14.

 柱のごとき岩山が乱立する〈蒼風の回廊〉のうち、もっとも広い頂にハーシュ人――テスケノたちの都コアトルがある。もっとも広いとは言っても、三時間あればぐるりとまわれるくらいの広さだが、そこの建物は神殿から民家まで、石を積み、宿り樹に絡みつかせることで石材を固定する不思議な技法が使われていた。完成に長い時間はかかるが、宿り樹に支えられた家はどんな嵐が襲ってきてもびくともすることはないのだ。

 都の中央にある大きな池を囲うようにウィツルアクリを祀る神殿が回廊のごとく立っている。その水は崖のはるか下で渦を巻き続けていて、ウィツルアクリが神の国へ行き来するのに使うという伝承が残っている。

 日が暮れ、神殿の回廊につけられた鉄の輪にたいまつがつけられ、無残に破壊された壁画の数々が浮かび上がる。モリオン兜をかぶった軍人が顎鬚を撫でながら、半歩先をいく若い枢機卿が黒い法衣の裾をさばきながら、ゆっくりと歩くのを眺めていた。

「小さな笛一つ探すのに、ずいぶん手間取っているようだな。メレンデス」

「地形のせいですよ、猊下げいか」髭の軍人が言った。「このいまいましい岩山どもはミミズにえぐられたみたいにあちこちに通路を開いているんです」

「そなたはもう少し修辞学を学んだほうがいい」枢機卿は蔑みの笑みを少しだけ浮かべることを自分に許した。「そのような比喩では出自が知れる。いつまでもギルドの百人隊長で居続けたいのなら話は別だが」

「ご指摘、痛み入ります。猊下」

 そう軽く頭を下げながら、メレンデスはこの生意気な若造をバラバラに切り刻んで、そこで渦巻く水に叩き込んでやりたい衝動に駆られた。手は剣の柄を握りしめ、その甲に激発性の血管が青く浮き出ている。

 だが、それをやれば、これまでの努力は水泡に帰す。爵位さえもらえない地方の弱小貴族が洗濯女を孕ませてできたメレンデスは成り上がるために何でもやってきたのだ。国境警備隊。傭兵の連隊。大商会の私兵。そして〈天使のギルド〉に流れ着いた。ここでは汚れ仕事を押しつけられるが、功績次第ではそこから爵位を得ることだってできる。〈天使のギルド〉は身分制のきついハルフォールで平民が貴族に成り上がる、唯一の手段といってもいい。

「陛下は今回の探索の結果が念願の不老不死の研究を大きく進展させるやもしれぬとして、非常に興味を持っておられる。それゆえに失敗は許されぬ。陛下の失望をまねくことのないように」

 メレンデスは深々とお辞儀した。

 顔を上げると、枢機卿はもういなかった。専用の飛行艇でハルフォールへ戻るのだろう。

 あのガキは、と、メネンデスは枢機卿の姿を苦々しく思い出す。教会のステンドグラスに描かれている聖人のような美貌の持ち主は帝国でも有数のリアスエロ伯爵家の当主で、双天使教会の枢機卿で、皇帝のお気に入りの側近として、〈天使のギルド〉の運営を任されている。

 それもメネンデスの齢のちょうど半分の二十七歳にしてだ。

 破格の出世の裏には皇帝がリアスエロ伯爵夫人に孕ませた御落胤だという説がそれらしく流されている。皇帝陛下が今、八十一歳だから、六十四歳のころの子か。

「あり得る話だ。好色ジジイにその鼻持ちならないクソガキめ」

 と、口にしてからハッとした。まわりに人がいないかを見る。枢機卿が〈天使のギルド〉の内部に密偵を飼っていることは十分あり得た。そういう、メネンデス自身、前任者を讒言して処刑に追い込み、今の地位を得たのだ。

 自然、メレンデスの足は渦巻きへと突き出た紅石の祭壇へと運ばれる。そこには密告者が隠れるための柱も壁龕もない。落下を防ぐための手すりすらない。ここなら多少は感情の赴くままにむかつくことをむかつくと口に出せる。

 ああ。くそっ。

 こんなふうに自分の小心なところを思い知らされると機嫌も悪くなる。

 だが、少なくとも今回の遠征には収穫もあった。この神殿には極めて稚拙な神々の絵が宝石でもって描かれていた。その宝石を全て引っぺがしたが、その値段たるやいくらになるか分からない。

 それに、とメネンデスはほくそ笑む。もし、ウィツルアクリの羽根が本当に不老不死に関わっているのなら?

 不老不死の体と宝石がもたらす富。

 メネンデスは夢想した。ここに自分の国をつくり、天下に覇を唱える。

 甘い夢想が破られる。副官のアインフェロ大尉がやってきて、敬礼した。

「閣下。飛行艇で探索していた部隊がイフリージャ人たちを見つけました」

「イフリージャ人?」

「閣下が今回雇われたあの盗賊どもです」

「ああ。あいつらか。何か目新しいものでもあったのか?」

「笛を見つけたとのことです」

「ここに連れてこい」

 イフリージャ人の盗賊たち、アスサーナとカーシムとムスタファが姿を見せると、メネンデスはなぜ、こいつらは縛られているのだ、とアインフェロ大尉にたずねた。

「それが笛を手に入れようとして、返り討ちにあったとかで」

「笛は手に入ってないのか」

「見つけたとしか言ってないもんね」と、アスサーナ。「それより、この縄、ほどいとくれよ」

「その前に笛だ。どこで見た?」

「東の端から三つ目の岩山にある古い寺院の跡さ」

「では、やつらはまだそこにいるな」

「たぶんね」

 メレンデスは言った。「大尉。いますぐ、飛行艇に兵二十名を詰めて、東から三つ目の岩山へ送れ。笛さえ手に入れば、あのガキの生死は問わない。さあ、行け!」

 アインフェロ大尉が踵を返して、去っていくと、アスサーナはさあ、縄をといてくれ、と功労者のごとく胸を張った。

「そうだな」メレンデスはちらりと眼下の渦を巻く水を見た。「お前たち、神の国を信じているか?」

「は?」

 こたえる前に鉄の脚絆で固めた革靴がアスサーナの脚の付け根を蹴り押した。

 三人は甲高い悲鳴を引きながら、渦巻く水へと落ちていった。

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