9.
三千人の歩兵と七千人の従軍商人、娼婦、女衒、難民、占星術師、異端者、床屋医者その他もろもろを連ねたコールファクス連隊が遠く西へと進軍を開始した。
エスレイたちは編成に大いに問題のある戦略単位に別れを告げ、〈蒼風の回廊〉のあるトゥーリバー南部の高原地帯へまた徒歩で旅の道を稼ぐこととなった。
野生のアーモンドが生える乾燥した土地がうねりのような起伏でどこまでも続いていて、地平が霞み、その上に〈蒼風の回廊〉が森林をまとった青い崖の塔として聳え立っている。
「兵隊どももここまで来やしねえのさ」
と、アーモンド拾いが言った。
「アーモンドしかねえからな。だが、傭兵なんてのは全部銭ずくめのお上品野郎ばかりだから、アーモンドだけじゃ足りねえと抜かす。だが、この土地にゃあ、小麦は生えねえんだよ。わしも若いころ、三回挑戦したが、三回とも失敗に終わった。おまけに最初、大公さまはおれたちに小麦の種をタダで渡してくださった。ありがてえ、ありがてえ、と思ったら、やっぱりタダで渡すのはやめだ。カネを払えと言い出した。本当だぜ。一国の太守ともあろうお方がだよ、貧乏な百姓に種をめぐんでやるで。で取り上げやがるんだ。カネが払えねえというと、種を返せとぬかしやがる。もう撒いちまったとこたえると、賦役で払えとぬかして、宮殿だの要塞だのをつくらされた。まったく、今回の戦乱をとんでもねえ災難だなんて言うが、一番の災難は、ほれ、あそこに生えてる岩山どもと来てる。ハーシュ人のやつらが気球をつかって山から山へ移動してるなんてヨタ吹きこまれて、ここまで来たなら、そのヨタ吹き込んだ野郎は後の世に害を残さないためにぶっ殺しておくべきだね。あそこじゃ移動手段は橋か飛ぶかだ」
「飛ぶ?」
エスレイがたずねると、アーモンド拾いはくるくる目をまわした。
「そうよ。飛ぶんだよ。鳥みたいに」
「彼らは魔法使いなんですか?」
「いや、風使いだって」
アーモンド拾いと別れると、どこかに町はないかと霞む地平線を睨みつつ、三人は実りのある会話をしながら旅の道を取った。
「バンバルバッケって野郎はとんでもねえ野郎だなあ。あいつのこと、見たこともきいたこともないアーモンド拾いだって言うんだぜ。世のため人のためにぶち殺しちまえって。やっぱ普通じゃねえわけよ。あのじいさん」
「そりゃ碩学ですから普通の人よりは賢いでしょう」
「普通よりもイカれてるんだよ、あのじじいは」
「でも、気球で飛ぶよりもずっとロマンがありませんか?」
「だから、お前はいつまで経ってもトンマのまんまなんだ。鳥みたいに飛ぶってのは暗喩だ。つまり、岩棚から足を滑らして落下死した連中の魂が鳥みたいに飛んでいくってことなんだよ」
「そうなんですか?」
「そうだ。この世には真逆の表現に溢れてる。絶対に押さないでくれと言われたら、たとえそいつが高さ三百ボアスの崖の上に立っていても押さなきゃいけないし、女のやめてはもっとやってだし、〈蒼風の回廊〉で人が飛んでるときたら、それは人が落っこちてるって真逆の表現なんだ。わかるな?」
「分かりました。じゃあ、コルネリスさんがわたしをトンマと呼ぶのも真逆の表現なんですね」
「なんで、そうなるんだよ、トンマ」
「だって、そういうことじゃないですか。コルネリスさんの説明する真逆の表現では状態が口頭で述べたのと反対の状態にあるということです。コルネリスさんはトンマと口頭で述べているので、わたしの事実は逆の状態、賢い状態にあるわけです」
「んなわけねえだろ、トンマ! トンマ? なあ、シンザ。おれ、今あいつのこと賢いって言ってるのか?」
「だから、おれにきかれても困りますって」
「会話に隠された意図を読み取るのはとても楽しいです。そう思いませんか?」
「うーん……あっ、じゃあ、賢者って呼べばいいんだ。そうすりゃ、実際はトンマってことになる。やったぜ、おい、トンマ――じゃなくて、賢者。覚悟しておけよ、これからおれの大逆転が始まるぜ」
それから〈蒼風の回廊〉のふもとにある町までいくあいだ、通りすがりの人々は賢者と崇め奉られる少女とその奴僕らしい少年を見ることになった。
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