15.

「どうですか?」

「すごくおいしいです。野宿の夕餉でこんなにおいしいものが食べられるとは思いませんでした。おかわりもらっても?」

「もちろんです」

 そのおいしい夕餉――コーンブレッドはこんがりと焼けて、フライパンでほかほかと湯気を立てていた。

 エスレイは嬉しそうにおかわりを切って、シンザの皿に載せた。戦場において兵士の給養と士気を向上させるために、簡単で美味しい野戦調理法を考えていたのだが、自分の作った料理をこんなふうに喜んでもらえるというのは想像したよりもずっと嬉しい。

「高級な食材でおいしい料理ができるのは当たり前ですが、旅行用の携帯食でここまでおいしいものができるとは」

「ありがとうです。麦が生えない場所にはトウモロコシが生えてるものです。コーンブレットの作り方さえ分かっていれば、どこでもおいしいパンケーキが食べられます」

「また、おかわりもらってもいいですか?」

「だめですよ。残りはウルバちゃんの分です。ね?」

 ちゃんづけで呼ばれながらもウルバは振り向いた。振り向いたということはその前に背を向けていたということなのだが、それはウルバがテスケノの携帯食である干し豆を食べて、水を飲み、どうせグェレカのつくるメシなどまずいに決まっている、と高をくくっていたら、おいしそうな黄色いケーキが現れ、香ばしい匂いに喉が鳴り、かといって、グェレカに食べ物をせびるなど、誇り高きテスケノとしては断じて許せない、許せないが、とてもおいしそうだ……それでコーンブレッドの一切を五感から追い出すべく、ウルバは背を向けたのだった。

(ただ、あのグェレカが、どうしてもというなら、食べてやらんこともないぞ)

 と、思っていたところに、あのフライパンに自分の分もあるという言葉。

 満腹とプライドの両方を満たすチャンスがやってくると、ウルバはエスレイを名誉テスケノにしてやってもいいとさえ思い始めた。

 本来ならグェレカのつくった食べ物を口にすることなどないが、無下に断るのも、大人げない。ここはひとつ食べてやることにしよう――振り返りながら、すでに尊大な台詞が喉から出かかっていた。

「待ってください、エスレイ。ウルバはコーンブレッドを食べないと思います」

 は? という顔のエスレイ。そして、ウルバ。

「ウルバは誇り高きテスケノ。おれたちグェレカの食べ物を食べるとは思えません。先ほども小さな豆だけで食事を終わらせたところからすると、空を飛行するために少ない食事でも体を維持できるように適応しているのかもしれません」

 なに言ってくれてんだ、このぴっちり黒ずくめ野郎おおぉ! と叫ぶのを必死で押さえる。

「そうなんですか、ウルバちゃん?」

 いいや! コーンブレッド食べたい!

「ふ、し、痴れたことを。わたしは誇り高きテスケノ。た、たた、たとえ、いい匂いのするパンケーキでもあっても、グェレカのつくった食べ物は――た、た――」

「た?」

「食べ、ない、のだ……」

「だそうです。エスレイ」

「そうですか、残念ですね」

「本当に残念です。おれはもうお腹いっぱいですし」

「わたしもです」

「は?」

「そうしたら、このコーンブレッドは捨てなくてはいけなくなります。もったいないですね」

「世の万物はウィツルアクリが神の国から持ち出したとすると、このコーンブレッドも神の国から持ち出したもの。それを捨てると――」

「そ、それは罰あたりだ! それは赦されぬ。ウィツルアクリが赦されぬのなら、このコーンブレッドはわたしが食べる他はあるまい」

 誰もが幸せになれる論理が構築されると、ウィツルアクリの加護を得たコーンブレッド三切れがあっという間にウルバの胃袋に収まった。

 ウルバが歳相応の嬉し顔でコーンブレットを食べている横では、エスレイとシンザがお互いを見やって、してやったりとウインクした。


 その夜、エスレイたちが夕餉を取り、眠ったのは化石樹の幹が柱のようにならぶ洞窟だった。道が広がり、天井は高く、床は起伏はあるが、滑らかだ。

 アインフェロ大尉が率いるのは二十名のギルド団員。その内訳は詐欺師、強盗、強姦魔、馬泥棒、殺人犯、盗賊、傭兵崩れ。それに異端者もいる。

 みな、無罪放免とともにギルドの汚れ仕事を担うことを皇帝と双天使ジェミニス・アンゼルに誓った筋金入りの犯罪者たちだった。

 化石樹に隠れながら、五人の賊がそろそろと野営地へ近づく。

 熾き火がくすぶる石の上にフライパン――ぺたんこなコーンブレッド。その焚火の風下になる位置に毛布をかぶった三人が並んでいた。

 五人の賊は静かに剣を抜くと、足音を忍ばせていたが、ある程度の近くまで寄ると、弾かれたように飛び上がり、三人に馬乗りになってめった刺しにした。

 ガギギン!

 次々と刃が折れる。

 毛布を引っぺがすと、石が現れた。

「やつら、どこに行った?」

 そのとき、フライパンのコーンブレッドがむくむくとふくらんだ。

「罠だ!」

 轟音と閃光が五人の賊から視覚と聴覚を奪う。恐慌をきたした五人はでたらめにふりまわした仲間の刃にかかって次々と倒れた。


 やはり来たか。

 化石樹の幹に手鉤でぶらさがりつつ、火薬と目つぶし粉入りのコーンブレッドがもくもくと上げる煙を見る。燐がまだ燃えているらしくて、煙は白く輝いている。あのあたりでは戦えない。自分の戦い方は暗闇のなかでの虚をつく戦法だ。

 さて、どうしたものかな?

 シンザの足元には隊を率いているらしい副官の徽章をつけた軍人がいる。士官用の斧槍ハルバードを持っているのは、この副官ただ一人。一番の獲物だが、まわりに四人の護衛兵らしいのがいる。

 声。鈍い音。見つけたぞ、の大声。エスレイの盾が何かを防いでいる。

 発射音。ハンドガン。至近距離。盾に跳ね返った弾丸が射手の腹に飛び込んでくる。

「お前たち、援護に行け! いいか、笛に気をつけろ。壊したりしたら、命はないものと思え!」

 二人の護衛兵がその場を離れた。

 二人の護衛に一人の標的なら、殺れる。

 シンザは化石樹を蹴って、宙返りをしながら、三人の上へと舞い降りた。護衛兵の一人が咄嗟の反応で上を向いたが、先ほどまで登攀の道具に過ぎなかった手鉤が今は暗器となって襲いかかり、二人の護衛兵の顔と喉から鮮血がほとばしった。

 喉に刺さったままの手鉤から手を抜くと、副官の斧槍が目の前をかすめた。

 続いて両手でハルバードを上段にふりまわし、シンザの胴を薙ぎ払おうと左へ振り抜く。

 それなりに使うらしく、得物が大きい割に動作がはやい。

(だが、所詮はハルバード。速さではこちらが上だ)

 シンザも短刀を抜き、敵の払いを防ぎ、止まったところで槍の柄を蹴飛ばす。

 副官がよろける。懐へ飛び込み、左の腿に深く短刀を突き刺す。

「ぐっ!」

 目に痛みが走った。吐き気がこみあげ、意識が朦朧としてくる。

(何かの薬か。油断した――)

 涙の止まらない目で最後に見たのは、自分を斧槍で叩き潰そうとするぼやけた像だった。


 意識が戻るが、何も見えない。

「気がつきましたか?」

 エスレイの声。だが、声だけだ。

「おれの目は潰れたんですか?」

「え? まさか。大丈夫です。きれいに洗い流しました。ただ、もうしばらくは薬草を巻いて濡らした布を両目にあてたほうがいいでしょう」

「面目ありません」

「あの副官の左足は義足でできていました。なかには猫斑草びょうはんそうとジカ茸の粉末でつくった痺れ薬が詰まっていて、刀を刺すと、なかの薬が相手に吹き出すようになっていました」

「知ってみれば簡単な仕掛けだ。乱術士失格です。ウルバは?」

「無事です。敵は三人死亡、負傷者は七か八。残りは飛行艇で逃走。こちらの損害はフライパン一つです」

「それは惜しい。もうコーンブレッド焼けないなんて」

「ふふ、そうですね」

 冷たい水で濡らした端切れが両目の上を優しく撫でる。

「……」

「……あの副官は?」

「わたしが斬りました」エスレイの悲しげな息づかいがきこえる。「創造神ロツェよ。彼らの御霊の安らかならんことを」

「負担をかけたこと、謝ります」

「いいんです。剣をもつ以上、人を殺めることは覚悟していました」

「これが最後になれば、いいですね」

「はい。でも、そうはならないでしょう」

 何かあるのだろう。シンザは初めてエスレイを見たときから、何か容易ならぬものを背負っているらしいと感じていた。

 それをききだそうなんてつもりはない。

 だが、つぶれる前にその背負っているものを分かち合える人がいるのだろうかとつい考えてしまう。

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