつもの倍はあります!というシンザの声がきこえたからだ。コルネリスは現金至上主義者らしく尻に帆をかけ、足に蒸気機関を履いて、隣の部屋へすっ飛んでいった。
「さて――では、エスレイ。そこのドアを閉めてくれたまえ」
「は、はい」
バンバルバッケはじっとエスレイがドアを閉める様子をじっと見ていた。
「閉めました。博士」
「あなたにドアの開け閉めなどさせては、きっと我輩は不敬罪で斬首といったところですかな。エスレイ・ヴィルブレフ殿下?」
「――っ!」
思わず息を飲む。
バンバルバッケは深く椅子に腰かけた。背もたれが軋む。
「四年前、シュヴァリアガルドで蒸気機関を使った取水塔をつくるというので意見を求められた。それでヴィルブレフ大使館へ行ったとき、あなたの絵があった。あれが九歳のころ描かれた絵だというから、それに五年の歳月と思春期の少女に訪れる特異的な成長、それに騎士としての鍛錬と知的好奇心の赴くままの奔放な知性、そして、全てを失って間もない絶望を足すと、我輩の脳裏にはまさにその顔――に非常にそっくりな顔が出来上がる。だが、完全に同じ顔ではない」
「……どうするつもりですか?」
「ふむ。ヴィルブレフはあなたを引き渡したものに相当の賞金を払うでしょうな。ですが、金銭が欲しかったら、鉛を金に変えるまで。そんなつまらないことのために知識を求めているのではない。それに政治に興味はない。よき冒険家として我輩の研究に協力してくれるなら、あれこれ言うつもりはない。行ってよろしい」
足の力が抜けて、ふらつきそうだ。安堵もあるが、バンバルバッケがどうやって九歳のころの肖像画から十四歳の自分を描き出したのか、述べているときの目――氷でつくったカミソリのようなひやりとくる明晰さにあてられたせいでもある。
それでも何とか、椅子から立ち上がり、ドアノブに手をかけると、
「ああ、それと」
と、呼びかけられた。
「我輩はきみの九歳の肖像画から十四歳のきみの顔をほぼ描き出した。ほぼ、という言葉を使ったのは考慮に入れるべきだった要素――復活の兆しを忘れたからだ。我輩の脳裏に浮かんだ顔はもっと暗く、希望の光も見出せない目の少女だった。では、行ってよろしい」
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