8.
糧食は常に司令官の悩みの種だった。
兵士は一日に二リブラ(約一キロ)のパンと半リブラの肉、それに半クアルビーリャ(約四分の一リットル)の葡萄酒を必要とする。
ということは、三千人の歩兵からなる連隊が一日に必要とする糧食は六千リブラ(約三トン)のパンと千五百リブラの肉、そして四十七カルクァ(約七百五十リットル)の葡萄酒ということになる。
ヴィルブレフでは各地に補給基地をつくり、そこに物資を貯めておいて、戦時になったら利用する制度があるが、そんな素晴らしい制度があるのはヴィルブレフくらいでたいていの国は現地調達で賄う。
現地調達というときこえはいいが、要するに略奪だ。
すきっ腹を抱えた軍は行く先々で気の向くままに略奪を繰り返し、弱き民は虐げられる。
が、虐げられるばかりが能でもない。軍が来ると分かれば、農民たちは家畜と穀物を連れて、山に隠れるし、自警団を結成して、反抗することもしばしば。実際、トゥーリバーの村民自警団は下手な傭兵より情け容赦ないと言われ、逆に敗残兵相手に略奪することがよくあった。
すると、ここに従軍商人という怪しげな商売が出現する。
傭兵は雇い主から金銭の形で給料を受け取るが、糧食の類は一切もらっていない。では、どうするかと言えば、従軍商人から買うのだ。何百という従軍商人たちは軍の後ろについていき、ときに前に出て、進軍予定地からパンと葡萄酒を買い集め、傭兵たち相手に商売する。従軍商人たちは戦利品の買い取りもしているが、いかんせん傭兵たちは他に戦利品を換金するあてがないので、商人同士で結託して安い値段で買いたたく。それをしばらく持っておいて、あとで高く売るのだ。
はっきりいって、従軍商人をあてにする兵站制度は効率が悪い。
だが、君主や貴族は自前の兵站組織なしで軍に補給ができるし、そもそも戦乱で荒廃した土地で食料を口先三寸の離れ業で買い集める才覚もない。
もちろん現地調達に頼らず、どこかに大量の物資を貯め込んで、そこからラバに運ばせるという手もある。補給線を築けばいい。
だが、食料を運ぶラバたちは一日に、人間の消費する十倍の穀物を必要とする。
だから、人間が食べるものを運ぶラバたちが食べるためのカラス麦を運ぶためのラバが必要になる。
もちろん、そのラバたちもカラス麦を食べる。
すると、人間が食べるものを運ぶラバたちが食べるためのカラス麦を運ぶためのラバたちが食べるためのカラス麦を運ぶためのラバたちが必要になる。
もちろん、そのラバたちもカラス麦を食べる。
そうなると、人間が食べるものを運ぶラバたちが食べるためのカラス麦を運ぶためのラバが食べるためのカラス麦を運ぶラバたちが食べるカラス麦を運ぶためのラバたちが必要になって――。
つまり、パンを運ぶラバ一頭の後ろに、ラバが食べるカラス麦を運ぶラバが百頭連なる。
ここまでいえば、補給線など論外と分かる。
それで従軍商人という一見非効率的な制度が成り立っている。
エスレイとシンザの前に広がった何千人という人間のたまり場はこうした従軍商人たちとその家族、そして、戦乱で荒れ果てた村を捨てて、戦利品のおこぼれを狙う難民たちからなる集団だった。
「コルネリスはあのなかに紛れ込んだみたいですね」
「ここから見ても、分かりませんね。ちょっと降りてみましょうか?」
丘を下りる途中で気付いたのだが、この集団の中央に貴族のものと思われる連隊旗が立っているのが見えた。だが、それもすぐに見えなくなり、ちょっとした町くらいの規模がある集団のなかへと二人も飲み込まれた。焼魚を売る屋台があり、目のまわりを青く塗った女たちがたむろする娼婦の黄色いテントがあり、三クストーザのはしたカネで剣を抜いてお互いを突っつきあう傭兵たちがいる。
エスレイは大きな鍋で豚を煮る女商人にたずねた。
「あの、すいません」
「さあ、さあ! 煮込んだ豚のスープがたったの八クアルト! 脂身入りだよ!」
「すいません」
「なんだい? スープを買わないなら邪魔しないどくれよ」
「人を探してるんです」
エスレイはコルネリスの特徴と服装を教えた。
「そいつ、傭兵かい?」
「え?」
「着るものに変な入れ込みがあるからね、傭兵ってやつは。もっと豚のスープに入れ込んでくれりゃいいのに。もっとも、あいつらの着付けは最悪だけどね。でも、うちのスープは最高だよ。一杯、どうだい?」
彼女の言う通り、傭兵たちの姿は奇抜を極めた。なにせ自弁の使い込んだ武具と略奪で得た華麗な衣装が混ぜこぜになっているのだ。傷だらけの胸当てをつけた老兵がどこかの王族のためにつくられたらしい毛皮で裏打ちした赤いマントを羽織っていたり、裸足の少年兵が孔雀の羽根で飾った帽子をかぶっていたり。
コルネリスを探すうちに、黒山の人だかりを見つけた。シンザはこらえ性のないコルネリスが誰か殺したのかもしれないといい、何があるか見るために人垣に肩から押し入った。
そこでは傭兵たちが代表を選んでいた。一人、いかにも百戦錬磨らしい戦斧を背負った大男が二つの樽にそれぞれの足を預けて、大声で演説していた。
「コールファクス卿はこのまま連隊を最前線に進めようとしている。大公妃から再三要請されたせいでだ。自分の娘に跡を継がせるために戦争を引き起こしたような考えの足りない
そうだ、いいぞの大喝采。拍手。傭兵とその後ろをついて動いている有象無象の衆たちは連隊長のコールファクス卿と交渉すべきだとはやし立てている。
エスレイは驚きで頭のなかが真っ白になった。命令不服従と戦線放棄と略奪計画。ヴィルブレフの軍では考えられないことの連続だ。あの堕落した騎士たちは規律が緩んでいたが、ここの傭兵は比べものにならない。
「あの、シンザさん」
「はい」
「あの傭兵の代表は敵の間者でしょうか?」
「たぶん、違います。敵の部隊に潜入するなら援護のための隠れた味方がどこかにいるはずですが、そういう素振りを見せているものがいません。彼は純粋に自分の欲望のままを述べて、支持を獲得しています」
「でも――おかしくないですか? 西軍は大公妃の娘を大公の位につけるために戦っているはずです。でも、ここの兵士たちは大公妃を、その、売春婦呼ばわりしてますし、大公の位に娘をつける目的を馬鹿げていると一蹴して、ここでもっと略奪を続けようと言っています。自分たちの味方の土地にですよ?」
「おそらく、この連隊はコールファクス卿とやらの資金で結成されたのでしょう。つまり、ここの傭兵はコールファクス卿から給料をもらっているのであって、大公妃ではない。それだけです」
「ふーむ……勉強になります」
傭兵制度の欠点はヴィルブレフにいたころよくきいた。まあ、それは正しかったわけだが、実際に目で見るのとは全く印象が違う。もし、他の部隊も似たような状況であれば、この戦争は大公の位のためではなく、ただ癒しがたい空腹のために戦っていることになる。勝利のための戦略は放棄され、食料のある土地から土地へとただ食いつないでいるだけの軍隊の運動。これまでエスレイが見たことのない戦争の一面だ。
「――って、感心してる場合じゃなかった。コルネリスさんを探さないと」
樽の上で演説し戦斧を背負った大男――みなからは〈ぶった切りのジャック〉と呼ばれていた――は剣を携えるもの全員が、自分とともにコールファクス卿への談判に加われと叫んだ。人の波には逆らえず、エスレイとシンザはそのままコールファクス卿のテントがある丘の上へと向かう行列のなかを歩いた。
連隊長大佐の旗が立った赤と白の縞模様のテントが見えた。カールさせた長い髪に赤茶の口髭をたくわえたコールファクス卿は数人の士官とテーブルを囲って座り、今は何の役もないカードをテーブルの上に放り投げているところだった。その対面に座って一人勝ちしているのはコルネリスだった。
「さあ、持っていきたまえ」コールファクス卿は象嵌をほどこしたフリントロック・ピストルをテーブルに置いた。「次は連隊を賭けるぞ」
「いや、おれは降りる」コルネリスはフリントロック・ピストルをベルトに挟むと、賭けを精算した。「連隊なんてもらっても使い道が浮かばねえもんな。持ってても面倒ばかりだ」
「それは言えている」コールファクス卿はうんざりした顔で〈ぶった切りのジャック〉率いる陳情団と向かい合った。
一方、コルネリスは上機嫌だった。エスレイに話しかけるとき、トンマではなくプチトンマと呼んだことからも明らかだ。
「見ろよ、これ。かっこいいだろ?」
「もうっ。探したんですよ」
「ほーう、プチトンマ。心配してくれるとはありがたいねえ」
「べ、別に心配したわけではありませんけど――」
「一時は危なかったんだぜ。最後のパンツ一枚まで追い詰められたけど、こっちも盛り返して、まず服を取り返すだろ? で、次は剣。火打ち袋とかお守りの鍵とかコンパスとか。で、こっちの身なりがシャンと元に戻ったところで、また大博打。今度はパンツまで賭けて、出てきたのがジャックと七のフルハウス。我ながら勝負事の強さに鳥肌が立つねえ」
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