10.

 彼自身が考案した真逆表現論によって馬鹿なことをさせられていると気づき、コルネリスがエスレイのことをまたトンマと呼ぶようになったころには一夜明け、〈蒼風の回廊〉のふもとにあるルズリンという町に着いていた。

 この都市が飢えたゴロツキみたいな傭兵の略奪三昧の影響をまったく受けていないの知るには町の入口を見れば、十分だった。

 煉瓦を敷いた大通り――隙間など開けて、名もなき雑草に繁茂のチャンスを与えないよう厳しい基準でぎっしりと詰めてある。泥炭を燃やして金色の滑車をまわす、貴族の紋章入りの蒸気機関。左右を回廊でつながった石造りの建物たち。生活用水が湧き出す水槽。馬車。玉ねぎをぶら下げた雑貨屋。ギルドのメダルを帽子に飾る職人。ブーツ、音符、ウサギ、翼の生えた怪物と形を変えながら白く噴き出し続ける湯気。そして、〈蒼風の回廊〉から落下傘でおちてくる巨大なバースデイ・プレゼントみたいな毛皮の梱(こうり)。

 それは〈蒼風の回廊〉に住む空飛ぶハーシュ人たちが狩ったグリフォンの毛皮であり、その梱が地面に付くや否や、飾り剣をさげた買い付け屋たちがわんさと現れて、どの崖で獲れたかを示す焼き印や拳で思い切り突いたときの反発具合で、値段をやり取りする。そして、毛皮が買い取られると、買い付け屋はそれを服飾工場へと運ばんだ。

「こっちは手数料を差っ引いた全額を鳥人間ハーシュ人たちにきちんと支払ってるんだ」買い付け屋が言った。「ただし、連中は用心深いからこっちが見ているあいだは絶対に姿を見せようとしない。代金や代金に相当するいいもの――よく斬れる剣とか魔法書だよ――を塔のてっぺんに置いて、やつらが舞い降りるのを待つんだけど、絶対に降りてこない。こっちが根負けして、帰ると次の日にはきれいになくなってる。以前、星を見るのに使う望遠鏡で町の反対側から塔を見張ったことがあったが、それでもあの鳥人間たちは降りてこなかったな。その見張りがくしゃみをするためにほんのちょっとのあいだ望遠鏡から目を離したんだが、見てみると、金はきれいに消えている。直接渡すことをしないなら払わないでしらばっくれるのもありだと思うやつは鳥人間どもが常におれたちの上で暮らしていることを考えにいれないといかん。この世界、やつらのションベンはおれたちの頭にもろに降りかかるようにできてるんだからな――ああ、安い宿はないかって質問だったな。忘れてたよ。まあ、安いしメシもそれなりのところなら、旧開拓地のほうへ行ってみるんだね。道は、まず、この大通りをあそこの楽器屋のところで右に曲がって――」

 旧開拓地はルズリンで初めて人が住んだ土地だった。高原の台地にある市街地と違って、丘のふもとの旧開拓地はつくりが数段落ちる。道はぬかるみの上に渡し板のようなものを投げ出していて、家屋は石ではなく木造。その建物がぎりぎりまで寄り集まっているので、路地ではない普通の道でさえ獣脂蝋燭か安物の発光石を頼りに歩かなければならないほど薄暗い。

 三人は旧開拓地の中心にある市場と旅籠を兼ねたところに宿を取った。古い兵舎を買い取って一階の壁を全てぶち抜いた市場に、二階の下士官室を宿泊用の部屋にした旅籠で、一日じゅう床下から物売りの激しい呼び声がきこえることさえ気にならなければ、いい宿ではあった。早速、旅の荷を解いて、一休みしようとすると、

「まだ、昼前だぜ?」コルネリスが二人に言った。「まあ、好きにしな。おれはちょいとルズリンの街を見てまわってくる」

 コルネリスは一人で行くと言い張ったが、エスレイとシンザは無理についていった。

「なんだよ、お前ら。おれの追っかけか何かかよ?」

「お互い付き合いは長いですからね。フリントロック・ピストルを見せびらかすだけで済むとは思えません。実地で使ってやろうと思ってるでしょう?」

「なんだよ、使っちゃダメなのかよ? 風穴一つでクズが消えるんだぜ、誉めてもらいたいくらいだ」

 それからコルネリスは野菜の獲れた時期をたずねながら、ガラス瓶の値段をたずねながら、壁に釘で打ちつけられた風刺詩をながめながら、わざとベルトに手をやって、フリントロック・ピストルを見せびらかした。好奇心にかられた人に、よく見せてくれないかと頼まれれば抜いてみせた。黒く仕上げた艶やかな木材にはめ込まれた象牙の蔓草模様が銃床にからみつき、手入れされた金属は純銀のごとく輝いている。コルネリスでなくとも、魅了されるのは分かる。ある種の武器にはそういう力があるのだ。

 そして、その手の武器はどうしても使ってみたくなるものだ。ルズリンは辺境には珍しく繁栄と治安の二つが揃った都市だが、それでも愚かなチンピラがいるだろう。そこに実地演習のキモがある。死一等は免じて、膝小僧を吹っ飛ばすくらいで勘弁すれば、シンザとトンマも許してくれるはずだ……。

「許しません」エスレイが言った。「駄目に決まってるじゃないですか」

「だぁから、お前はトンマなんだよ」

 そこはクストーザ銀貨一枚でたらふく食べさせてくれる、旧開拓地の人間のあいだでは〈中庭〉で通っている野外料理屋。

 鍛冶屋と樽工場のあいだの中庭に、ブリキのカンテラと丸テーブルを並べていて、その頭上には建物はなく、空がすっきりと開かれている。すでに陽は暮れ、雲は不思議な色合いを次々と見せながら、夜空へと溶けていた。二十個の鍛冶屋の炉ではそら豆とベーコンの熱いスープが煮えたぎり、テーブルは地元の町人や旅の行商人で埋まっていた。エスレイたちは退役槍騎兵の老人と相席をしていたが、この老人はルズリンが都市ではなく、ただの荒野であったころからの住人で、まだ若いとき、グリフォンの毛皮を得るために最高の仕上げがされた厚みのある槍三十本をたずさえて、やってきたのだった。

「あのころはな、若いの。テスケノたちも今ほど警戒心が強くなかったから、〈蒼風の回廊〉から舞い降りるテスケノたちに挨拶の一つもできたもんさ。テスケノっていうのは彼らの言葉で〈翼のある人〉という意味だ。ハーシュ人とか鳥人間なんてのはこちらがあとで勝手につけた名前に過ぎん。わしは連中がグリフォンを狩るのに石の刃をつけた槍を使っているときいていた。そのおかげでテスケノはしょっちゅうグリフォンに切り刻まれて、谷へと真っ逆さまに落ちていた。だから、厚金造りの鋼の槍を持っていけば、間違いなく喜ばれると踏んだ。狙いは大当たりだ。わしは槍を三十本地面に刺した。すると、テスケノたちは物欲しげにわしの頭の上をくるくる飛んだ。警戒心と好奇心が激しく火花を散らして戦っているのが見えた。結局、好奇心が勝った。長身でたくましいテスケノの長が降りてきて、槍が欲しいが、何と交換してくれるかたずねてきた。わしは深く考えもせずに、槍一本とグリフォンの毛皮一枚で交換だ、と言った。それから何十年も経ったし、いろんな商会だの工場だのができたが、槍一本と毛皮一枚の交換率は変わっておらん。たぶん、世界が終わるその日までそのままだろう。ところで、お若いの。さっきから気になっていたんだが、それは何だね?」

「こいつはフリントロック・ピストルってんだぜ、じいさん。新時代の武器だ」

「ハンドガンよりも使い勝手がよさそうだし、しゃれてる」

「やっとこいつの良さが分かるやつに会えたぜ。おれ、こいつをぶっ放したくて、死んだほうがマシの悪党を探してるんだけど、この、こっちの二人は全然手伝わないし、邪魔ばかりするし、妥協して殺すかわりに膝を撃ちぬくので勘弁してやるっていうのに、それもダメだってんだよ」

「男が簡単に妥協するもんじゃない。武器に関してはな。だが、ここはトゥーリバーの他の都市と違って治安がいいから、おあつらえ向きのクズを見つけるのは難しかろう。どうだね、空に一発撃ってみては?」

「空に? おれは人に撃ちたいんだけどなぁ」

「わしが思うに、空に向けて撃てば、撃ったときの音が〈蒼風の回廊〉に飛び込んで、本物の雷みたいに反響すると思う。なかなかかっこいいと思うぞ」

「よっしゃ」

 ズドン!

「コルネリス! 撃つなら撃つって言ってからにしてください!」

「み、耳が――」

 エスレイとシンザがキーンと鳴る耳を押さえながら言う文句をコルネリスはきいていなかった。銃声は青い塔のような岩山のあいだを何度も跳ね返り、跳ね返るたびに音が削れて、より鋭い音になり、コルネリスの元に戻るころにはブワーン!とラッパがわめき散らすような音になっていた。

「――って、コルネリスさん。これ、何かが落ちてきてる音です!」

 各人咄嗟に自分のスープ鉢とコップを持ち上げた。

 そして、落下物はその直後に丸テーブル一つをおしゃかにした。

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