19.

 大切なマントを使います。ごめんなさい。

 エスレイの策はそんな置手紙から始まった。

 マント工房の塔から共鳴箱を結びつけたマントをばらまくと、マントは次々と都の上を渦巻く蒼ざめた風にさらわれ、ブワーン!という威圧的な音をまき散らした。

 エスレイからすれば、これは奇策でもなんでもない、むしろ王道と言える。自軍の兵が敵よりも著しく少ないときの対処法は三つ。最上策は逃げる。それが叶わないときは堅牢な防御陣地に籠り、援軍を待つ。それもできないなら、手持ちの戦術資源で、こちらのほうが数が多いと思わせる。

 それも奇襲効果のあるやつだ。

 自分の引き起こした混乱を見下ろしつつ、エスレイはしっかりベルトで腕を盾に固定した。どこへ行けばいいかは分かっていた。鳥になり、この都の空を蒼ざめた風の渦巻きに乗って眺めたような不思議な記憶が残っていた。どうやってここに辿り着いたかがぼんやりとしているのに、見下ろした都のことは細密な鳥観図を眺めているように思い出すことができた――緑樹をかぶった家並み、同心円状にひろがる街路、四角く切り取った石の泉亭、そして、中央の神殿。まるで空の風を写し取ったような渦巻く水、そして、その祭壇で残忍な相の男に喉をつかまれ、今にも突き落とされそうなウルバ。

 エスレイは街路に降りた。剣を抜き、目を閉じて、深く息を吸って止める。

 あのあいまいな時間のなか、あの飛び台の円盤から、この都まで連れてこられたのが、ウィツルアクリの思し召しなら、相応の加護が期待できる。そして、

「わたし次第で状況はいくらでも変えられる」

 シンザの言葉が少女を勇気づけた。

 左ひじを突き出すようにして盾を構えると、エスレイは息を鋭く吹きながら地を蹴った。

 空を見上げて慌てふためく男たちを薙ぎ倒す勢いで盾を前へ前へと押し出していく。

 大兵が大斧を高く掲げると、腕が痺れるほどの一撃を盾で受け、繰り出した剣が相手の足の甲を貫いた。

 首から下げた袋のなかで笛が――ウィツルアクリが歌った。

 黒ずんだ空に稲妻が走り、大きな鳥の影が見える。

 男たちが悲鳴を上げ、転び、転がり、転がり込む。

「わああっ」

 叫びとともに、二人目の男が剣をふるうのを盾でいなし、足をかけてから剣の腹で打ち倒す。

 目指す神殿の石段が見えた。黒い甲冑に真鍮の鋲を打った士官、黒い髭に帽子、マント、レイピアの剣士風、そして、三人目は小柄で猫背の陰気な男。

「囲め、囲め!」

 指図を飛ばしながら突いてきた士官の剣を剣で受け流すと、不用意に間合いを踏んだ敵の顎をふるった盾で砕く。

 黒髭のレイピア剣士が鞭のようにしならせた右払いを繰り出すと、盾が耳障りな音を立てて、火花と金属のやすり屑をまき散らした。

 そして、左の払い。盾が削れるが、敵の切れ味は衰える気配はない。

 待ちの剣では負ける。エスレイは次の一撃を盾を斜めにして、受け流し、外れれば反撃覚悟の踏み込んだ斬撃を相手の横鬢に叩き込んだ。男はレイピアを落とし、絶叫して息絶えた。

 そのとき|手撃ち砲(ハンドガン)の砲火が目に差し、咄嗟に盾をふって身構えた。ガン!と重い金属音がなった。盾の縁から覗いてみると、三人目の猫背の小男がまだ煙の出るハンドガンを手にうつ伏せに倒れていた。その顔には盾から跳ね返っていびつな形に変形した弾丸でズタズタに切り裂かれていた。

 もう、エスレイの前に立とうとするものはいなかった。骸を一瞥すると、エスレイは石段を上った。

 門を抜け、回廊を抜け、テスケノの世界の中心であり神の国に通ずると言われる池までやってくる。

 池に向かって突き出した石の台にあの幻視で見た残忍な男がいた。その左手はウルバの喉をつかみ、ウルバはつま先だけを足場にかけている。男が手を離せば、ウルバは落ちる。

「心臓を持っているな?」男がたずねる。「じゃあ、せいぜい大事にしておけ。剣と盾を捨てろ」

「だめだ!」ウルバが叫んだ。「心臓を渡してはならぬ! はやく皆を――うぐ!」

「はやくしろ。水に落ちるより先に窒息死するぞ」

「わかった」エスレイは剣を置き、盾のベルトを解いた。「武器は捨てる。そのかわり、ウルバを解放しろ」

「心臓と交換だ。見せろ」

 エスレイはあの心臓の形をした笛を袋から取り出した。

「そいつをこっちに持ってこい。妙な真似をすれば、ガキの命はないぞ」

「わかっている」

 エスレイは手にした心臓をまっすぐ男に向けながら、一歩、また一歩と近づいていく。

 ついに心臓が男の指先に触れ、心臓がその手に落ちる。

 男の相が邪に歪んだ。

「約束だ。放してやる」

 ウルバが水へと突き落とされる。

 エスレイはためらうことなく後を追って、飛び込んだ。

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