18.

「うーむ。ここはどこだ?」

 気がつくと、シンザは石と宿り木でできた街に立っていた。

 見上げた空に雲一つなく、蒼ざめた風が渦巻いている。自分の立っているこの土地よりも高い位置に〈蒼風の回廊〉を構成する岩の柱がないところから察するに、ここは最上の柱の上、雲の上の都、コアトルなのだろう。

 どうやってこの都に来たのだろう? シンザには覚えがない。

 記憶の糸をたどってみると、エスレイを励ましたところまでは覚えている。だが、そこから先はあいまいだ。そういえば、円盤の文字が光り出した気もする。それに心臓の笛が鳴りだして……そうだ、巨大な鳥の影が……。

 だみ声。金属のかち合う音。人の気配を感じ、建物のあいだに茂る何かの畑らしいところへ身を隠すと、〈天使のギルド〉の団員らしいならず者たちが雛壇になっている通りを駆け下りてきた。団員の揃い着らしい、黒のマント、黒のツバ広帽子、黒の上衣、黒のバフコート、黒のズボン、黒のブーツ。バフコートの胸とマントにはギルドの証である赤い双子十字が縫いつけてある。

 どいつもこいつも悪そうな面構えをしている。丸坊主のやつ、顔に疵があるやつ、山羊髭のやつ、首に入れ墨をしているやつ、ガレー船帰りのやつ、世の中への憎悪ではちきれんばかりのやつ。

 テスケノたちの神話を信じるなら、このならず者軍団もまたウィツルアクリが神の国から持ち出したということになる。こんな輩、世俗の世界では使い道はないのだから、ウィツルアクリには鉤爪にかけるなりくちばしでつまむなりして、是非とも神の国にお持ち帰りいただきたいものだ。

(しかし――妙だな)

 ギルド団員たちはみなポカンと口を開けて、空を見上げていた。そして、都の空に蓋をする風の回廊を何か探しているようにあちこち目玉を動かしていた。

 何を探しているのか知らないが、注意散漫なのは乱術士にとってありがたい。

 畑からそうっと街路の細い裏道へと身を移し、薄暗い道を注意深く走る。空にあれだけの風が吹いているにもかかわらず、都そのものには風がない。隠密行動中に発せられるであろうささやかな物音を街中で垂れる葉のざわめきで消す当ては外れたわけだ。

 緑樹を背負った民家はどれも空っぽで、ひっくり返った鍋や踏みにじられた飾り布、剣でギザギザに刻まれたウィツルアクリの壁画が示すところは強制収容だ。

〈天使のギルド〉が筋金入りの悪党ぞろいであるのを感謝。中途半端な悪党ならテスケノたちを皆殺しにしただろう。〈天使のギルド〉の悪党たちは違う。生きたまま奴隷として売り払う。

 戦略は決まった。囚われのテスケノたちを解放して、数による不利を克服する。問題はテスケノたちがどこに閉じ込められているかだが。

(もう少し調べてみるか)

 数分後、シンザは敵の物資保管庫を見つけた。窓をキャンバス地で目張りしたその建物にはパンや燻製肉の他に黒色火薬の樽までが保管されていた。敵陣深く忍び込み、敵の物資を焼き払って、動揺を引き起こさせるなど乱術士冥利に尽きる仕事だが、コーンミールの袋を見つけると、コーンブレットを思い出し、そして、積みあがった穀物袋の上であぐらをかいてみると、思考はそのままエスレイに語った言葉へとつながっていった。

 あれは我ながらちょっとくさい台詞だった。

『たまには願望に逃げてみたらどうです?』

『それが積み上げた事実と異なるからどうだと言うんです?』

『そんなものは状況次第でいくらでも変えられます』

 ああ。まったく。

 体が恥ずかしさで、かあっとなる。コルネリスがあの場にいなくて助かった。

 もし、コルネリスにきかれたら、向こう一か月、鏡に爪を立てたような裏声で真似されるのが目に見えていた。

 だが、言わずにはいられなかった。

 義憤にふるえ、己が不甲斐無さに唇を噛むエスレイの姿に何かを見たのだ。

 コルネリスやバンバルバッケにはない何かを。

 シンザたち乱術士はその技ゆえに支配者たちに重宝される。そして、その技ゆえに蛇蝎のごとく嫌われる。

 金で雇われ、暗殺や撹乱などの汚れ仕事を遂行するその姿に人々は乱術士に金のためなら何でもする卑怯者のレッテルを貼る。

 だが、乱術士が金で動くのは故郷のギ国が貧しく、乱術の腕くらいしか売るものがないからだ。

 暗殺や撹乱などの『卑怯な技』に長けるのは他の武人氏族と比べて乱術士氏族は数が少なく、正面切ってぶつかれば多勢に無勢なのが目に見えているからだ。

 だが、賭けてもいい。乱術士たちはみな仕えるに値する主君を持つことを渇望している。

 シンザだって、それは同じだ。厳しい修行で自分の体に叩き込んだ術の数々を思う存分活かせる主。報酬でなく純粋な尊敬で結ばれた主。そんな望みは妄想に取りつかれた砂金採りが金の鉱脈を夢見るようなものだ。

 だが、あのとき、ウルバが空の高みへと消えていくエスレイの表情に、シンザは仕えるべき主の姿を見たような気がしたのだ。

 もっとも、こうして時間を置いて考えると、いや、それはないな、という気もしてくる。エスレイはまだ十四歳の少女に過ぎない。高潔で剣も使えるが、それでも幼すぎる……。

 シンザはかぶりをふった。

「任務に集中しろ。シンザ・バクル。まずはこの劣勢を覆す」

 とは言うものの、せっかく見つけた敵の物資も焼き払う絶好のタイミングというものがある。

「もう一騒ぎ欲しいところだが――ん?」

 外が騒々しい。何かが甲高く唸るような音がきこえる。それが一つ、二つ、と数える暇もなく、次々と湧き出し、重なり合い、空間が騒音で満たされる。

「これは――共鳴箱?」

 天井の明り取りの窓へ近づき、目張りされた布を切り裂く。

 空に数十の影が共鳴箱の叫びを引きながら飛び交い、陸ではギルド団員たちが混乱の巷に放り込まれた人間がどんな行動を取るかという模範例を示していた。上下逆さに持った兜をかぶろうとして頭をガンガン何度も打つもの、クロスボウのボルトを逆に装填して耳障りな音をたてるもの、手撃ち砲ハンドガンの弾丸が筒のどちらから飛び出すのか忘れて自分の顔を吹き飛ばしたうっかりもの。

 そして、誰もがこう叫んでいた。

「鳥人間どもが逃げたぞ!」

 いや、違う。あれはテスケノではない。

 あれは策だ。

 シンザは窓から飛び退くと、手慣れた動作で倉庫の物資に焼夷薬を詰めた小壜をねじ込み、火打石を切った。穀物袋や燻製肉の樽が燃え上がり、香ばしい匂いに硝煙が混じるころには倉庫のなかの物資全てが炎に包まれた。脹らみながら上る黒煙が輪を描いて空を飛ぶ影へ合流し、都はあっという間に夜のような闇のなかに――乱術士が動きやすい環境のなかに沈み込んだ。

 この適切な破壊工作により、敵方がさらなる混乱と恐慌に陥り、戦力が大きく削られたのは言うまでもない。

 名刀が名人の手によって使われるときに感じるであろう歓喜がこれか。自分が最大限の効果を持って使いこなされている喜びに、シンザはこらえきれず叫んだ。

「父上。母上。氏族の皆よ。おれは仕えるべき主を見つけました!」

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